ちゃんと言って
日々が過ぎていく。
明日は金曜日。
金本秀平と同じ講義がある。
ちゃんと話せるか心に少しの靄を持ちつつ過ごしていた。
その日も講義が終わったあと、遙は同じ経営学部の男子学生と話していた。
「だから近藤先生さ」
「うん」
「レポート返すとき俺に『個性的ですね』って言ったんだよ」
「……褒められてないんじゃない?」
「やっぱそう思う!?」
「ふふっ……」
「俺は褒められたと思ってたのに!」
「それは前向きすぎる」
「金田さん結構言うな!」
「だって……」
また、笑う。
そして、その少し離れた場所で、秀平が足を止めていた。
「……」
遙が笑ってる。
知らない男と。
「……」
誰。
あいつ。
*
ぽつ。
遙が窓の外を見る。
「あ、雨」
「ほんとだ」
男子学生も外を見る。
「結構降りそうだな」
「私、傘持ってない……」
「俺——」
「遙!」
聞き慣れた声。
遙が振り返る。
「……金本さん?」
秀平がこちらへ歩いてくる。
少し髪が濡れていた。
「帰ろう」
「え?」
「雨、ひどくなるから」
「でも——」
秀平が遙の腕を取った。
「行くよ」
「……え、ちょっと」
遙はさっきまで話していた男子学生を見る。
「あ……じゃあ、また」
「う、うん。また」
そのまま秀平に引かれて歩き出す。
「金本さん」
「ん?」
「……腕」
「あ」
秀平が手を離す。
「ごめん」
「……」
何だろう、いつもと少し違う。
怒ってる…?
*
校舎の外へ出ると、雨はさっきより強くなっていた。
「金本さん、自転車じゃないんですか?」
「今日は電車で帰る」
「雨だから?」
「うん」
二人で駅へ向かう。
秀平は、あまり話さない。
「……」
遙は何度か横を見る。
やっぱり、変だ。
秀平と遙は電車の方向が逆だ。
だから駅で別れるものだと遙は思っていた。
「今日、どっかではなせない?」
秀平から声をかけてきた。
「…いいですけど、結構濡れてますよ、私たち」
雨の音が聞こえる。
「…俺の家、来ない?」
「……え?」
遙が、固まった。
「……家?」
「うん」
「金本さんの?」
「俺以外に誰がいるの」
「……行きません」
「なんで」
「なんでって……」
男の人の家。
二人きり。
この前、キスした人。
「……無理です」
「遙ちゃん」
秀平が遙を見る。
「ちゃんと話したい」
「……」
もしかしたらいつもと様子が違うことに関係あるのかもしれない。
どこか言葉足らずで、説明不足な秀平が真剣な面持ちで話したいと言う。
「それに、そのまま帰ったら風邪ひく」
「でも」
「俺の家、駅近だし、雨弱くなるまででいいから」
「……」
遙は少し迷った。
そして。
「……じゃあ、少しだけ」
「うん」
*
話したいと言う割に、電車の中では一言も話さなかった。
そして、秀平の部屋。
「……お邪魔します」
玄関へ足を踏み入れる。
緊張する。
ものすごく、緊張する。
「適当に座って」
「適当にって……」
「そこ」
「……はい」
遙はベッドではなく、迷わず床に置かれた座布団を選んだ。
秀平がタオルを持ってくる。
「ほら」
「ありがとうございます」
「髪拭いて」
「はい」
遙が髪を拭いている間に秀平はキッチンへ向かった。
しばらくして温かい飲み物が置かれる。
「カフェオレでよかった?」
「……はい」
「熱いから気をつけて」
「ありがとうございます」
「……」
「……」
静か。
妙に、静か。
遙はカップを両手で持ち、一口飲む。
そして、秀平を見る。
「……金本さん」
「ん?」
「怒ってます?」
「怒ってないよ」
「……」
「何?」
「怒ってますよね」
「怒ってないって」
「じゃあ」
遙は秀平を見る。
「なんで、さっきからそんな顔してるんですか」
「……」
秀平が、黙った。
「……」
テーブルの上にカップを置く。
そして。
「……さっきの奴」
「え?」
「あれ、誰?」
「……誰?」
「遙ちゃんと話してた男」
遙は少し考える。
「ああ」
「ああって!」
「同じ経営学部の人です」
「同じゼミ?」
「違います」
「じゃあ何」
「企業法が一緒で」
「仲いいの?」
「……最近、話すようになっただけです」
「ふーん」
「……」
遙は秀平を見る。
「何ですか」
「別に」
「……」
分かりやすい。
ものすごく分かりやすい。
もしかして。
「……金本さん」
「ん?」
「嫉妬……してるんですか」
「……」
秀平が俯き、止まった。
「……」
遙も言ってから恥ずかしくなった。
「……すみません。違いますよね」
「してるよ」
「……え?」
顔を上げる。
秀平が真っ直ぐ遙を見ていた。
「嫉妬してる」
「……」
「するでしょ」
「……なんで」
「なんでって」
秀平が少し眉を寄せる。
「俺、遙ちゃんのこと好きなんだから」
「……」
時間が、止まった。
ような、気がした。
「……」
好き。
今、好きって言った。
「……遙ちゃん?」
「……はい」
「大丈夫?」
「……」
遙はずっと聞きたかったことを思い出した。
私たちって、何。
あゆみと成美は自分で聞けと言った。
「……じゃあ」
「ん?」
「……私たちって」
「うん」
「何なんですか」
「……」
今度は秀平が止まった。
「……え?」
「だから」
遙は少しだけ眉を寄せる。
「私たちって、何なんですか」
「……」
「デートして」
「うん」
「……キスして」
「うん」
「でも」
「……」
「付き合ってないですよね」
「……」
秀平の目が少しずつ大きくなる。
「……あ」
「……」
遙は待った。
秀平が額を押さえる。
「……俺」
「はい」
「言ってない?」
「何をですか」
「付き合ってって」
「言われてません」
「……」
「好きも、今初めて聞きました」
「……」
秀平が完全に頭を抱えた。
「……ごめん」
「……」
「俺、とっくに伝わってると思ってた」
「伝わってません」
「……そうだよね」
秀平が苦笑する。
「ちゃんと言わないと、分かんないよね」
「はい」
「遙ちゃんだもんな」
「どういう意味ですか」
「いや……ごめん」
秀平は一度大きく息を吐いた。
そして、遙の方へ身体を向けた。
「じゃあ」
「……はい」
さっきまで、嫉妬して、少し不機嫌だった顔ではなく。
いつもの秀平。
でも、少しだけ緊張しているようにも見えた。
「金田遙さん」
「……はい」
フルネーム、なんだか余計に緊張する。
「俺は」
「……」
「遙ちゃんが好きです」
胸が大きく鳴った。
分かっていた。
今、聞いたばかりだから分かっている。
それでも、改めて言われると全然違った。
「俺と」
秀平が少しだけ笑う。
「付き合ってください」
「……」
遙は秀平を見る。
あの日、雨の駐輪場で顔色の悪い人だと思った。
ただ、それだけだった。
それなのに、その人が自分を探して、見つけて、何度も話しかけてくれて、笑ってくれて、自分の知らなかった世界を少しずつ、見せてくれた。
そして、自分も変わった。
「……はい」
小さく答えた。
秀平が少しだけ、目を見開く。
遙はもう一度、今度はちゃんと。
「よろしくお願いします」
秀平が笑った。
「……よかった」
本当に安心したように笑った。
その顔を見て遙も少し笑った。
「でも」
「え?」
「一ついいですか」
「……はい」
「さっき」
「うん」
「いきなり腕を引っ張って連れてくるのは、よくないと思います」
「……はい」
「びっくりしました」
「……ごめんなさい」
「あと」
「まだある?」
「あります」
「はい」
「さっきの人は、本当に普通の知り合いです」
「……はい」
「講義が一緒なだけです」
「はい」
「普通に話してただけです」
「……はい」
「分かりました?」
「分かりました」
しゅんとしている。
遙はそんな秀平を見て少しだけおかしくなった。
「……ふふ」
「何?」
「いえ」
「笑った?」
「笑ってません」
「絶対笑ったでしょ」
「……少しだけ」
秀平もつられるように笑った。
窓の外では、まだ雨が降っている。
あの日も、雨だった。
あの日。
遙が差し出した一本の傘。
あのときはこんな日が来るなんて。
二人とも知らなかった。
こんにちは。
名無しのkikoです。
ようやく付き合いましたね。
ここまでお付き合いいただいた皆様にも感謝です。




