第3話
王宮から帰るときも、いつもの賑やかさはなく、まったく人気がなかった。アデルは少し気にしたものの、これから行く危険な宝探しのことで頭がいっぱいで、すぐに気にしなくなった。それに、行くときよりもあまり時間はかからなかったように思える。
五つの宝石の地図は、国王から直々に手渡せられた。最初に行く場所はなんと「怪物の洞窟」だった。アデルは最初にこの文字が目に入ると、驚愕で地図を落としそうになった。
「怪物の洞窟」とは、イースタンビレッジに隣接するノーザンビレッジとの境にある、怪物の存在がほぼ間違いなく確認されたと村人から恐れられているところだ。
昔、ノーザンビレッジに住む血の気の多い男たちが、あんまり村人が怪物、怪物と騒ぐので、本当に怪物がいるのかと調査をしに洞窟へ行ってみた。しかし、いくらたっても帰ってこないので、村人たちが捜索隊を出すと、その洞窟の前で男たち全員の遺体が発見された。巨大な爪のような、鋭い刃物でズタズタにされた無残な姿で。また、本当に怪物を目撃したという者も数人現れ、怪物は実在するものだと分かった。それからは村人たちは、その洞窟を「怪物の胴窟」と呼ぶようになり、誰も近づかなくなった。
そこに在るとされている宝石は「ルビー」
アデルは生まれてこの方、「ルビー」なんて高価な宝石、みたこともなかった。アデルはこの地図と説明を読むと、改めて自分がとても恐ろしく、危険な旅へ行くことを実感した。それにこれは、アデルの家族と王族だけが知っている、極秘の旅なので自分が魔術師のアデル・ノードリーだということと、旅の目的を国民に絶対に洩らしてはならないと、忠告された。
アデルは家に帰り、準備ができ次第旅立つことを両親に伝えると、荷物をまとめに部屋にこもった。しかし――正直言って、アデルは荷物といっても、何を持って行けばいいのかさっぱり分からなかった。旅行でさえまともに行ったことが無い。とりあえず、地図と、寝袋、水、毛布・・・・・・
下の階では、クラリスが泣きじゃくって、フレッドがそれを必死で慰めている。クラリスのキンキン声が、響いてきた。
「酷い! こんなのって・・・あんまりじゃない! 帰ってきてすぐに旅に出るなんて。ましてやそこが怪物の洞窟なんて。酷すぎる! 私、国王に文句を言ってくるわ! うちのアデルがあんな危険なところへ行くなんて許せない!」
クラリスがドスドスと玄関の方へ行く音がした。フレッドが慌ててクラリスを落ち着かせようとめちゃくちゃなことを言い始める。
「お――落ち着けクラリス。大丈夫だ。アデルはもう大きくなった。前みたいな、幼い子供じゃない。・・・陛下にだって、何か・・・・お考えがあるのかもしれないし。それに文句を言ったって、聞いてくれるはずないじゃないか。相手はこの国の王だ。僕らが太刀打ちできる相手じゃないんだ。・・・・解ってくれ、クラリス――」
「じゃああなたは、アデルがあんな恐ろしいところへ行って無事に帰ってくるのを、指をくわえて此処で待つっていうの? とてもじゃないけど、私には無理よ! わが子がいつ怪物にやられて死んでしまうのか解らないのに・・・・・・信じられないわ・・・・・あの子、魔法なんか一度だって使ってないのよ? 本当に魔術師なのか、疑うのが普通よ・・・・」
クラリスは力が抜けたように床にへたり込んだようだ。もう暴れる音はしてこない。フレッドが安堵の溜め息を吐いて、アルを呼んだ。その顔が、悔しそうに歪んでいるのを、なんとなく想像できた。 突然のお呼びで、隣の部屋からドタドタと不器用に部屋を出るアルの足音がする。フレッドは、アルの信じられないくらいの馬鹿力を借りて、母さんを抱き上げ、ベットに運び込むのを手伝わせるみたいだ。
アデルはそのやり取りを、おかしな気分でぼんやりと聞いていた。自分がクラリスやフレッドの態度を、嬉しく思うべきか重荷に思うべきか、解らない。
アルはというと、八年前、アデルが魔術を使うのを断って以来、更にアデルに嫌悪を抱くようになり、ロクに口も聞かなかった。最初こそ寂しく思ったものの、もともとアデルもアルに好意を持っていたわけでもなく、あまり気にしなくなった。
しばらくしてから、アデルはこれでいいのかと、自分の荷物に不安を覚えながらも仕度を済ませた。その後、フレッド達が二階へ行っている隙に、こっそりと台所にいき、食糧を調達した。ここに残る家族のことも考え、あまり多くは持っていけなかったが、足りなくなったら近くの村で調達すればいいと思った。旅に必要な費用は、国から余るほどもらっている。
全ての仕度を終わらせて、部屋に戻ると、なにもすることがなくなってしまった。時計をみると、まだ寝る時間にしては早い。太陽も、沈みきってしまうのを惜しむかのように、西の低い空にぼんやりと浮かんでいた。アデルはしばらく部屋の中を当てもなく歩き回った。
そして、ある決心をすると、引き出しから細長い小さな便箋を取り出し、ペンをインクに浸した。一瞬躊躇したが、意を決して、何かを書き始める。文章は、出来るだけ短いものにした。あんまりだらだら書いていたら、夜が明けてしまうだろう。アデルは殆ど走り書きに近い、らしくない乱雑な字でさっさと書き終えると、丁寧に小さく折りたたんだ。
リビングにいくと、案の定、誰もいない。灯りが消えていたことからして、みんなもう自分の部屋に引き上げたようだ。アデルは、テーブルの上に折りたたまれた便箋を置いた。
―――途端、様々な感情が、渦を巻いて身体の奥底からこみ上げてきて、いてもたってもいられなくなった。
哀愁、後悔、怒り、不安、緊張、恐怖、戸惑い、愛しさ、寂しさ、義務――もろもろの感情が、渦を巻いて激しさを増す。身体がバラバラに引き裂かれるような痛みが、何度も全身を走り抜ける。
今ここで、何もかも破り捨てて大声で泣き叫びたい衝動が、体中を駆け巡る。
アデルは、静かに佇んだまま、制御できなくなった激しい感情の渦と必死に闘った。いつの間にか握り締めてい拳に、力がこもる。息が荒い。落ち着こうとして、深呼吸をしてみたが、上手く肺に空気がいかない。頭がおかしくなってしまいそうだ。
しばらくして、何とか泣き叫びたい衝動からは脱した。アデルはもう一度、落ち着こうと深呼吸を繰り返す――――
不意に、涙が一つ、青白い頬を伝って、テーブルに落ちた。
自分でも驚いて、涙の通った後を指でなぞる。確かに、湿っていた。
しかしそれに続いて落ちてくる滴は、ない。それだけだった。たった一粒。
誰にも気づかれず、アデルはこの家、この家族、この村――これまでの全ての思い出と、別れを告げた。
これで、もう二度と後戻りはしなくていい。
アデルは、濡れた頬を拭うと、前を見て、息を吸った。気分が少し、すっきりする。
アデルは便箋を置いたほうを一度も見ずに、自分の部屋へ戻った。
明日には、出発することにした。
時刻は、五時三十分・・・いつもと同じ朝だ。
アデルは、この平凡な朝に、これからとても危険な場所へ宝探しに行くなんて、まだ信じられなかった。
「魔術師・・・」
アデルは、一音一音はっきり発音しながら、小さく呟いてみた。やっぱり、「魔術師」という言葉はしっくりこない。大きくため息をつくと、またドサリとベットに倒れこんだ。
ふと、何かの気配を感じ、起き上がって辺りを見回してみた。誰もいない。
「?・・・・」
確かに気配が感じられたのに。
アデルが魔術師になったあの日から、アデルの五感は、人並み以上に鋭くなった。気配を感じて、後ろに誰もいなかったことなど、初めてだ。
「おい・・・魔術師アデル」
突然真上から、揶揄を含んだような、それでいて少しイラついてるようなガラガラ声が響いた。アデルは驚いて天井を見あげた。何かが、シュッと、すごい速さで動く。
「!?・・・・」
今まで聞いたことのない声だった。
「だ・・・・・誰? 誰かいるのか?」
アデルは、今の声がどうか空耳でありますようにと願いながら、小さく問いかけてみた。
何も起きない。
やはり空耳かと思い始めたとき、今度は背後から間近に声が聞こえた。
「おい! ・・・・俺様に向かって誰だとは何だ! 新米魔術師のくせに」
アデルは全身に鳥肌がたった。
な、なんだ? また魔術師になった証の焼き印みたいなものか。
アデルは覚悟を決めてゆっくりと首を回し、声がしたところ見てみた。
こう・・・もり・・・?
とても小さなこうもりが、アデルを見上げている。グリグリとした金色の瞳が気味悪くギラリと光った。
まさか・・・・こうもりが喋るわけな――
「こうもりが喋らないなんて誰が決めたんだ! あ? 言ってみろ! ・・・・ったく、世間知らずのガキんちょが! 俺様はこうやって話してるじゃないか!」
アデルの心の中を見透かしたように、こうもり(?)はすぐさま怒り狂って否定した。
「確かに・・・・こうもりが・・・・・喋ってる!?」
アデルは心底驚いて思いきり後ずさった。こうもりのようなものは早口で言ったが、アデルはこうもりの大きく裂けた口が、それに合わせて素早く動くのを、はっきりと見たのだ。
こうもりは、アデルの反応に満足そうな意地汚い笑み浮かべ、少しくすんだ金色の瞳で、アデルの顔を覗き込んだ。
「おいお前、驚くタイミングがおかしいぞ。やっぱりまだまだ新米魔術師だな。ふん! 俺様がそういうこともまとめて教え込まなきゃならんようだ。こりゃ大変だ・・・・・」
大変などといいながら、こうもりはなんだか楽しそうだ。―――
ちょっと待てよ、こうもりが言った「教え込む」って、いったいどういうことだ?
こうもりはバサっと宙を舞い、アデルの目の前のベットに着地した。
「お前、名前はなんだ? ジョンか? ボブか? ――ほらさっさと答えろよ」
アデルは突然の問いかけに戸惑い、一瞬自分の名前を忘れかけた。が、すぐに思い出し、金色の不気味な瞳を見ないように、出来るだけ平静を装って言った。
「ア―アデル・ノードリー。君は・・・・・名前なんてあるの?」
「なんと無礼な! この俺様に立派な名前がないとでも思ったか?」
こうもりが怒り狂って大声を出した。アデルは慌ててこうもりに囁いた。
「あの・・・・ごめんなさい・・・・悪かったよ。分かったから――その・・・あまり大声を出さないで。母さんが起きてきて、パニックになっちゃう・・・・」
こうもりはそれを聞くと、少し落ち着いて怒鳴るのをやめてくれた。
「・・・・ふん。いいだろう。お前のお袋が俺様を見て、外におっぽり出されるのも困るし――いいか、よーく聞け。俺様の名前は、ディスパーだ。姓はない。姓など要らん・・・・・そんな面倒なもの。――人間は、姓というものを盾にして有名になる奴がいるが、インプにとっちゃ、そんなもんで有名になったって嬉しくもなんともない。いいか、名声や栄光は自分の手でぶん捕るもんなんだ。だから姓をもつ人間は、俺様達異界の者たちから下等生物として見られるんだぞ」
こうもりは小さな胸をいっぱいに張って自慢した。
アデルはこんなこうもりにも名前があったんだと、少し意外に思った。
「なんだ? 俺様に名前があっておかしいか?」
こうもりはまたアデルの心のなかを見透かした。アデルは不思議に思ってこうもりに問うた。こうもりはそれを聞くと目を見開き、また大声を出しそうになったが、さっきの話を思い出し、小さめの声で怒ったように言い始めた。
「まさかもなにも――当たり前だ。俺様を誰だと心得る。異界からの使い、インプ様だぞ。しかもインプの中でも階級の高いものだ。新米魔術師の心の中など簡単に見透かせる」
ディスパーはここで一度切って、アデルの顔を見た。
「テレパシーを使えるってことだ。ま、お前が一人前の魔術師になった暁にゃあ、そういうこともできなくなるがな」
「イ・・・・インプ?」
アデルは聞きなれない言葉をきいて、思わず聞き返した。こうもりはまたもや目を見開いた。
「お前、インプも知らないのか?・・・・ったくしょうがねえ奴だな。・・・インプは、異界の小悪魔のことだ。分かるか? ちょっとした魔術も使える。新米魔術師が生まれるとインプが順番にこの世に来てお前らに魔術を教えたり、しもべとして下につかえる。――言っておくがな、俺様はお前なんかのしもべには死んでもならないつもりだからな。覚えとけ! ――ま、大半の魔術師は魔術の力を得た後すぐ死刑にされちまうから、最近は俺たちインプの出番もなくなってきたわけよ。わかったか?」
こうもりはここで言葉を切り、疲れたというように布団の上にストンと腰を付けた。
「異界からここまで、一気に来て疲れてるんだからあんまり話しかけるなよ・・・・」
ディスパーは小声で言った。
アデルは今のこうもりのグチを無視して、さっきの話を頭の中で整理していた。
ふと、アデルの頭の上に一つのクエスチョンマークが浮かびあがった。
「ちょっと待って。君、インプなんだろ? ならどうしてこうもりなんかの姿になってるんだよ」
「これか?」
ディスパーは、こうもりの羽の部分を指した。アデルが頷くとディスパーは少し得意げに話し始めた。
「これは、俺らインプがこの世に降りてくるときに、そのままの姿じゃあ目立って落ち着いて魔術を教えることができなくなるからだ。それに、俺たちの本当の姿を見たら――ヒヒッ・・・・お前ら人間は、腰抜かしちまうよ。だから降りてくるときには、何かの動物、もしくは小さな虫みたいな目立たないものに姿を変えてくるんだ。そういう法律がある。俺様の場合、このこうもりの姿が一番居心地良かったんで、このこうもりの姿のままなんだ。さぁそろそろ質問攻めはやめてくれないか? じっとしてるのは俺様の性に合わん。さっさとこの家を出るぞ」
アデルはハッとして時計を見た。もう五時五十分・・・母さんたちが起きてくる時刻だ。アデルは急いで枕元の荷物と着替えに手を伸ばした。それと同時に上の方からガチャリと部屋の扉が開く音がした。思った通り、母さんが起きだした。
アデルは急いで階段を駆け下りた。
「アデル? ――アデルなの?」
母さんの声が近づいてくる。アデルはテーブルの上の便箋を確認し、台所からパンと水をひったくると、玄関を飛び出した。鍵は持たない。もう必要ないだろう。
扉の隙間から、母さんのブルーのネグリジェがちらりと見えた。
「おい。俺様が肩に居ること、忘れてないだろうな。さっきから五回も落ちそうになってるんだ。もうちょっと気の利いた歩き方をしろよ」
アデルが歩き始めると、すぐにディスパーがグチをこぼした。
アデルとインプは、イースタンビレッジの終わりの場所まで早足に向かっていた。ディスパーは図々しくもアデルの肩につかまりながら、さっきから文句をぶつぶつ言っている。
「うるさいなぁ、急いでるんだから」
アデルは腕の時計を確認し、そろそろイースタンビレッジの住人が起き出してくる時刻になっていることに気がついた。
「あの――ディスパー、予定より時間が遅れちゃったから、少し走るよ。いいね?」
アデルは自分の肩の上で未だ懲りずに文句を言っていたこうもりを黙らせ、初めて呼ぶ相棒の名前に少々戸惑いながらも言った。
しばらくすると、ディスパーは肩の上でゆすられているのが嫌になったらしく、羽をバタバタとさせてアデルの前に飛び出した。
「それにしても――おい新米魔術師、どこに行けばいいのか分かってんのか?」
しばらくして、ディスパーが疑わしげに問いただした。
「分かっ・・・てるさ。国、王から、地図を、渡、されて、あるから」
アデルは走りながら途切れ途切れに言った。
「・・・・地図? 国王?」
ディスパーは、そんな話聞いていないぞというように顔をしかめた。
「どういうことだ?」
「ちょっと、待っ・・・・・て、いったん、止まって、歩き・・・ながら話す・・・・から」
アデルは走る足の速度を緩め、止まってぜいぜいと息を吐き出した。
ディスパーはアデルが急に止まったので驚いて急ブレーキをかけた。
「あぶねぇな。急に止まるなよ」
「君が話しかけてきてまともに走れないからだよ。・・・でも、もうすぐイースタンビレッジも村境のほうだから、走らなくても大丈夫」
「あっそ。で? 何だよ国王とか地図とかって。俺様はそんな話、全然きいてないぞ」
ディスパーは不満そうに言った。
「君、異界に居るときに聞いてこなかったの? ・・・・君って僕のことよく知ってたから、宝探しのことも聞いてるんじゃないかと」
ディスパーはチッと舌打ちをするとアデルを見つめた。
「宝探しのことはチラッと聞いてるさ。けど、それがなんでこの国の王と関係するかが分からん」
アデルはハァとため息をついて歩きながら、今までのことをかいつまんでインプに話した。
話し終えると、アデルはディスパーを見つめ、反応を見守った。
「その国王、怪しいな。何か裏にありそうだ。――ん?・・・・アデル、気をつけたほうがいいぞ」
「え?」
といったときには、もう遅かった。
身体が軽くなったと思った次の瞬間、アデルの尾骨に激しい痛みが走った。
「っ・・・・痛ってぇ〜!」
アデルは情けない声を出して、涙で霞む目を上に向けた。何メートルか上の方で、ディスパーが見下ろしている。
「おーい、大丈夫かぁ?・・・お前鈍感だなぁ。俺様がちゃんと気をつけろといったのに」
アデルはムッとして言い返そうと口を開きけかたが、人の足音が聞こえたので、慌てて喉まできた言葉を飲み込んだ。ヒュッという音は、ディスパーが人間離れ、いやこうもり離れしたものすごい速さでどこかへ隠れた音だろう。アデルは落とし穴らしきもののなかで、目をつむりながら、どうかあの足音が人食い人種のものではありませんようにと祈った。
「へへ。つかまったようですね。この深い穴ならあいつだって抜け出すことはできないでしょう」
上からかすれた男の声が響いた。アデルは閉じていた瞼をそっと開いてみた。
「当たり前だ。このジャッキー様が作った穴だ。やっとあのコソ泥を八つ裂きにできる。はっはっは」
アデルは八つ裂きという言葉でひやりとした。まさか、本当に人食い人種?
「さて、捕まえるとするか。あいつだって、もう逃げられやしない」
二人の男の満足げな笑声と共にはしごが下ろされた。
アデルは恐ろしくなって隅のほうへ後退り、もう一度両手で目を覆った。
――!
「ありゃ? ・・・・お前さん、誰だ?」
すっとんきょうな声をあげて、男はアデルに近づいてきた。
「・・・・へ?」
アデルは両手の隙間からそっと目を出して目の前の人を見た。
普通の人。見たところ、がっしりとした体格で、ひょろひょろとしたアデルなんて握りつぶせそうだ。しかし、どうみても人食い人種にはみえない。アデルは両手を下ろして、大きく安堵のため息をついた。よく考えてみれば、イースタンビレッジとノーザンビレッジの境に、ジャングルなんて無い。
「大丈夫か? 坊主、どうした。ほれ、もっとにこっちに来てみな。なにとって食いやしねぇから」
男の太い腕がアデルを捕まえて引き寄せる。
「ん? 坊主、見ねぇ顔だが、どこからきた?」
アデルは慌てて立ち上がってできるだけ礼儀正しく自己紹介をした。
「あ――僕はイースタンビレッジから来ました。名前はアデ――いえジョン・・・・えっと・・・・ジョン・ハッターです」
アデルは危うく本名をいいそうになり、ひやりとした。国王から、旅のことや、アデルの個人情報は極秘だと、厳しく忠告されているのだ。
「ほう。イースタンビレッジから。あの魔術師が生まれたっていう不吉な村ねぇ・・・・」
アデルは不吉な村というところでカチンと来たが、必死で我慢して笑顔を作った。
「はい。ここを通ろうとしたら、落ちちゃって。その・・・・すみません」
「はっはっは! いいんだ、坊主。すぐ上に上がらせてやるから」
男はがっしりとした大きな手で、細くて色白なアデルの手を取った。
「おーい。ジャッキーさん。どうしたんスか? あのコソ泥、捕まえました?」
上からさっきのかすれ声が聞こえた。
「いんや、あのコソ泥じゃねぇ。ちっさい坊主が間違って落ちちまっちたんだ。今引き上げるから、手伝ってやれ」
ジャッキーと呼ばれた男が、アデルを引きずりながら大声で叫び返す。
アデルは再び太陽の元に戻ると、久しぶりに安堵感にひたった。
「で? 坊主。お前このノーザンビレッジになんの用だ? ん? 家出か? 迷子か?」
男はさっそくアデルに問いかけた。
「え・・・えっと――はい。あの、家出です・・・・」
アデルは仕方なく嘘をついた。
「はっはっはっは! そうか! 家出か。まぁいいぞ。宿は一応俺んところにしな。しばらくは宿代なしでもいいぜ。決まりだ! 俺は先に行ってるから、こいつに連れてってもらいな。本当は今、仕事中なんだ。女房にまかせ切りじゃあ、あとで酷いからな」
男は勝手に決めて、アデルにお茶目にウインクを残すと、さっさと行ってしまった。
アデルはしばらく呆然として大声で笑う男の背中を見届けた。
「・・・・・ったく。おい坊主、ジョンとかいったっけ? 俺についてこい。ジャッキーさんの宿まで、連れてってやる」
もう一人のかすれ声の男が言った。
「あ――はい」
アデルは茂みに隠れていたディスパーに目配せをして、男の後を追った。
「俺の名はダンだ。さっきの人が、ジャッキーさん。おれはジャッキーさんの向かいで、果物を売ってる」
男は早足でせかせかと前を歩きながら、アデルに説明した。
「・・・そうなんですか。・・・・それであの、さっきの落とし穴は、いったい何なんでしょうか」
アデルが質問すると、ダンは急にピタリと立ち止まり、鬼のごときの形相で振りかえった。アデルは驚いて、無意識に後ずさる。
「え・・・す、すみません」
男はアデルの言葉を無視して怒りで震える声で話した。
「あの落とし穴はにっくき、コソ泥ネコのもんだ。あのクソにゃんこ、毎晩毎晩うちのりんご盗みやがって! 村の皆も迷惑してんだ。不吉な黒猫め。今度こそひっつかまえてやる!」
吐き捨てるように言うと、ダンはまたもとの方向を見て、ズンズンと歩き始めた。アデルはダンの反応に戸惑いながらも急いで後を追う。
しばらく行くと、ノーザンビレッジの賑やかな市場が見えてきた。イースタンビレッジでよくやっている、骨董市のような店が、道の隙間なく開かれている。溢れんばかりの人々が、興味津々といった様子で商品を眺め、手にとって感触を確かめたりしていた。人が多いので、盗人や喧嘩が頻繁に起こるのが欠点だが、殆どの人は、この窮屈な買い物を大いに楽しんでいるようだ。そばの店で、陽気な売り子が客に話しかけ、商品の交渉が行われている。アデルは見ているだけで、わくわくしてきた。なにしろほかの村の様子を見たことなど、これが初めてだ。ノーザンビレッジは、すごく賑やかで、食べ物ならどの村よりも質がよく新鮮で美味しい。それに、いろいろな国からたくさん輸入しているので、何でもあると評判だった。
「・・・・・随分、賑やかですね」
アデルは思わず口に出していた。するとさっきまで機嫌が悪かったダンが、にっこり笑って嬉しそうに喋り始めた。
「そうだろう。もっと奥まで行くと、もっと賑やかになるぞ。ジャッキーさんの宿ももう少し行った先だ。――俺も、この辺りにに住んでるんだ。果物屋でな。ここの食い物は、この国で、いや世界中で一番うまいといわれてるんだ。種類も豊富だしな。なにより、美味くて新鮮!――ああ、そっちの村でも有名だろう一度食ったらもうこの村に居たくなる。ここは最高の村だよ。さ、もう少しだ」
アデルは今まで、自分の村が一番だと思っていたが、どの村の人も皆そう思っているのだと、と初めて知った。
そこからは、同じような賑やかな店が立ち並ぶばかりで少々退屈してきたアデルは、ふと横の景色な目を移した。すると、イースタンビレッジの見覚えのある家々が小さく見え、そしてその右側の奥には、ノーザンビレッジの商店街にはさまれて、アデルがこれから行くことになるまさにあの「怪物の洞窟」が見えた。アデルは瞬時に青ざめて、急いでリュックの中から地図を取り出し確かめてみた。やっぱり、間違いない。あそこが「怪物の洞窟」だ。
アデルが青ざめて立ち止まっていると、先をズンズン歩いていたダンが戻ってきて、怪訝そうにアデyの顔を覗き込んだ。
「どうした? 何やってんだジョン」
アデルはハッと我に返り、咄嗟に地図を後ろに隠した。
「な、何でもありません。大丈夫です。・・・・さ、行きましょう」
ダンは不思議そうにアデルの後ろを気にしたが、肩をすくめると、すぐに歩きはじめた。
危ない危ない・・・・こんな人に「怪物の洞窟」のことなんて聞いたら、また機嫌を悪くして僕が行くのを引きとめるだろう。挙句の果てに、僕が魔術師だってことも、知られてしまうかもしれない。そしたら王宮に通報されて、旅は失敗。僕はきっと、すぐに死刑だ。そして、母さんや父さん、アルまで―――
「おい、ジョン! なにボーっと突っ立ってんだ。もうジャッキーさんの宿の前だぞ。」
アデルはビクリと身を震わし、ダンのほうを見た。
「ほら、あの看板を見てみろ。きっと一生、忘れられなくなるぜ」
アデルはダンの言葉に疑問を抱きながら、細長い指の指す方向に顔を向けた。そしてアデルは、その看板を目にしたまま、口をポカンとあけ、硬直してしまった。
ダンの言った意味が、今になってひしひしと理解できる。
アデルの見上げた先には
「ジャッキー!」
というどでかい看板が、てかてかと光っていた。
「ジャ――ジャッキー・・・・?」
アデルは目を見開いて呟いた。ダンは呆れ顔で、溜め息混じりに説明した。
「ジャッキーさんは、自分の名前がすごく気に入っててな。ついに店の名前までジャッキーにしちまったんだ。ジャッキーさんによると、自分の名前は、女房とこの宿の次に愛してるってさ。ジャッキーさんの名前を付けた名付け親の叔母さんにも、ひどく感謝してた。・・・・まったくおかしな人だよ」
ダンは呆れながらも、親しみのある優しげな笑い声をあげ、突っ立ったままのアデルを背を押して、大きな扉を開けさせた。
ジャッキーの宿は、思ったよりも大きかった。中に入ると、調子の良い音楽が耳に飛び込んできて、同時に楽しげな人々の笑い声や話声が、あちこちで飛び交う。それに、皿がカチャカチャいう音や、料理の注文をとる女性の威勢のいい声が重なり、ここは外より賑やかだ。後ろで扉が開く音がして振り返ると、ダンが帰るところだった。アデルはダンに向かって軽く会釈をして送り出すと、ディスパーをマントで隠しながら、そろそろと奥に進んでいった。キッチンは二つあるらしく、狭い廊下の左右から、なんともいえない、いい香りが漂ってきた。アデルが右側のドアの取ってを掴んだ途端、ドアが勢いよく開いた。
「あいた!」
アデルは鼻と前頭部を強く打ち、よろめきながら涙目で前を見た。ひげもじゃの男が、大きなお盆を幾つも抱えながら、アデルの顔を覗き込んでいた。それが、この宿の主であることに気づくのに、数秒かかる。ジャッキーは、アデルが誰か分かると、にっこり笑って至近距離なのにも関わらずどでかい声で言った。
「おうジョン! よくきたな! お前の部屋は二階の一番奥だ。あとで夕飯持ってってやるからな。待ってろ。今俺は忙しいから、詳しいことは明日、教えてやるから」
ジャッキーはアデルが何か言う隙もなくいうと、食堂のほうへ足早に向かった。ディスパーがもぞもぞと動いたので、アデルは慌ててマント抑えながら階段を駆け上った。
「お前、どうすんだよ。あの怪物の洞窟はもう見えてたじゃないか。こんな宿に泊まったって、金の無駄だ。サッサと宝を探しに行かなきゃ。とりあえず、一個目の宝石を見つけてからじゃないと、なんのための宝探しなのかさっぱりだ。それに俺様も早くお前の魔力がどれだけなのか見てみたいしな。・・・・おい聞いてんのか?」
部屋に入ると、ディスパーが詰めていた息を吐き出し、勢いよく喋りだす。アデルはふかふかのベッドに倒れこみながら、ディスパーの話を何とか頭に入れながら聞いていた。
「大丈夫だよ、ディスパー。お金はしばらくかからないらしいし、ちょっとくらいこの村にいてもいいだろう? ・・・・僕、ノースビレッジにはずっと前から行ってみたいと思っていたんだ」
ディスパーはため息をついて、アデルの目の前に着地した。
「お前は呑気だな。これから危険で恐ろしいと所へ行くっていうのに・・・・ま、それは置いといて。俺様が気になるのは、あのダンとかこの宿の主、村の者たちが捕まえようとしてた、コソ泥ネコって奴だ。そいつになんか引っかかる。いくらすばしっこい猫だって、村中の食い物を盗み出して、誰も捕まえられないってのはおかしいだろ? 俺みたいに、インプが猫に変身したか、あるいは動物人間か・・・・そういう可能性はあるな」
アデルはそれを聞いてがばりと起き上がった。
「へ、変身する人間なんて、いるの? ましてや動物になんか・・・・インプだって、魔術師が生まれたときにしか、異界から降りてこないんだろ?」
ディスパーはすぐさま答えた。
「変身人間だっているさ。この世界にはインプだっているんだからな。そうだろ? インプも、強い力を持ったインプなら悪戯をしに時々降りてくることもあるんだ。――人間が気づかないだけで、インプや変身人間は、結構いるぞ」
「へぇ〜・・・・」
アデルは驚いて口をポカンとだらしなく開けた。
「じゃ、今、僕らのまわりにインプや変身人間はいるの?」
アデルは辺りをチラリと見やり、不安そうに言った。
「いや。もしそいつらがここにいたら、この俺様がとっくに妖気で見つけてるさ。人間界に勝手にこれる奴らは皆力があるから、妖気が溢れるほどあるんだ」
「ふーん・・・・・じゃ、大丈夫なんだ。ね、ちょっとの間でいいから、ここに居させてよ。最近はいろいろびっくりすることが続いて、疲れてるんだ」
アデルは大きく伸びをしながら弱々しく言った。
「ふん! 勝手にしやがれ!」
ディスパーは言いながらベットの端に寝転がった。
「なんだ。君だって疲れてたんじゃないか・・・・・」
アデルはもう一度、ベットに倒れこんだ。
「おい・・・おいアデル!」
ディスパーが騒がしく少年の名を呼んだ。
「・・・・なに? 眠いのに・・・・まだ夜だろ?」
アデルは真夜中にたたき起こされて不機嫌に言った。
「もう朝方の三時だ。とっくに昨日から今日になってるぞ! 月だって、東に傾き始めてるぜ!」
ディスパーは珍しく興奮しているようで、少々意味の分からないことを口走った。
「ディスパー。月は東から西へ動くんだ。明け方の三時なのに東に傾くわけな――」
「わかったわかった。いいからとにかく外を見てみろ。きっと、腰抜かすぜ」
ディスパーが鼻息荒く急かすので、アデルは寝ぼけ眼で窓の外を見てみた。 瞬間アデルの眠気は一気に吹っ飛んだ。それもそのはず、一匹の巨大なトカゲに似た怪物が、商店街の中をのた打ち回っていたのだ。住民は大騒ぎで、悲鳴を上げながら逃げ回っている。勇敢にも大きな斧を持って巨大トカゲに立ち向かう男たちもいたが、すぐさま強烈な尾っぽのパンチが飛んできた。男たちは四方に飛び散って、うめき声を上げ始める。
「うっわっぁ!」
アデルは思わず声を裏返した。
「な? な? すごいだろ?」
ディスパーは窓にべったりと張り付いて、瞳をぎらぎら光らせている。今までで一番酷い顔だ。
「な、なんなんだよ、あれ。気味悪い!」
アデルも窓にべったりとくっ付いた。
「ふむ・・・・ありゃあインプだ。ってことは、俺様の仲間だぞ。ふふん、まぁ少しばかり力みすぎた異界の使いってことだ。悪戯にでも来たんじゃないか・・・面白そうだな。なぁ行ってみようぜ」
ディスパーは早くも扉の方に行っている。
『なるほど。だからディスパーは興奮してたのか』
アデルは頭の端で、ちらりと思った。
「そうだ当たり前だ。俺様の仲間が目の前にいるんだから、興奮して何が悪いんだ。ふん!」
ディスパーはぎろりとアデルを睨んだ。
『しまった。ディスパーは人の心が読めるんだっけ』
「あぁ! ややこしいからいろんなこと考えるなよ。俺様には嫌でもわかっちまうんだから」
こうもりはじれったそうに言った。
「・・・・分かった。気をつけるよ」
アデルは肩を竦めて素直に謝った。早めに謝っておかないと、ディスパーはすぐ根に持ってすねるからだ。そう思った途端、アデルは首を傾げた。自分はこのインプと、たった一日しか過ごしていないのに、何故かこの小さな旅の道連れのことを、まるでずっと昔からの友達だったかのように、たくさんのことを知っていることに気づいたのだ。
「よし! 分かったならいくぞ。この騒ぎにまぎれて怪物の洞窟にいけるかもしれないしな。うん」
ディスパーの怒鳴り声にハッとして、アデルはまだ少しぼうっとしながらも曖昧に頷いた。
ディスパーはアデルが頷くのを見たか見ないかのうちに部屋を飛びだしていった。
「え――ちょ、ちょっと待てよ!」
アデルは慌てて上着とリュックを持って、ディスパーの後を追った。




