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乗り越えたいもの

遙のなんともないふりは、すぐに秀平にばれた。


「遙ちゃん」


「ん?」


「……大丈夫?」


「大丈夫だよ」


ちゃんと笑ったつもりだった。


でも、頭の中は全然大丈夫ではなかった。


元カノ。


何人いるんだろう。


一人? 二人? もっと?


今も少しくらい想ってる?


さっきの人、綺麗だった。


大人っぽくて、秀平とも自然に話していた。


――秀くん。


そう呼んでいた。


付き合っていたんだから、手も繋いだんだろう。


キスもしたんだろう。


それより先も――。


(……やめよう)


考えるな。


考えたって仕方がない。


秀平は今、私と付き合っている。


そんなこと、ちゃんと分かっている。


分かっているのに、胸の中がぐちゃぐちゃだった。


早く、あゆみと成美に会いたい。


二人に話して、大丈夫だと言ってほしい。


仕方ないことだと、誰にでも過去はあるんだと、そう言ってほしい。


早くこの気持ちを落ち着かせたい。


逃げたい。


秀平の隣から、今だけ逃げたい。


「……ちゃん」


「……」


「遙ちゃん」


「……え?」


ようやく秀平の声が耳に入った。


顔を上げると、秀平が困ったような顔で遙を見ていた。


「ちょっと話さない?」


「……うん」


*


大学のカフェ。


人の少ない隅の席に、二人は向かい合って座った。


遙は膝の上に置いた自分の手を、ずっと見ていた。


「……さっきの、ごめんね」


「……」


「でも、嘘つくのもおかしいと思って。元カノなのに、ただの友達とか知り合いとか言うのも違うし」


「……うん」


分かっている。


秀平は何も悪くない。


むしろ、ちゃんと言ってくれた。


「ノートのことも、コピー渡してそれで終わりにするから」


「……」


遙はゆっくり顔を上げた。


その瞬間、秀平の表情が変わった。


「……遙ちゃん」


遙の目には、涙が溜まっていた。


泣くつもりなんてなかった。


こんなことで泣きたくなんてなかった。


だから、こぼれないように目に力を入れる。


「……ううん」


「……」


「そんなことしなくていいよ。誰にでも……過去はあるものだから」


声が少し震えた。


「気にしてないよ」


秀平は何も言わず、遙を見つめた。


そして立ち上がると、向かい側から遙の隣へ座り直した。


肩が触れる。


秀平の体温を感じた。


「遙ちゃん」


「……何?」


「可愛いね」


「……」


今、そんなことを言われたら困る。


「ありがとう」


「……何が?」


「逃げないで、ちゃんとここにいてくれて」


その言葉に、遙は唇を噛んだ。


逃げたかった。


本当は今すぐ、ここからいなくなりたかった。


それでも今日は、逃げなかった。


「俺は遙ちゃんだけが好きだよ」


「……」


欲しかった。


その言葉。


さっきからずっと、聞きたかった。


私は可愛い。


今、好きなのは私。


あの人じゃない。


遙だけ。


欲しかった言葉を、全部くれる。


それなのに。


足りなかった。


ぽろりと、涙が一つ頬を伝った。


「……遙ちゃん」


「ごめん」


「謝らなくていいよ」


「……違うの」


「うん」


「秀平が悪いんじゃないの。分かってるの」


また一つ、涙が落ちた。


「全部、分かってる……」


過去は変えられない。


自分と出会う前に、秀平には秀平の人生があった。


好きになった人がいて、その人と付き合って、二人だけの時間があった。


そんなの当たり前だ。


それなのに、苦しい。


遙には何もなかった。


誰かをこんなふうに好きになったことも、付き合ったことも、手を繋いだことも、キスをしたことも。


全部、秀平が初めてだった。


でも。


秀平にとって、自分は初めてではない。


そんなこと、付き合う前から分かっていたはずなのに。


今日初めて、その過去が目の前に現れた。


――秀くん。


たったそれだけ。


たったそれだけの呼び方なのに。


自分の知らない秀平を、あの人は知っている。


自分の知らない時間を、あの人は持っている。


それが、たまらなく苦しかった。


「……私」


「うん」


「秀平が好き」


初めて自然に、その名前が出た。


金本さんではなく、秀平。


けれど今の遙は、そのことにすら気づかなかった。


「すごく好き」


「……うん」


「だから……」


言葉にしようとすると、また涙が溢れそうになる。


「ちょっとだけ、時間がほしい」


「……」


秀平は黙った。


遙は慌てて続ける。


「嫌いになったとかじゃないよ」


「分かってる」


「別れたいとかでもない」


「うん」


「ただ……自分の中で、ちゃんと整理したい」


秀平はすぐには答えなかった。


できるなら、ここにいたかった。


遙が落ち着くまで隣にいて、何度でも好きだと言いたかった。


抱きしめて、大丈夫だと言いたかった。


でも、きっと今はそういうことではない。


「……分かった」


秀平が静かに言った。


「ごめんね」


「だから、謝らなくていいって」


「……うん」


秀平は少し考えてから、携帯電話を取り出した。


「遙ちゃん、今日このあと予定ある?」


「……ない」


「そっか」


「……何してるの?」


「ちょっと待って」


誰かにメールを打っている。


しばらくすると、返信が来た。


「もうすぐ来るって」


「……誰が?」


「遙ちゃんの保護者」


「……え?」


*


十分ほどして。


カフェの入口から、二人の女性がものすごい勢いで入ってきた。


「遙!」


「遙、どこ!?」


聞き慣れた声に、遙が顔を上げる。


「あゆみ……成美……」


二人は遙を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。


そして、遙の赤くなった目元を見た瞬間、顔色を変えた。


「遙!?」


「ちょっと、どうしたの!?」


二人の顔を見た途端。


また泣きそうになった。


秀平が立ち上がる。


「あとは、お願いしていい?」


「……金本さん?」


あゆみが秀平を見る。


秀平は少し困ったように笑った。


「俺がいるより、二人の方がいいと思うから」


成美が遙を見る。


そして秀平を見て、何かを察したように頷いた。


「……分かりました」


「ありがとう」


秀平は最後に、遙を見る。


本当はまだ、隣にいたい。


そんな顔に見えた。


「じゃあ、またね」


「……うん」


秀平が離れていく。


その背中を、遙は黙って見送った。


本当は行ってほしくない。


でも今は、一人になりたい。


なのに、一人にはなりたくない。


自分でも、自分の気持ちが分からなかった。


秀平の姿が見えなくなる。


その瞬間、あゆみが遙の隣へ座った。


「……遙」


「……」


「何があった?」


遙は唇を噛んだ。


そして、堪えていたものが一気に溢れた。


「……元カノに会った」


「……え?」


「秀平の……元カノ」


あゆみと成美が顔を見合わせる。


遙は俯いた。


「私……嫌なことばっかり考えちゃう」


「……」


「何人いたのかな、とか」


一度口にすると、止まらなかった。


「キスしたのかな、とか……それより先もしたのかな、とか」


「遙……」


「他の元カノも私より可愛かったのかな、とか……今も少しくらい好きなのかな、とか……」


涙が、また頬を伝った。


「そんなの聞いたって、どうしようもないのに」


「……うん」


「過去なのも分かってるのに」


「うん」


「秀平が悪くないのも分かってる」


「……うん」


遙は涙を拭った。


「でも……嫌なの」


初めて。


誰にも見せたことのないような、子どもじみた感情だった。


「秀平の初めてが、私じゃないのが……嫌」


あゆみも。


成美も。


すぐには何も言わなかった。


ただ。


泣いている遙の隣に、二人で座っていた。

こんにちは。

名無しのkikoです。

申し訳ありませんが明日から不定期更新とさせていただきます。

ブックマーク、リアクション大歓迎です。

今後ともよろしくお願いします。

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