第6話 後編
右半分は、人間の顔だった。黒い瞳が、きらきらと光を放っている。鼻の頭にはそばかすが散らばっているし、血色のいいピンク色の唇も普通だった。男とも女とも見れたが、とにかく普通の子供の顔だったのだ。しかし――左半分は、言葉に出来ないほどぐちゃぐちゃに崩れていた。もはや、人間の顔かも妖しい。まず、皮膚がなかった。右の顔の皮膚がほんのりとピンク色で健康的なのと対照的に赤黒い肉の筋一本一本が、不気味なほど鮮明に見える。白い骨もところどころ見えていて、痛々しい。そして、口に歯はなかった。あるのは、左右の上下に、鋭い牙が一本ずつ。黄色っぽく変色した牙には、その先端で皮膚を、肉を食いちぎった痕跡が、茶色い無数の染みになって生々しく表れていた。目は狼のように鋭く濁っていて、今にも泣き出しそうかのように、潤んでいる。
気づいたら身体中が震えて、地面に膝をついていた。身体が宙に浮いてしまうような、フワフワした気分だ。まだ、この姿を現実に思えない。こんなに恐ろしい光景を、生まれて初めて見た気がした。ディスパーが同じ目線のところまで降りてきて、瞳を覗き込む。瞬きした途端、鏡が目の前から消えた。
「・・・・どうだ? なにか感じなかったか」
荒い息のまま、ディスパーを見て、僅かに首を横に振る。今は、それが精一杯だった。
そうか、と呟くと、ディスパーは目を逸らし、天を仰いだ。
「戻ろう。…悪いな。お前にはショックが大きすぎたようだ」
ディスパーが背を向けたまま、本当に申し訳なさそうにいう。大丈夫だよと言いたかったのに、言葉が出ない。声がなくなってしまったようだ。息を吸ってみて、口の中が乾いていたことに気づいた。もう一度息を吸い込んで、立ち上がる。フードを深く被りなおしてから、ディスパーの後を追った。
アデルのいる場所に戻るとまだ温かい炎が燃えていて、ほんの少し、気持ちが落ち着いた。ディスパーが座るよう促したので、アデルからできるだけ遠ざかって地面に腰をつける。ディスパーはアデルの近くまでいって顔を見つめ、心臓の音を確かめてから正面に座った。
「…アデルは、いつ目を覚ますと思う?」
しばらくして、口を開いた。ディスパーはぼんやりしていたのか、ビクリと小さく身を震わせ、アデルをちらりと見た。
「……いつ目を覚ましても、おかしくない。――身体は正常なんだ。しかし魔法のかかった湖にしばらく浸かってしまった。魔力が消えているかもしれないし、体質も変化してるかもしれない」
ディスパーが深刻そうに言った。
「アデルは、魔力をもっているの?」
「…ああ。そういえば、お前はまだいろいろと知らないことがあったな」
「教えて。知りたい」
ディスパーは困惑したように視線を泳がせ、困ったように見つめた。
「俺様もできることなら教えてやりたいが、お前の正体がわからない以上、個人情報はふせておくべきだと思うんだ。――お前の今までの記憶が消えているのは解る。そして、多分一度は死んでいる身体だということも。でも念には念を――」
驚愕で、口がだらしなく開く。ディスパーをまじまじと見つめ、嘘をついているわけではないことを確かめた。
「本当か? 僕は、一度死んでしまったの?」
「多分な。お前の身体を見たかぎりでは。あんな状態で、現在まで生きていられたはずがない。どういうわけでお前が生き返って、この場に姿を現したのか知らんが。お前が一度はこの世から姿を消した者だといいうことはほぼ確信に近い。ああ、もとは人間だろう」
「……そう」
なんだか力が抜けてしまった。心が軽くなったような気もするし、残念なことのような気もする。自分がわからなかった。
「とりあえず、お前は行く場所がない」
ディスパーが唐突に言った。
「この場所で生きていける保障もない。なにを食べるのかわからないし、もしかしたら何も食べなくてもいいのかもしれないが…そう言った事がわからない以上、お前はこの場所から身動きがとれないわけだ。そうだな?」
頷く。確かにディスパーが居なければ、自分は一人でここに立ち尽くし、またも死んでいたのかもしれない。
「ってことで、少しでも知識のある俺様がいないと、お前はダメなわけだ。…だから、特別にお前の情報が手に入るまで、俺様と一緒にいることを許可しようと思う」
無意識に頷いた。嬉しいことなのだろうが、感情がうかんでこない。
「どうだ?」
ディスパーが顔を覗き込む。思わず顔を背けてしまいそうになったが、ふと気づいた。ディスパーは自分の醜い顔を見ても、表情一つ変えない。普通の人間を見るかのように、自然に見てくれるのだ。その視線が心地よいことに、今頃気づく。
「…嬉しい。とてもありがたいことだ」
できるだけ感情をこめていったつもりだったが、なんとなく棒読みのようになってしまった。さっきより、感情の出し方が不器用になっている気がする。ディスパーはしかめっ面をすると思ったが、案外優しげに頷いてくれた。何か言おうと、口を開く。
ディスパーの動きが止まった。目を見開いて、一点をじっと見つめている。
「アデル――!」
ディスパーが叫んだ。弾かれたようにアデルを振り返る。
一見さっきと何も変わっていなかったが、ほっそりとした腕が微かに動いている気がした。いや、本当に動いている。伸びきった指がピクリと動き、地面の土を引っかく。一度は力が抜けてしまったが、もう一度動き、今度はしっかりと土を、緑色の草を掴んだ――
目を見開いて、じっとアデルを見つめていた。ピクリとも身体を動かさない。いや、動けなかった。一度死んだ人間が、動いている。信じられなかった。
「……アデル」
漏れ出たような、ディスパーの声。憑かれたように、アデルを見つめる
瞼が、ゆっくりと開く。――――その吸い込まれそうな青い瞳は、穏やかな波ように優しく凪ぎ、辺りを見回すと、自分に向けられた。途端、意識が朦朧とする。青い瞳を中心にして、世界がグルグルと回る。吐き気を覚えた。そして、次の瞬間には真っ暗だった。




