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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
46/69

第46話 血と土の匂い

森の空気が張りつめていた。

風は止み、木々のざわめきも消える。誰も動かない。矢羽がかすかに鳴り、息が胸の奥で静かに膨らんでは消えていく。


緊張が肌を刺すようだった。指先の汗が冷たく、呼吸ひとつがやけに重い。誰もが、風の音すら敵の動きに聞こえていた。


レナードの手が、わずかに上がった。

その瞬間、全員の呼吸が止まる。


ダリルがスリングを振り上げた。革紐が風を裂き、石が放たれる。

洞窟の奥で乾いた音が響いた。

「……なんだ!」

「誰か外にいやがる!」

叫びとともに、三つの影が洞窟の闇を割って現れた。


その一瞬を、ロランの弓が逃さなかった。

矢がうなりを上げ、先頭の盗賊の喉を貫く。

「な、ん——」と言いかけた声が途切れ、男の体が後ろにのけぞった。


二人目の盗賊が驚愕の表情を見せた瞬間、

――バコッ!

頭がはじけるような音を立てて砕けた。ダリルのスリングだ。中距離で放たれた石が頭蓋を打ち抜き、血飛沫が洞窟の入口を赤く染める。


三人目が慌てて叫ぶ。「敵だぁ!早くこ——いってぇ!」

言葉の途中で、ミロの放った矢がその足を射抜いた。

悲鳴が上がる。男の体が傾き、膝を折った瞬間、エドリックの投げナイフが二本、ほとんど同時に飛ぶ。

一つは腹に、もう一つは肩に突き刺さった。


「がっ!」

声にならない叫びとともに、盗賊が倒れ込む。

そこへ、ミロの二射目が放たれた。

矢が背中に突き刺さり、動きが完全に止まる。


数秒の沈黙。

洞窟の入口に、三つの影が倒れたまま動かない。

ロランは矢をつがえ直し、ダリルは新たな石を掴む。

ミロは弓を構え直しながら、耳鳴りのような静寂に耐えていた。


エドリックは距離を詰めず、倒れた盗賊の急所を狙ってもう一本のナイフを構えた。

「……念のためだ」

呟きとともに腕が閃く。だが、ナイフが放たれる直前――


洞窟の奥から、再び足音が響いた。

低い怒声が重なり、何人もの影が動き出す。


レナードが即座に声を上げる。

「次が来るぞ!備えろ!」


風が一気に吹き抜け、森の静けさが破られた。


「敵だ!仲間がやられた!ぶっ殺せぇぇっ!!」

一瞬、森が息を飲んだように静まった。

次の瞬間、地を蹴る音が一斉に爆ぜた。


怒号とともに、四人が一斉に飛び出してくる。

短剣、斧、棍棒――それぞれが武器を構え、怒りに任せて突進してきた。

その勢いに、地面の砂が舞い上がる。埃が陽光を裂き、空気が熱を帯びた。


その瞬間、二人が同時に動く。

ロランの弓弦が鳴り、一本の矢が最前の盗賊の眉間を貫く。

その直後、ダリルのスリングがうなりを上げ、もう一人の顔面を撃ち抜いた。

頭が跳ね、血が飛び散る。


「くそっ、あそこだ!木陰の中だ!」

一人が怒鳴った。矢の飛んできた方向を見抜いたらしい。

血まみれの顔を上げ、獣のように歯を剥いて走る。

「隠れてやがる!出てこい、この野郎!」


足音が地を叩き、距離が一気に詰まる。

時間が、ほんの一瞬、ゆっくり流れる。


「来る!」

エドリックが短く叫び、ナイフを構えた。

ミロも同時に短弓を引く。


放たれた矢が一人の腹に突き刺さり、エドリックの投げナイフがもう一人の肩を裂く。

だが、どちらも止まらなかった。

血を流しながら、叫びを上げて突っ込んでくる。


「まだだ!」

エドリックが次のナイフをつかみ取る――その瞬間。


手斧が飛んだ。

空気を裂いて一直線に走り、盗賊の胸に突き刺さる。

鈍い音とともに、男が前のめりに崩れた。

トマが投擲し、すでに次の武器を構えている。


もう一人の盗賊が怒号を上げて迫る。

その前に、オズワルが素早く飛び出した。短槍がまっすぐ突き出され、胸を貫く。


「がはっ!」

血を吐きながら、盗賊がその場に崩れ落ちた。


一瞬の間。

洞窟の中から、再び人影が揺れる。

ロランが素早く弓を引いた。


弦の音が鳴り、矢が放たれる。

次の瞬間、洞窟の口に現れた盗賊の頭に突き刺さり、崩れ落ちた。


血と土の匂いが入り混じる。

静けさが戻るまでに、わずか数十秒――

倒れた盗賊は、すでに八人に達していた。


***


レナードが手を上げた。

「――止まれ」


全員の動きが一瞬で凍る。

矢をつがえたままのロラン、石を握ったダリル、短槍を構えたオズワル――誰もが呼吸を潜め、耳を澄ませた。


森の静けさが、再び戻ってくる。

洞窟の奥は沈黙していた。だが、その闇の奥には、まだ何かが潜んでいるような錯覚が残っていた。熱と血の匂いが混じった空気が、気配を装って揺らいでいるだけなのに、誰も目を離せなかった。


ミロは弓を構えたまま、額から落ちる汗を拭うこともできずにいた。

心臓の鼓動が、耳の奥で鳴っている。

わずかな風が頬を撫で、血の匂いがその風に乗って漂う。倒れた盗賊たちの体から、まだ温もりが抜けきっていないのがわかる。


レナードは周囲を見渡し、低く声を発した。

「ロラン、ダリル――このまま洞窟を警戒してくれ。目を離すな」


二人は無言で頷き、再び矢と石を構える。

ロランの視線は洞窟の闇を貫くように鋭く、ダリルの指は革紐の感触を確かめるように緊張していた。


レナードは残りの面々に向き直る。

「それ以外の者は、一度集まれ」


その声には、戦闘の直後とは思えぬほどの冷静さがあった。

エドリック、トマ、オズワル、ミロが順に動き出す。

足音は抑えられ、地面を踏む音さえ慎重だ。


四人がレナードのもとに集まるころ、周囲は再び沈黙に包まれていた。

森の奥で鳥が一声鳴くが、それがかえって場の緊張を際立たせる。


レナードは倒れた盗賊たちを遠目に見渡した。一歩も近づかず、視線だけで数を確かめる。

「……八人」

低く呟き、わずかに目を細めた。


地面には血の跡が点々と続き、倒れた影が陽の光に淡く照らされている。

動く者はいない。だが、完全に死んだと断言するには早い――そんな直感があった。

風が吹くたび、衣の裾や髪がわずかに揺れ、まるで誰かがまだ息をしているように見える。


「洞窟側にいた連中は、小道で奇襲した八人を合わせて十六人だ。……おそらく全滅した」

レナードの声は低く落ち着いていたが、わずかに緊張を含んでいた。


エドリック、トマ、オズワル、ミロは静かに頷く。

それでも誰も武器を下ろさない。

洞窟の口からは冷たい空気が流れ出し、湿った匂いが漂っていた。

中は暗く、奥まで見通せない。何かが潜んでいてもおかしくはなかった。


「……だが、潜んでいる可能性はある」

レナードが言葉を継ぐ。

「このまま何もしないわけにはいかない。俺とオズワルで先に洞窟を確認する」


オズワルは短く「了解」と返し、短槍を構える。

その立ち姿には迷いがない。


「エドリック、ミロ」

レナードが二人へ目を向ける。

「確実に急所を狙える位置に移動しろ。もし洞窟内に伏兵がいて、俺たちが襲われた場合は援護を頼む」

二人は即座に頷く。


レナードが振り返りトマに声をかける。

「トマ。俺とオズワルより十歩あとに続いてこい。投擲と近距離、どちらも対応できる距離を保て」

「了解」

トマは短く答え、手斧の柄を握り直す。

その姿勢には緊張が滲むが、動きに迷いはない。


「……でも、危険すぎないか?もう少し待って、動きを見てからでも」

ミロが慎重に言葉を発する。それは仲間を心配してのものだった。


冷たい空気が肌を撫で、暗闇の奥で小石が転がる音がした。

それがただの風なのか、それとも何かの気配なのか――誰にもわからなかった。


レナードは短く息を吐き、ミロの方へ視線を向けた。

「……それが隊長と副隊長の役割だ」

淡々とした声だった。

「それに、この戦闘では俺はほとんど見ていただけだ」


言葉の端に、ほんのわずかに冗談めいた響きが混じった。

だが、誰も笑わなかった。

血の匂いと静寂が、冗談を許さない空気を作っていた。


レナードは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

「……笑えよ。まあいい」

そう言って剣の柄に手を添え、目を洞窟の奥に向ける。

「これから洞窟に突入する。その前に――オズワル」


「なんだ?」

短く返すオズワルの声も、普段より低い。


「倒れている死体を俺と一緒に確認するぞ。特に急所を外している奴がいるはずだ。

近づくときは気をつけろ」


その言葉に、全員の視線が同じ方向を向いた。

崩れた岩の影、血溜まりの手前――足を貫かれ、腹と肩を撃たれ、背中に追い打ちをかけられた盗賊がいた。

地面に伏して動かないが、あのときも声を上げなかった。

エドリックは、無意識に息を詰める。

(……あいつか)

思い出した瞬間、背筋に冷たいものが走った。


ミロもその方向を見た。

矢が刺さった背中は赤黒く染まり、動く気配はない。

だが、光の角度でわずかに影が揺れる。

それが風か、それとも……。


レナードが静かに言葉を継いだ。

「本当はここから止めを刺したいところだが、もし死んでいるならそれは盗賊と言えど死者への冒涜になる。だから――慎重に確認しろ」


オズワルは頷き、短槍を構え直した。


レナードは警戒を続けているロランとダリルのもとへ向かった。

三人の小声までは判然としない。


だが、身振りから見て、次の行動を確認しているのは明らかだった。

ロランは弓を構えたままわずかに頷き、ダリルもスリングを握り直す。

その緊張が距離を隔てたこちらまで伝わってくる。


レナードは短く腕を上げ、合図を送った。

オズワルが頷き、槍を構えたまま洞窟の方へ向かっていく。

金属の留め具が小さく鳴り、足元の砂を踏む音がわずかに響いた。

レナードもその背を追い、二人は血の匂い漂う空間を抜けて、洞窟の口へと近づいていく。


トマも二人の後を後方からゆっくりと追いかけだした。


その間、エドリックとミロは静かに位置を移していた。

洞窟に近い斜面の岩陰に身を潜め、互いに距離を確認する。

ミロは弓を構えたまま、視線を前へ。

エドリックは投げナイフを指に挟み、いつでも放てるようにしている。

二人の間を吹き抜ける風が、まるで合図のように一瞬止んだ。


「……」

エドリックは短く息を吐き、ナイフの刃先をわずかに傾けた。

陽光が反射し、細い光が一瞬だけ閃く。

二人の間には言葉はない。だが互いに、何かあれば即座に動くと理解していた。


遠くで、何かを小突くような音がした。

オズワルが死体を確認しているのだろう。

それでもエドリックの心拍は速くなっていく。


(……嫌な感じがする)


静けさが濃くなり、耳鳴りだけが残った。

どれだけ見つめても、洞窟の奥は黒く沈んだまま――何も見えない。

それが、何よりも不気味だった。

闇の底で、石が触れ合うような微かな音がした――気がした。


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