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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
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第47話 終わりの祈り

倒れた盗賊のひとりが、わずかに胸を上下させていた。

背中にはミロの放った矢が深く突き刺さり、折れた矢羽が赤黒い血に濡れていた。

その血が地面に滲み、湿った土を暗く染めていく。

風に混じる鉄の匂いが鼻を刺し、それはもはや生の名残というより、死に向かう呼吸のように見えた。


オズワルは槍を構えたまま近づき、片膝をついて喉元に指を当てる。

冷たい皮膚の下で、かすかな鼓動が脈を打っていた。


(……もうすぐ死ぬだろう)


口の端から血が泡のように滲み、唇が震えていた。

やがて、その男が掠れた声を絞り出す。


「……頼む……殺してくれ……」


その言葉に、オズワルの手がわずかに止まった。

呻きでも叫びでもない。死にたくないと叫ぶ者の声ではなかった。

それは、痛みからの解放を求める、壊れかけた人間の声だった。


オズワルは息を呑み、低くレナードを呼んだ。

「……レナード。まだ息があるやつがいる……」


レナードがこちらを振り返る。その行動に周囲がわずかに動く。

ロランもダリルも弓とスリングを構えたまま、音ひとつ立てない。

エドリックとミロは岩陰から目を向け、息を殺して見守っていた。

トマは後方からいつでも動ける準備をしている。


レナードが静かに歩み寄る。陽を受けた武器が、一瞬だけ鈍く光った。


彼は倒れた男の横に膝をつき、声を潜めて問う。

「確認がある。……他に仲間はいるのか?どこかに逃げた奴は?」


盗賊は血に濡れた唇を動かし、息を漏らすように答えた。

「……いねぇ……もう、いねぇよ……頼む……止めを……」


その顔に、もはや恐怖はなかった。

ただ、苦痛の奥に、どこか安らぎのような影があった。


レナードは短く息を吐き、ゆっくりと頷いた。

「……わかった」


短剣が抜かれる。光を受けた刃が一瞬だけ閃き、すぐに影に溶けた。

レナードは一歩も動かず、うつ伏せに倒れた男を見下ろす。

矢が刺さった背中がわずかに上下していた。

その動きを確かめるように息を整え、短く目を閉じる。


そして、ためらいのない動きで短剣を振り下ろした。

刃が後頭部を貫き、鈍い音が響く。

男の体が一度だけ小さく痙攣し、静かに沈黙した。

血が地面を伝い、湿った土の匂いと混じって広がっていく。


オズワルは息を止めたまま、その場に立ち尽くした。

指先が冷えていく。

ほんのさっきまで生きていた命が、音もなく消えていくのを見ていた。


(……これも任務だ。そう、分かっているはずなのに)


風が通り抜け、血の匂いを運ぶ。

空気が重く、冷たく、どこか遠くの音まで響くように感じた。


レナードは静かに立ち上がり、血の滴る短剣を軽く振って拭う。

その表情には感情がなかった。ただ、いつもの冷静さだけが戻っている。


「全員――集合だ」

低い声が響く。


ロランもダリルも警戒を解かずに近づき、エドリックとミロも足音を殺して合流する。

トマが最後に姿を現し、輪ができた。


「……これで廃村と洞窟の盗賊は全滅した」

レナードの声は淡々としていた。


誰も返事をしない。

風が吹き抜け、血と土の匂いがまた広がる。

オズワルは短槍を静かに地に立て、息を吐いた。


(勝った、とは言えねぇな……)

戦場の静けさは、勝利よりもずっと冷たかった。


胸の奥に残るのは、安堵でも誇りでもなかった。

ただ、終わりを見届けた者だけが知る、沈黙の重さだった。


***


レナードは素早く指示を出した。声は低く、だが一点の迷いもない。


「ミロ、俺と洞窟の中を調べるぞ。連合側とのやり取りの証拠を押さえたい。

ロランは廃村まで戻れ。連合側の入り口が見える位置を森の中で確保して見張れ。

援軍など動きがあれば、すぐに戻れ。戦闘は禁止だ」


ロランが頷く。

「了解」

そう言って矢筒を背にかけ直し、森の奥へと姿を消した。

枝葉を避けながら音もなく進み、やがてその影は緑の中に溶けていった。


レナードは残りの者たちを見回す。

「エドリック、ダリル、トマ、オズワル――死体を片付けてくれ。それと同時に武器も回収してくれ。周囲は警戒しながらだ」

短く、それでいて確実に伝わる口調だった。

誰も異を唱えない。全員がそれぞれの役割を理解していた。


ミロは弓を背に収め、ランタンを手にした。

光が揺れ、彼の表情を淡く照らす。

レナードは短剣を握り、静かに洞窟の奥へと足を踏み入れた。


一方で、残った四人は無言のまま地面に散らばった死体を見渡していた。

エドリックとダリルは先に盗賊たちの武器を回収し、一か所にまとめる。

血の跡はまだ乾ききらず、陽の光を受けて鈍く光っている。

オズワルが低く息を吐いた。

「……まず、片付ける場所を決めよう」

トマが頷き、ダリルは近くの木々を見回す。

「向こうの斜面の下がいい。風下になる」

エドリックもそれに同意し、倒れた盗賊の腕を取った。


***


さっきまでの戦闘が嘘のように静かだった。

森は陽を受けて眩しく、風が枝葉を揺らしている。

鳥の鳴き声が遠くから響き、まるで何もなかったかのように、世界は穏やかに見えた。

エドリックの足元にはまだ血の跡が残っている。土を踏むたびに、湿った音がした。


トマがスコップの代わりに携帯していた短い鍬を使い、地面を掘っていく。

オズワルとダリルがそれを手伝い、エドリックは木の根を避けるように土をどけた。

乾いた土の下は湿り気を帯び、掘るたびに土の匂いが立ちのぼる。


どれだけ掘ったかもわからない。

ただ、八人分をまとめて埋められるだけの穴を作る――それだけが目的だった。


汗が額を伝い、手の皮が擦り切れて痛んだ。

それでも誰も弱音を吐かない。吐けば、気持ちが崩れそうだった。


穴がようやく形になったころ、レナードとミロが洞窟から戻ってきた。

洞窟の出口から差した光が、ミロの肩の泥を照らしていた。


「……中の調査は完了した。連合との証拠品も回収した。

こちらは作業が完了したら追って報告する」

レナードの報告に、全員が短く頷く。そのまま二人も手伝いに加わった。


***


時間の感覚は曖昧だった。

昼を少し過ぎた頃から作業を始め、今では太陽が西に傾きかけている。

空の色がわずかに橙を帯び、木々の影が長く伸びていた。

(もう……四時間は経ったか)

誰かが言葉を交わすこともなく、ただ必要な動きだけが続いていた。


盗賊たちの亡骸は、戦闘の跡から一人ずつ運ばれてくる。


エドリックは一人の腕を抱え、静かに運んだ。

まだ温もりが残っているような気がして、指がわずかに震えた。

横ではミロが同じように体を運び、オズワルが位置を整える。

全員が一つの動作に集中していた。


八人の亡骸が、掘られた穴の中に並んだ。

時間が足りず、土はわずかに盛り上がっているが仕方がない。

誰の顔にも、もう怒りも恐怖もなかった。

ただ、無言のまま空を見つめるように静かだった。


レナードがその場に立ち、胸に手を当てた。瞳を閉じ、短く息を吐く。

その動作に続くように、オズワル、トマ、ダリル、エドリック、ミロもそれぞれ胸へ手を置いた。


誰も言葉を発しない。

だが、その沈黙の中に、それぞれの祈りがあった。

敵であろうと、人が死ねば同じ空に還る――そう信じるように、全員が静かに目を閉じた。


風が木々を揺らし、枯葉が一枚、墓の上に落ちた。

森の空気がゆっくりと動き、血と土の匂いを運んでいく。


ダリルが土を掴み、最初の一握りを落とした。

その音が合図のように、全員が続く。

土の匂いが濃くなり、夕方の光が木々の間を抜けて穴の中を照らした。

それは、戦いの終わりを告げるにはあまりに静かで、あまりに現実的だった。


エドリックは無言で空を見上げた。

鳥が一羽、森の向こうへ飛び去っていく。

彼はその姿を追いながら、胸の奥で何かを押し殺すように息を吐いた。


(……終わった、か)


誰も答えなかったが、その沈黙がすべてを物語っていた。


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