気付かされた
大手証券会社の社長による講義が始まった。
「えー、みなさん、初めまして。ABCD証券株式会社の代表取締役社長、花沢実です」
教壇に立った花沢は、学生たちを見渡した。
「まずは自己紹介ですね。僕は普段、大阪で働いています。毎週この講義のために、新幹線で来ます」
その瞬間、後ろの方から、
「えぇー!」
と声が上がった。
花沢は笑う。
「この後も新幹線で大阪に帰って、仕事をしますので。短い時間ですが、皆さんにとって少しでも勉強になることを話せればと思います。よろしくお願いします」
拍手が起こる。
遙も小さく手を叩いた。
(……で、結局、何を教えてくれるんだろう)
そんなことを思いながら、背筋を伸ばして講師を見る。
講義は、遙が想像していたものとは少し違った。
半分は、花沢自身の人生経験を交えた「生き方」の話。
そしてもう半分は、単利法や複利法など、金融に関わる真剣で難しい内容だった。
その落差が、とにかく大きい。
難しい話を真剣に聞いていたかと思えば、突然、
「僕は若い頃、全然モテなくてね」
なんて話が始まる。
「告白したこともないんですよ」
そんな話まで出てくる。
後ろの方では、学生たちが笑っている。
けれど遙は、少しだけ物足りなさを感じていた。
(もっと勉強になることを聞きたいんだけどな……)
花沢は、毎回学生から質問を受け付けていた。
一講義につき、二、三人。
それとは別に、紙を配って質問を書かせることもしていた。
遙も、その紙に一言だけ書いた。
『もっと勉学について学びたいです』
そんな質問をしたところで、どうなるわけでもない。
けれど、正直な気持ちだった。
そして、その日の質問コーナー。
二つ隣の秀平が手を挙げた。
「前に座ってるキミ! どんな質問がありますか?」
前の方に座っている学生は、それだけで目立つ。
秀平は立ち上がった。
学生支援課の職員が持ってきたマイクを受け取る。
「工学部三回生の金本秀平です。貴重なお話、ありがとうございました」
一度、花沢を見る。
そして続けた。
「質問なんですが……社長と平社員……というか、一般社員との距離感って、どうされていますか?」
——勉学についての質問ではなかった。
金融の話でもない。
花沢の過去についてでもない。
遙は、少しだけ目を見開いた。
そして、秀平を見る。
花沢は少し考えるような表情をしてから、答えた。
「僕ね、他の社員とは、あまり仲良くしないようにしてるんです」
教室が静かになる。
「仲良くなると、どうしても情が湧いちゃうから」
花沢は、ある社員の話を始めた。
仕事をしない社員。
「自分はできないんでー」
そう言って、何事にもいい加減だったという。
「だから僕、みっちり叱ってね。できるようになるまで指導したんです。このままじゃその子、どこにいってもダメなままになっちゃうから。」
その社員は、やがて仕事ができるようになった。
仕事に対する姿勢も変わり、以前とは見違えるほどになった。
「でも、それだけ」
花沢はあっさりと言った。
「できるようになったら、僕は関わらないようにしてるよ」
それまで、花沢の経験談に笑ったり、反応したりしていた後ろの学生たちも、黙って聞いていた。
遙も、黙っていた。
そして——
少し考えた。
大学では、簿記や会計学を学んでいる。
マーケティングも学ぶ。
もちろん、それらは仕事をする上で必要になるだろう。
でも。
働き始めたら、それだけでいいわけじゃない。
人と人との関わり。
コミュニケーション。
相手を理解すること。
そして、自分自身がどう働くのか。
必要なものは、きっともっとたくさんある。
「貴重なお話、ありがとうございました」
秀平が一礼して、席に座った。
遙は、そんな秀平を見ていた。
——この人。
ちゃんと考えているんだ。
勉強だけじゃなくて。
働くことそのものについて。
遙は、秀平に対して初めて、一目置いた。
不覚にも。
秀平は、何事もなかったかのようにルーズリーフへ視線を落とした。
丁寧な字で、講義の内容を書き留めている。
遙は、またその横顔を見た。
すると。
秀平が、ほんの一瞬だけ遙を見る。
目が合いそうになって、遙は慌てて前を向いた。
——秀平は、気づいていた。
遙が、自分を見ていたことに。




