これはデート?【後編】
そろそろカフェを出ようという時に、秀平が伝票を持って席を立とうとした。
遙は慌てて伝票をひったくり、秀平の前に立つ。
「割り勘ですからね」
「…俺が誘ったからさ」
秀平が言いかけたとき、遙はもう一度言った。
「割り勘ですからね!」
「…はいはい。」
もう遙の性格がわかっているので、余計な問答を避けて伝票を渡した。
カフェを出ると、秀平が足を止めて振り返った。
「遙ちゃん」
「はい」
「このあと、時間ある?」
「……あります」
「ちょっと歩かない?」
「はい」
それだけで、今日がまだ終わらないことに、ほっとした。
駅前の本屋へ入った。
秀平は、工学書の棚で足を止める。
遙は、経営学の棚を見る。
「こういうの読むんだ」
「金本さんこそ」
「俺は必要だから」
「私もです」
「遙ちゃん、休みの日も勉強してそう」
「しますよ」
「やっぱり」
「金本さんはしないんですか?」
「するけど、遙ちゃんほどじゃない」
「私を何だと思ってるんですか」
「真面目な人」
「……」
「褒めてるよ」
「分かってます」
本屋を出て。
雑貨屋を覗いて。
少し歩いて。
気づけば…空は少しずつ、夕方の色になっていた。
「……もうこんな時間」
遙が呟く。
「ほんとだ」
「そろそろ帰ります?」
「……うん」
少しだけ、残念だった。
*
駅へ向かう途中、話していても、話さなくても居心地がよかった。
ぽつ。
遙の頬に何かが当たった。
「……雨?」
秀平が空を見る。
ぽつ。
ぽつ。
少しずつ、雨粒が増えていく。
「降ってきたね」
「天気予報、雨でしたっけ」
「いや」
秀平が肩にかけていた鞄を開く。
「でも」
取り出したのは、一本の傘。
「今日は持ってきてる」
遙は、その傘を見る。
「……」
見覚えがある。
「これ……」
「うん」
秀平が笑った。
「あの日の傘」
「……本当に持ってたんですね」
「だから言ったじゃん」
「……」
秀平が傘を開く。
「入る?」
「……はい」
二人で、傘の下へ入る。
近い。
思った以上に近い。
肩が少しだけ触れる。
遙は、反射的に少し外側へ寄った。
「遙ちゃん」
「はい?」
「濡れるよ」
秀平が傘を遙の方へ傾ける。
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃないって」
また、肩が触れる。
近い。
「……」
心臓の音が、雨音より大きく聞こえる気がした。
「……あの」
「ん?」
「金本さん」
「うん」
「……これ」
遙は傘を見上げる。
「本当に、返すために私のこと探してたんですか?」
「……」
秀平が遙を見る。
「まだ言ってるの?」
「だって」
「……」
「経営学部のシラバスまで見て」
「うん」
「一年生の授業まで調べて」
「うん」
「友達にも聞いて」
「うん」
「……傘一本のために」
秀平が、足を止めた。
遙も止まる。
雨が、傘を叩いている。
「遙ちゃん」
「はい」
秀平は少し困ったように笑った。
「傘だけだったら」
「……」
「そんなに探さないよ」
胸が、鳴った。
「……じゃあ」
遙は秀平を見る。
「なんで……」
聞いてから、怖くなった。
でも、もう逃げなかった。
秀平はそんな遙を見て、少しだけ目を細めた。
「もう一回、会いたかったから」
「……」
「遙ちゃんに」
雨の音。
人の声。
遠くを走る車。
全部。
少しだけ、遠くなった気がした。
「最初はさ」
秀平が言う。
「名前しか分からなかったんだよ」
「……傘に書いてあった」
「そう」
「……」
「やっと見つけたと思ったら、全然覚えてないし」
「……すみません」
「で」
秀平が笑う。
「やっと話せるようになったと思ったら、逃げるし」
「……」
「席変えるし」
「……」
「女の子来たら帰るし」
「……もういいです」
「でも」
秀平の声が少しだけ柔らかくなった。
「最近は、逃げなくなった」
「……」
「今日も来てくれたし」
遙は俯いた。
今日朝から何度も鏡を見た。
服を着替えて。
髪をやり直して。
メイクをして。
十五分も早く待ち合わせ場所に来た。
全部、この人に会うために。
「……私も」
「ん?」
「……」
言えるだろうか。
でも、言いたかった。
「私も……今日」
「うん」
「楽しみにしてました」
言った。
顔が熱い。
秀平が、何も言わない。
「……金本さん?」
「……」
顔を上げる。
秀平が遙を見ていた。
「……何ですか」
「いや」
少し、笑う。
「嬉しい」
「……」
また、胸が鳴る。
距離が、近い。
傘の下。
逃げる場所がない。
でも、逃げたいとは思わなかった。
「遙ちゃん」
「……はい」
秀平が少しだけ遙の方へ顔を近づける。
そして、止まった。
「……キスしていい?」
「……」
遙は固まった。
「……」
キス。
今。
そう言った?
「……は…ぃ」
声が、出ない。
もう一度。
「……はい」
今度はちゃんと言った。
秀平の顔がゆっくり近づく。
遙は目を閉じた。
唇に、柔らかいものが触れた。
ほんの、一瞬。
それだけ。
秀平が離れる。
「……」
遙は、目を開けた。
近くに秀平の顔。
「……」
何を…言えばいいのだろう。
分からない。
秀平も、少し照れたように笑っている。
「……ごめん」
「……」
「嫌だった?」
遙は首を横に振った。
「……嫌じゃないです」
秀平が笑った。
また、胸がうるさくなる。
「……あの」
「ん?」
「一個、聞いていいですか」
「いいよ」
遙はずっと気になっていたことをとうとう口にした。
「……今日って」
「うん」
「デート……だったんですか」
「……」
秀平が目を瞬く。
そして、吹き出した。
「今さら?」
「だって」
「え?」
「ちゃんと、言われてないので」
「……」
秀平はしばらく笑っていた。
「分かった」
「……」
「じゃあ、ちゃんと言う」
傘の下。
秀平が遙を見る。
「今日は、デートです」
「……」
やっぱり、そうだった。
「……そうですか」
「うん」
「……分かりました」
「何が?」
「デートだったということが」
「……遙ちゃん」
「はい」
「やっぱ可愛いね」
「……もう言わないでください」
「それは無理って言ったじゃん」
「……」
遙は。
何も言えなくなった。
*
帰りの電車。
遙は座席に座っていた。
窓の外。
雨に濡れた街が流れていく。
唇に、まだあの感触が残っている気がする。
「……」
指で触れそうになってやめた。
キスした。
金本さんと。
キスした。
「……」
顔がまた熱くなる。
デートだった。
楽しかった。
また、会いたいと思う。
そして、ふと遙はあることに気がついた。
「……」
キス、した。
でも。
(……付き合ってない)
「……」
告白、されていない。
自分もしていない。
なのに、キスした。
「……え?」
遙は。
電車の中で一人固まった。
(……どういうこと?)
今日、最後まで分からないことが一つ増えた。
こんにちは。
名無しのkikoです。
さあ、ついにキスをしました。キスです!




