あの日の恋。
無事に両親の許可も得て。
遙と秀平の同棲生活が始まった。
最初は、少しだけ不思議だった。
朝。
目を覚ますと、秀平がいる。
夜。
仕事を終えて帰る場所も、同じ。
「おはよう」
「おはよう」
そんな何でもない言葉から、一日が始まる。
初めて出会った大学一回生のあの頃。
あの日から始まった恋。
付き合い始めた大学生の頃。
秀平の部屋で一緒に料理をして。
遙が本を読んでいる隣で、秀平が研究資料を読んでいた。
あの頃と、あまり変わらない。
ただ。
二人とも、学生ではなくなった。
*
「遙ちゃん、起きて」
「……起きてる」
「それ、起きてない人の声」
「……あと五分」
「今日早いんじゃなかった?」
「……!」
遙は飛び起きた。
隣で秀平が笑っている。
「なんで早く言わないの!」
「言ったよ。二回」
「聞いてない」
「それは俺のせいじゃない」
慌ただしく支度をする。
薄くメイクをして。
今日は、メガネ。
鏡の前で髪を整える。
「遙ちゃん、コーヒーいる?」
「ミルクティー」
「朝から?」
「朝だから」
「はいはい」
キッチンから聞こえてくる返事に、遙は少し笑った。
何年経っても。
こういうところは変わらない。
*
「今日、遅い?」
玄関で靴を履きながら、遙が聞いた。
「たぶん。実験の進み具合による」
「また?」
「また」
「ちゃんとご飯食べてね」
「遙ちゃんも」
「私は食べます」
「昨日、残業で九時だったじゃん」
「……食べたよ」
「何を?」
「……お菓子」
「それはご飯じゃない」
「分かってます」
二人で玄関を出る。
途中までは、同じ道。
でも。
向かう場所は違う。
秀平は、研究職として働く会社へ。
遙は、経理として働く会社へ。
「じゃあ、俺こっちだから」
「うん」
いつもの分かれ道。
「いってらっしゃい」
「遙ちゃんも。いってらっしゃい」
「いってきます」
手を振って。
それぞれ、反対方向へ歩き出す。
遙は駅へ向かいながら、今日の仕事のことを考えた。
昨日頼まれた資料を仕上げて。
午前中に先輩へ確認してもらって。
午後からは別部署との打ち合わせ。
入社した頃より、任される仕事も増えた。
大変なこともある。
失敗して落ち込むこともある。
それでも。
働くことは、嫌いではなかった。
仕事は、一人ではできない。
誰かに助けてもらって。
自分も、誰かの仕事を支える。
大学生の頃に聞いた言葉の意味を。
社会人になった今の方が、少しだけ分かる。
電車がホームへ入ってきた。
遙は乗り込む。
携帯電話が震えた。
秀平からだった。
『今日なるべく早く帰る』
遙は笑った。
『無理しなくていいよ』
すぐに返事。
『一緒に晩ごはん食べたい』
「……」
遙は少し考えて。
『私も』
と返した。
*
会社に着く。
「おはようございます」
「おはよう、金田さん」
自分の席へ向かう。
パソコンを立ち上げる。
「金田さん、昨日お願いしたやつなんだけど」
「はい。できてます」
「早いね。ありがとう」
「いえ」
ありがとう。
今でも。
その言葉を聞くと、ときどき思い出す。
大学一年生の、あの大講義室。
金曜日。
情報開発演習Ⅲ。
あの日。
たまたま選んだ講義。
たまたま座った席。
そして。
隣に座った人。
あの頃の自分は、知らなかった。
友達ができることも。
誰かをこんなに好きになることも。
その人と同じ家で暮らすことも。
働くことが、こんなにも人と関わることだということも。
何も知らなかった。
「金田さん?」
呼ばれて、遙は顔を上げた。
「はい」
「これ、ちょっと確認してもらえる?」
「分かりました」
資料を受け取る。
今日も。
自分の仕事が始まる。
秀平も今頃。
どこか別の場所で、働いている。
同じ家から出て。
違う場所へ向かって。
それぞれの仕事をして。
そしてまた。
同じ場所へ帰る。
そんな毎日が。
これからも続いていく。
きっと。
これが。
私たちの生活なのだ。
そして。
働く私たちの、恋の話は。
これからも続いていく。
こんにちは!
名無しのkikoです。
こちらの話でスピンオフ作品の完結となります。
続けて「働く私たち。と、恋の話」も読んでもらえると嬉しいです。そちらは白石綾子と橘真由が主人公となっています。
あの日の恋。はいかがでしたでしょうか?
楽しんでもらえていたら嬉しいです。
またいつか、お話が書けたらと思います。
その時は、よろしくお願いいたします。




