新しい生活
四月。
入社式。
遙は薄くメイクをして、メガネをかけた。
鏡に映る自分を見ても、もう何とも思わない。
メガネの自分も。
コンタクトの自分も。
化粧をした自分も。
全部、自分だった。
*
一般職の同期は、遙を含めて三人だった。
一人は、白石綾子。
落ち着いた雰囲気で、話し方も柔らかい。
第一印象は、とても感じのいい人。
なのに、話していると、ときどき自信なさげに視線を落とす。
そのギャップが、遙には少し不思議だった。
もう一人は、橘真由。
こちらは対照的だった。
明るい髪。
華やかなメイク。
初対面からよく笑う。
見た目だけなら、いわゆる派手なギャル。
でも、遙はもう、知っていた。
人は、見た目だけでは分からない。
大学で出会った、あゆみと成美が教えてくれた。
だから、真由とも、普通に話した。
そして、三人は驚くほど気が合った。
配属先は違っても、昼休みに集まったり。
仕事終わりにご飯へ行ったり。
仕事で失敗した日は愚痴を言い合ったり。
いつの間にか、白石も、真由も。
同期というだけではない、大切な仲間になっていた。
*
遙は希望していた経理部へ配属された。
最初は簡単な仕事から。
それが少しずつ増えていく。
数字を確認する。
資料を作る。
他部署へ確認する。
先輩に教えてもらう。
そして、教えてもらったら。
「ありがとうございます」
と伝える。
学生の頃に想像していたより、仕事はずっと人と関わるものだった。
一人で数字だけを見ていればいいわけではない。
自分の仕事の先には、必ず誰かがいる。
あのとき。
花沢先生が言っていたことが、少しずつ分かるようになった。
仕事を任せてもらえることも増えた。
自分で考えて。
周りに確認して。
一つの仕事を終わらせる。
その度に、小さな達成感があった。
社会人になることを、昔はもっと怖いものだと思っていた。
でも。
案外。
悪くない。
*
そして。
月日は流れた。
秀平も大学院を修了し、研究職として働き始めた。
遙も仕事に慣れ。
秀平が社会人になって、二年ほど経った頃。
いつものように二人で過ごしていた休日。
秀平が、何でもないことのように言った。
「遙ちゃん」
「何?」
「一緒に暮らさない?」
遙は瞬きをした。
「……同棲?」
「うん」
「……」
秀平が少し不安そうに遙を見る。
「婚約もしてないのに、ダメ……かな」
ダメ。
なわけがなかった。
むしろ。
遙は自分でも驚くほど、嬉しかった。
「私はいいよ」
「ほんと?」
一瞬で秀平の表情が明るくなる。
遙は笑った。
「ただ……」
「ただ?」
「私の親を納得させてね」
にっこり。
「……」
秀平の顔が固まった。
「私、一人っ子だから」
「……はい」
「婚約もしてないのに一緒に住みますって言って、簡単に『いいよ』って言ってくれるかな」
「……」
「頑張ってね」
秀平が姿勢を正した。
「頑張ります……!!」
遙は吹き出した。
「何それ」
「いや、笑い事じゃないでしょ」
「言い出したの秀平でしょ」
「そうだけど!」
笑いながら。
遙は、少しだけ先の生活を想像した。
朝起きたら、秀平がいる。
仕事から帰れば、同じ家に帰る。
ご飯を食べる。
くだらない話をする。
喧嘩もするかもしれない。
研究職に就いた秀平は、帰りが遅い日も多かった。
今でも、遙が先に眠ってしまうことがある。
ちゃんと食べているのか。
無理をしていないか。
心配になることもあった。
一緒に暮らせば。
少なくとも、今より近くにいられる。
「……楽しみかも」
遙が呟く。
「え?」
「一緒に暮らすの」
秀平が笑った。
「俺も」
あの日。
大学の大講義室で隣に座った人と。
今度は。
同じ家に帰ることになるらしい。




