第49話 命令なき会議
夜の冷たさがようやく抜け、東の空が淡く染まりはじめていた。
湿った草の匂いが風に混じり、木々の葉を揺らして通り抜けていく。
全員が短い仮眠をとり、顔にまだ疲労を残しながらも、動きは軽かった。
レナードが腰の革袋を確かめ、ミロを呼ぶ。
「ミロ。これを砦まで持っていけ。中には証拠が入ってる。昨日の洞窟で見つけた文書も入れてある。到着したら上官に報告して、あとの指示を仰いでく」
ミロは短くうなずいた。
「了解。盗賊の動きも合わせて伝えておくね」
レナードが頷く。
「頼む」
ミロは両手で袋を受け取り、革の感触を確かめるように指先でなぞる。
そして短く息をつき、背の荷を締め直した。
出発しようとしたそのとき、オズワルが声をかけた。
「ミロ、ちょっと待て」
ミロが振り向く。
「森の中には俺が罠をいくつか仕掛けてある。行くときもだが、戻るときにも気をつけてくれよ」
「了解。そのルートは避けるようにする。……どの辺りに多い?」
「それなら――」
オズワルはミロを連れて少し離れ、森の縁まで歩いた。
朝霧がまだ薄く漂い、二人の姿が枝の影に溶ける。
手振りを交えながら、罠の範囲と目印の位置を示していく。
やがて数分後、二人が戻ってきた。
ミロは頷きながら言う。
「罠の位置はだいたいわかった。来るときも気をつける」
オズワルが口の端を上げる。
「頼む」
ミロはもう一度だけ仲間たちを見回し、背中の鎌と短弓を軽く押さえた。
そして森の奥、砦のある方角へと歩き出す。
朝の光が木々の隙間から差し込み、道の先を白く照らしていた。
***
レナードはミロの背が森に消えるのを見届けてから、静かに息を吐いた。
朝の光が斜めに差し込み、木々の影がゆっくりと伸びていく。
風が吹き抜け、昨夜の血と土の匂いを薄めていった。
「――オズワル、見張りを頼む。俺は洞窟で見つけた連合と盗賊の新しい情報を、みんなに説明しておきたい」
オズワルはうなずき、槍を肩に担ぐ。
「わかった。昨日の夜に言ってたやつだな」
そう言うと、少し離れた岩の上へと歩き出した。
廃村の全体が見渡せる位置に腰を下ろし、静かに監視しはじめる。
レナードは残った面々を見回し、近くの倒木に腰を下ろした。
「今日の配置を指示する前に、共有しておきたいことがある。――連合と盗賊の、これからの行動についてだ」
誰も声を挟まなかった。
冷たい朝の空気の中で、鳥の声だけが遠くから響いた。
「盗賊が連合から金や武器を受け取っていることは、もうみんな理解していると思う」
レナードの声に、全員が静かに頷いた。
「洞窟では、それらの取引が書かれた手紙を発見した。それと――連合側が持っていた盗賊の情報も見つかった」
レナードは短く息を整えた。
「――その情報というのは、この周辺にいる盗賊がこちらに向かっているというものだ」
その言葉に、一同の表情がわずかに強張った。
空気が張り詰める。
任務中に盗賊と再びぶつかる可能性がある――その現実が、誰の胸にも同じ重さで落ちた。
レナードは続ける。
「洞窟と廃村を拠点に、連合はバルデ砦への攻撃計画を進めているらしい。
……これは推測も入るが、任務前に報告を受けた盗賊の数は二十人前後。だが実際には三十人以上いた」
彼の声には感情の揺れはなかった。
事実だけを確認するように、静かに言葉を並べる。
「前の斥候はこの廃村を中心に見張っていたが、洞窟の方までは完全には監視できていなかった。そのため、盗賊たちは俺たちの知らないルートで動いている可能性がある」
皆の視線が自然と森の奥へ向かう。
朝霧の向こう、冷たい木々の隙間に何かが潜んでいるような気配がした。
レナードは短く間を置いた。
「――それらの情報を全員が共有したうえで確認しておきたい。
盗賊がこちらへ向かってきた場合、攻撃すべきか。それとも監視任務に留め、砦からの指示を待つか」
誰もすぐには答えなかった。
沈黙が落ち、冷たい風が木の葉をわずかに揺らした。
レナードが続ける。
「ちなみにだが、オズワルは迎撃を選択している。近距離ではなく、遠距離のみでの対応だ」
その言葉に、自然と小隊の遠距離組――ロランとダリルの方へ視線が向く。
ロランがゆっくりと口を開いた。
「……俺もオズワルの意見と同じだ。ただ、人数にもよる。少人数なら対処できるが、大群なら監視に徹したほうがいいだろう。矢の本数にも限りがあるからな」
ダリルがそれに続く。
「俺は全面的にオズワルを推す。盗賊が集まっているなら、今のうちに少しでも数を減らしておくべきだ。最終的に砦を狙ってくるなら、ここで削っておけば仲間の負担を減らせる」
二人とも真剣な口調だった。
普段のダリルにある軽口は消え、表情には緊張と覚悟が見えた。
沈黙ののち、トマが口を開いた。
「俺は攻撃には反対だね。遠距離戦が中心になるなら、俺はそこまで戦力になれない。それに、長引けば食料や水の問題も出てくる」
言葉を区切って、トマは小さく息をついた。
湿った風が吹き抜け、足元の砂をさらう。
「ただ、戦うのを避けたいわけじゃないよ」
少し間を置いて、静かに続ける。
「攻撃を選ぶなら協力はするし、指示には従う。
ただ、二人に負担をかけすぎるのは良くないと思ってさ」
トマはロランとダリルのほうを見た。
「矢を射るにも集中力がいるし、外せば命取りになる。スリングも同様だ。
俺たちが支えられる範囲を越えたら、全員が危なくなる。……だから、やるにしても慎重にだな」
ロランは黙って頷き、ダリルは腕を組んだまま視線を落とした。
その場に、冷たい静けさが戻る。
張り詰めた空気の中、誰も次の言葉を探せずにいた。
風が止み、遠くで枝が折れる乾いた音が響く。
その音が、場の全員の意識を一瞬だけ現実に引き戻した。
しばらく考え込んでいたエドリックが、視線を上げた。
その瞳には迷いと覚悟が混じっていた。
「……レナード」
低く呼びかけた声に、レナードがエドリックの方に振り向く。
一拍置いて、彼は言葉を続けた。
「俺たちは今後をどうするか話してるけど、俺たちだけで判断していいのか?
砦からの指示を待ったほうがいいんじゃないか?」
短い沈黙が落ちる。
確かに、命を左右する判断を現場で下すことには重さがある。
レナードは静かに息を吸い、背筋を伸ばした。
「エドリックの疑問は正しい」
その一言が、冷えた空気をわずかに震わせた。
「だが、俺たちは独立奇襲小隊だ。
現場での判断は、俺とオズワルの裁量で決めることができる。
――これは、上層部から正式に許可を受けている。
ガレスも任命するときに言っていたろ?」
淡々とした口調の奥に、確かな決意があった。
言葉が一つひとつ、地面に落ちるように重い。
彼の視線がゆっくりと隊を見渡す。誰も目を逸らさなかった。
小隊全員が、その言葉の意味を理解していた。ここでは誰も命令を待つ兵ではない。
自分の判断が、そのまま仲間の生死を分ける。
レナードは短く息をつき、静かに言った。
「だから気にせず自分の意見を言え、エドリック。
それに――最終的な責任は俺がとる。心配はいらない」
その声音には、命令ではなく信頼の色があった。
エドリックは口を開こうとして、一度だけ唇を結ぶ。
仲間たちの視線を感じながら、言葉を探すように息を整えた。
「……それなら、俺は廃村と洞窟の二つを見張ることを提案するよ。戦闘に関しては様子見かな。……人員はなんだっていいけど、ロランとダリルを二組に分けて、それぞれを俺たちでサポートする形で動く。
交戦をするかどうかは俺じゃ決められないけど……」
レナードはわずかに目を細め、短くうなずく。
「なるほど」
顎に手を添えて少しの間考え込む。
誰も言葉を発しない。
遠くで鳥が一声鳴き、すぐにまた静寂が戻った。
「……みんなの意見はわかった。それを踏まえてオズワルと相談してきめる」
そう言って立ち上がると、レナードは視線を全員に向けた。
「それまでに、装備の最終確認と食料・水の残量を見ておいてくれ」
彼が立ち去るのを見送りながら、隊員たちはそれぞれの持ち場へと動き出した。
矢羽を確かめる者、革袋を開いて水筒を点検する者。
小さな音ひとつにも反応するような緊張感が、朝の空気の中に漂っていた。
短い休息の間に、再び戦場の気配が戻りつつあった。




