第6話 前編
此処は何処だろう?
辺りは真っ青で、他にはなにも見えない。
僕の名前はなんだっけ? どうしてこんなところにいるんだろう? 誰かいないの?
解らないことだらけで、頭が痛くなってきたぞ
ふと、視界がよくなってきた。真っ青だった景色が揺らいで、他のものもはっきりと見える。微かに揺れる水草、大きな岩をびっしりと覆う苔、緑色の小さな魚が、群れになって泳ぐ。それを見て、水中にいるのだとわかった。不思議と、陸上にいるときと同じように呼吸ができる。
もう少したつと、白い砂が一面に広がっているのも見えてきた。所々に、幾つもの光りが差し込んで、キラキラと反射する。眩しい。
思わず目の上に手をかざした。そのとき初めて、自分の腕を見た。
白い。死人のように白い腕だった。とても華奢な細い腕。それに赤ん坊の腕のように、短い。
見ているのが辛くなって、腕を下ろした。
そのとき、自分の数メートル先に、人が倒れているのが視界に入った。
確かに人だった。岩と岩の間で、ぐったりと横たわっている。
思ってもいない出来事に、目を見張った。
あれは誰だろう? もしかしたら、僕と同じように、此処で迷子になったのかもしれない。 胸が高鳴る。仲間を見つけたような、わくわくした気持ちが、心を駆け抜けた。それと同時に身体がふわふわして、浮くような感覚がしはじめた。景色が動く。
気がついたら、その人のすぐ近くに来ていた。
金色の髪の、男の子だった。
しばらくの間、その少年に魅入ってしまった。端整な顔立ち。目鼻立ちがくっきりしていて、人形みたいだ。長いまつげが揺れる。
女の子のようだけど、きっと男の子だ。
確信に似た気持ちだった。
金髪が陽光に反射して、宝石のように光り輝く。背中に真っ白な羽根が生えていてもおかしくないぐらい、綺麗な少年だった。サラサラの髪と服が、競うように互いに揺れる。
その瞼の奥の瞳を見てみたいと思ったが、あいにく目はしっかりと閉じていた。
そういえば、顔も青白い。薄い唇がほんの少し開いて、まるで空気を吸おうとしているかのようだ。どこかが違う――
死んでいるのかもしれない。
そう思った途端、この少年を助けなければ、と半ば使命のようなものを感じた。
自分の短い、赤ん坊のような両手を伸ばし、男の子の背中に差し込んだ。ちょっと力を入れただけで、すぐに身体が浮く。
見た目より、体重が軽いのかもしれない。
そんなことを思いながら、無意識に地面を力強く蹴り、水面に向かって泳ぎだした。陸は、かなり高いところのように思えたけど、段々とスピードがでて、すぐに水面に着いてしまった。
近くに岸を見つけて、そこに少年の身体を横たわらせた。自分も水から出て、陸にあがる。
その途端、身体の感覚が、急にはっきりしてきた。
首の上が重い。きっと頭が乗ってるんだ。腕もある。指もしっかり動くみたいだ。
足の感覚もしてきた。しっかりと、地面を踏みしめている。
湿った土の柔らかい感触も、皮膚を伝って感じ取れた。感激で、少しの間ぼうっとしてしまった。無意識に、自分の足に目を移す。そして、またしても自分の醜い身体に肩を落とすことになった。
足は、真っ黒だった。まるで焦げてしまったように、黒い。そして、枝きれのように細いのだ。
溜め息をついて、自分の足から視線をそらした。
とりあえず、歩ける。それでいいか。
辺りは、見たこともない景色だったけど、少年の身体のほうが気がかりだった。すぐに心臓のあるところに耳をあて、動いているか確かめる。――心臓は、止まっていた。
しかし諦めきれず、他のところの脈も計ってみる。はたしてどの脈も、動いていなかった。体温も、ものすごく低い。それどころか、どんどん冷たくなっている。
このままじゃ、ダメだ――!
そう思ったとき、自分の両手が明るく光りだしているのに気づいた。驚いたけど、ほのかに温かい、優しい光になんとなく安心する。手を広げてみると、光りが強まって、辺り一面を照らし出した。何も考えずに、少年の身体に光り輝く両手を置く。それだけでは足りない気がして、少年を引き寄せ、短い腕を精一杯伸ばして、包み込んだ。少年の身体が温まっていく気がする。小さな希みをたくして、長い間、両手で少年を温め続けた。
「お前・・・・誰だ? そこで何してる?」
どれくらいたったのだろうか、背後で声がした。
陸に上がったときから、なんとなく気配を感じていたので、あまり驚かない。ゆっくりと、振り返った。小さなこうもりが、茂みから顔を出し、こちらの様子を伺っていた。大きな金色の瞳が目立つ。こうもりが喋ったことには驚いたが、相手も自分の容姿に驚いているようだ。とりあえず何か喋ろうと口を開け、パクパクと動かしてみた。微かに音がする。
「・・・お、お前こそ、誰だ?」
素直に言葉が出てくる。
声は、思ったより澄んでいて、きれいだった。例えるなら、まだ声変わりのしていない、幼い男の子の可愛らしい声。自分が喋ったことに、相手が更に驚いているのが解った。
しばらくの沈黙。
なにも喋らず、静かに互いを見つめる。こうもりを見ながらも、少年を抱く腕の力は弱めなかった。こうもりが、数歩前に出てくる。本当に小さい。
「・・・・そこにいるのは誰だ?」
少年に気づいたようだ。
腕のなかでぐったりと横たわる少年を、じっと見つめている。その視線につられて、少年のほうに目を移した。――その途端、驚愕で目を見張った。
なんと少年の頬に赤みが差して、ほんのりと淡いピンク色に染まっている。それに、呼吸の音も微かに聞こえるのだ。慌てて脈を計ってみる。――心臓は、正常に動き出していた。
「生きているのか?」
こうもりがすぐ近くまで来ていた。声が、僅かに震えている。こうもりが自分を見たので、しっかりと頷いてやった。こうもりは信じられないというかのように言葉を失い、ただ息を吹き返した少年を見つめるばかりだった。
本当に、生き返ってる。
自分でも信じられなかった。恐らく少年を救ったのであろう自分の両手は、まだ強い光を放ち続けていたが、そっと、少年の身体から離してみた。少年がまた死んでしまうのではないかと恐怖が駆け抜けたが、少年は依然しっかりと呼吸を続け、体温も戻りつつあった。
「・・・あんたが、アデルを助けたのか?」
唐突に、こうもりが問う。戸惑ったが、静かに頷いた。こうもりが、今はもう小さくなり始めた光る両手を見つめる。
「その両手か・・・?」
頷く自分を見て、こうもりがふっと頬を緩める。きっと笑ったのだ。
「・・・・・そうか。それじゃああんたは、アデルの恩人だ」
「・・・おん・・じん」
「そうだ。命の恩人だ」
こうもりが、小さな子を諭すように優しく言う。ムッとするはずなのに、不思議と腹が立たない。
「でも、どうしてこの子が助かったのか・・・・知らない」
こうもりは、しばらくこちらをじっと見つめたが、ふと息を吐き出して、口を開いた、
「俺様だってそんなもん、知らないさ。・・・・とりあえず、此処は湖の近くで危険だ。もっと茂みの奥に入ろう」
どうして湖の近くが危険なのか解らなかったが、こうもりの真剣な瞳をみて、頷いた。
こうもりはひらけた場所を見つけると、こちらを向いて、此処にしようと言った。頷いて、腕に抱いていた少年の身体を地面にそっと下ろす。少年の意識はまだ戻らなかったが、しっかりと呼吸していることがわかって、ほっとした。すぐに腰をあげて薪を拾いにいこうとしたが、どうやったのか、いつのまにかこうもりの目の前に明るいオレンジ色の炎が暖かく燃えていた。
「薪は、拾いにいかなくてもいいぞ」
きょとんして炎を見つめているのを見て、こうもりが言った。
「・・・・お前は、魔法使いなのか? ・・・・なにもないところから、炎をだした」
こうもりが、ゆっくりと振り返る。
「・・・・魔法使いではないが、魔法は多少使える。どうしてなのかは、今説明すると長くなるから、また後だ。あと、俺様をお前などという汚らわしい言葉で呼ぶな。――虫唾が走る。ディスパーだ」
「・・・ディスパー」
「ああ。ディスパー様でもいいぞ」
こうもりが真剣な顔で言った。何かを期待するかのように、返事を待つ。
「・・・僕は、ディスパーと呼ぶ」
途端にこうもりはつまらなそうな顔でふくれ、そっぽを向いた。
「あっそ。ふん! いいさ。いつだってそうだ。俺様はいつも、どんな下等生物にも呼び捨てにされてきたんだ。まさかお前みたいな、何処の誰かわかんない野郎にでさえも呼び捨てにされるとはな。とんだ侮辱だ」
こうもりの態度には驚いたが、なんだか親しみを感じて心の中で、クスリと笑った。
「だけど・・・・・僕、下等生物じゃない」
ぼそりという。ディスパーは、驚いた顔でこちらをじっと見つめる。
「・・・・お前、人間か?」
「・・・・わからない」
途方にくれて言う。声が震えていた。
「お前は、今までどこに居た?」
「わからない。でも、湖のなかで意識を取り戻した」
「湖? どういうことだ。水中で息が出来るのか?」
頷く。確かに、湖の中でも苦しくなかったのだ。同時に背中に悪寒が走る。
今になって、自分が誰かわからないことに恐怖を感じた。このこうもりなら助けてくれる気がして、乞うように金色の瞳を見つめる。
「自分はどこの誰で、どういう生き物なのか、性別さえもわからないのか?」
「わからない。でも・・・自分は男だと思う」
「・・・・・何故だ?」
わからない。本当に曖昧な気持ちだったが、男だと、自信をもっていえる自分がいたのだ。それを、こうもりに告げる。
「・・・ふむ・・・じゃあ、ちょっと立ち上がって」
言われた通りに、立ってみる。少しよろけたが、さっき歩けたのだから、大丈夫。すぐにバランスをとって真っ直ぐに立つことができた。
ディスパーは小さな羽で舞い上がり、頭のてっぺんから足の先まで観察した。
「・・・・・お前、自分の容姿をみたことあるか?」
一通り身体を観察し終わり、少し考えた後、ディスパーは唐突に問うた。
静かに首を横に振る。
湖の中で腕をみ、陸で足を見ただけで他の部分は見たことがない。むしろ、見たくなかった。腕といい、足といい、まるで継ぎ接ぎだらけの古びた人形のようで、見ていて辛い。
「じゃあ、見てみたほうがいい。それでどう感じるかしだいで、わかるかもしれない」
その言葉に反応して、思わずディスパーに詰め寄った。
「本当か? 本当に僕が誰だかわかるの?」
「全てが解るわけじゃない。ほんの少し、お前の情報が手に入るかもというだけだ」
「それでもいい。なんとかなるなら」
「・・・よし。湖は危険だから、俺様が直々に鏡を出しやる。ありがたく思うんだな。じゃ、ちょっとついてこい」
偉そうに言うディスパー。少年――アデルの様子をちらりとみて、まだ意識が戻らないことを確認すると、ディスパーについて茂みの少し奥のほうに行った。少年には、自分の醜いであろう姿を見せたくなかったのだ。
茂みの中は、意外と通りづらく、枝や棘に引っ掛かっては舌打ちをして枝切れのような指で不器用に外していく。そんなこんなで、ディスパーがいるところまで行くのに、随分時間が掛かってしまった。やっとディスパーを発見した頃には、とっくの当にまたも何処からか鏡を取り出し、待ちくたびれたというように鏡の縁に頬杖をしていた。
「おっせぇぞ。さっさと鏡の前に立て」
いわれたとおり鏡の前に立つ。しかし覚悟が決まらず、目をつぶってしまった。一度後ろに下がり、再度鏡の前に立ってみる。しかし、やはり目をつぶってしまった。自分が本当に醜い姿だろうという直感が確かにあり、それが恐怖へ繋がっていたことに今更になって気づく。何度かそれを繰り返しているうちにディスパーも痺れを切らしたのか、大きく避けたくちを開いた。
「おい何してんだ。意味ないだろ」
わかってる。そんなのこと、自分が一番解ってる。自分のやっていることが、時間の無駄でしかないことは。ただ鏡を見るというだけで、こんなにも取り乱す自分が不思議で、歯がゆくて堪らない。不意に、涙が出そうになった。
「大丈夫だから、ちゃんと自分に向き合え」
厳しくも、優しくも聴こえる言葉だった。ディスパーがどこか優しげでそれでいて何を考えているのかわからない、不思議な眼差しで見つめていた。その言葉が、眼差しが、快いと感じる。瞼を開け、しっかりと自分を見つめた。
まず、服を着ていた。当たり前のことのようだけど、服を着ている感覚が全くなかったのだ。それが皮膚かのように、自分の身体にとても馴染んでいた。服には、大きなフードがついていて、顔と頭を隠している。震える手で、ゆっくりとフードを外してみた。顔をみるのは後にして、頭を見てみる。頭には、ちゃんと髪の毛が生えていた。赤茶色の柔らかい髪の毛。首の辺りで、短く切ってあった。髪の毛が普通だったことにほっとしながら、まだ顔を見る勇気が出ず、胴体を眺めた。身長は、大体十二〜三歳の子供で、体型は標準。
しかしやはり腕と足は不格好で正反対だった。後ろを向いてみて、首の右下に何かが描いてあるのが見えたが、見るのが怖くて、気づかない振りをする。背中には特におかしな部分は見受けられなかったが、顔を見る覚悟が出来ず、しばらくグズグズと背中を眺めていた。そんな様子を、ディスパーは一言も言葉を発さずに静かに見守っている。
しばらくして前に向き直ると、息を深く吸い込み、正面から自分の顔を見た―――
喉の奥のほうで、ヒュッとおかしな音がする。自分が息を飲み込んだ音だと、後から気づいた。
それは、見るもおぞましい姿だった。




