↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/24

20.「心が揺れている」

謁見の間での出来事から数刻が過ぎ、私は自室の窓辺に一人、静かに佇む。


夜の帳が降りた帝都の街並みが、眼下に広がっていた。

無数の灯りが瞬き、それぞれの家庭に、それぞれの営みがあるのだと、ぼんやり思う。


かつてゼントロール王国で見ていた夜景とは、また違う趣のある景色。

ライオネル様とアリア様の、絶望に染まった表情が、まだ脳裏に焼き付いている。

かつて自分を傷つけた二人が、今度は自分の前で膝をつき、そして拒絶されて去っていく。

その一連の出来事は、確かな決着をもたらしてくれたはずだった。

それなのに、胸の奥には、まだ言葉にしきれない複雑な感情が渦を巻いている。


ライオネル様との思い出が、ふと脳裏をよぎる。

初めて出会った日の眩しい笑顔、戦地に赴く彼のために祈りを捧げた日々、そして、あの謁見の間で告げられた冷たい別れの言葉。

かつて確かに愛おしいと感じていたはずの時間が、今ではひどく遠いものに感じられる。


その一方で、この帝国で過ごした日々の記憶が、温かく心を満たしていく。

森で瀕死の状態から救い上げてくれた、あの夜の力強い腕。

冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさ。

髪を撫でてくれた大きな手。

腕枕の中で感じた、初めての安らぎ。

負傷兵を癒したときに向けられた、誇らしげな眼差し。


過去と現在、二つの記憶が交互に胸の中を巡っていく。

それはまるで、自分の中にある二つの自分――かつての献身的な聖女と、今ここで新しく生きようとしている一人の女性――が、静かに対話をしているかのようだった。


窓ガラスに映る自分の姿を、私はじっと見つめる。

かつて婚約者に「つまらない女」と切り捨てられたあの日の自分と、今、この帝国で穏やかな笑顔を見せられるようになった自分。

その二つは、確かに違う人間のように思えた。

もう、過去に縛られる必要はないのだと、彼は言ってくれた。

それでも、心の整理をつけるには、もう少しだけ、静かな時間が必要なのかもしれない。


私は胸に手を当て、ゆっくりと息を吐いた。

自分がこれから何を選び、どこへ向かって歩んでいきたいのか――その答えは、すでに心の奥底で、静かに形を成し始めている。

窓の外に瞬く帝都の灯りを見つめながら、私はしばらくの間、自分自身の心と静かに向き合い続けていた。



控えめな足音と共に、扉が静かに開く。


「まだ、起きていたのか」


現れた彼の声には、隠しきれない気遣いが滲む。

窓辺に立ち尽くす私の様子を見て、彼はゆっくりと歩み寄ってきた。


「はい……少し、考え事をしておりました」


正直に答えると、彼はしばらく黙って、私の隣に並んで窓の外を見つめる。

夜の帝都の灯りが、二人の間に静かな沈黙を落としていく。


「今日のことで、心が揺れているのだろう」


その問いかけに、私は小さく頷いた。

彼は何も急かすことなく、ただ静かに私の言葉を待ってくれている。

胸の奥に渦巻いていた様々な感情が、その静けさの中で、少しずつ一つの形へとまとまっていくのを感じた。


私は深く息を吸い込み、意を決して口を開く。


「陛下、私は……」


言葉に迷いながらも、私は自分の心にまっすぐ向き合おうとした。


「もう、ゼントロールには戻りたくありません」


その一言を口にした瞬間、胸の奥にあった迷いが、すっと軽くなっていく。


「この帝国にいたいのです」


私は彼の顔を見上げる。

深い黒の瞳が、驚いたように見開かれていた。


「あなたの、傍にいたい」


その言葉を口にした瞬間、頬が熱く火照っていくのがわかる。

それでも、もう後戻りはできない。

自分の心の奥底にあった本当の願いを、私は初めて言葉にすることができたのだ。


彼はしばらくの間、言葉を失ったように私を見つめていた。

その表情に、隠しきれない驚きと、それ以上の何かが浮かんでいる。


「エミア」


いつもより低く、わずかに掠れた声で私の名を呼ぶと、彼は大きく腕を広げ、私を強く抱き寄せる。


「よく、言ってくれた」


声の奥に、隠しきれない喜びが滲んでいるのがわかった。


「俺は、ずっと願っていた。君がこの場所を、自分の居場所だと感じてくれることを」


抱きしめる腕の力が、さらに強くなる。

私はその温もりに包まれながら、静かに目を閉じた。


しばらくの沈黙の後、彼が珍しく、静かに言葉を継ぐ。


「俺も、幼い頃は誰にも心を許せなかった。皇位を巡る争いの中で、信じた者に幾度も裏切られた。だから、いつしか誰も傍に近づけないようにしてきた」


その声には、これまで隠されていた孤独の色が、確かに滲んでいる。

以前、朝食の席で感じたあの予感――彼にも語らない過去があるのかもしれないという思い――が、今ようやく形を持って差し出されていた。


「君が最初だ。俺の方から、傍にいてほしいと願ったのは」


その告白に、私は胸が締め付けられるような思いで彼を見上げる。

冷酷な氷の皇帝という仮面の下に、これほど深い孤独が隠されていたことを、私は今初めて知った。


これまで抱えていた迷いや葛藤が、他的な腕の中で、確かな安堵へと変わっていく。

自分の選んだ道が、正しいものだったのだと、その確信が胸いっぱいに広がっていった。

夜の静けさの中、私たちはしばらくの間、言葉を交わすことなく、ただ互いの温もりを感じ合っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。