気づかれないほどに。
金曜日。
三限。
『情報開発演習Ⅲ』
遙は。
いつもの席に座っていた。
髪は。
あゆみと成美に何度も練習させられた編み込み。
今日はメガネもない。
コンタクトレンズ。
アイシャドウは薄く。
マスカラも。
昨日、成美から。
『遙は濃くしすぎない方が絶対いい』
と言われた通りにした。
何度目か分からないくらい。
携帯電話の画面で時間を確認する。
あと10分。
(……まだかな)
教室の入口を見る。
来ない。
(別に)
待ち合わせしているわけじゃない。
いつも。
勝手に隣に来るだけ。
それなのに。
今日は。
いつ来るんだろう。
気づくだろうか。
なんて言うだろう。
胸の奥が。
ずっとむずむずしている。
そして。
(……きた)
秀平が教室へ入ってきた。
遙は慌てて前を向いた。
(普通に)
普通にしていよう。
いつも通り。
『おはよう』
そう言われたら。
『おはようございます』
そう返すだけ。
けれど。
足音が。
来ない。
「……?」
少しだけ横を見る。
秀平は。
教室を見回していた。
そして。
遙の横を通り過ぎた。
「……」
え。
そのまま。
斜め後ろの席へ座った。
「……」
なんで。
挨拶も。
なかった。
遙は前を向く。
胸の奥が。
さっきとは違う意味で。
ざわざわする。
(……変なのかな)
似合っていない?
メイクも。
髪も。
全部。
頑張りすぎた?
『ブス』
ふいに。
昔の言葉が浮かぶ。
(……)
ブスが。
無理しているように見えるのかな。
隣にも。
座りたくないくらい。
「……」
正直。
ショックだった。
でも。
挨拶くらいは。
しよう。
遙は意を決して。
振り返った。
「……金本さん」
秀平が顔を上げる。
「ん?」
目が合った。
「……」
秀平が。
固まった。
遙は不安になって。
少し首を傾げる。
「おはよう……ございます」
「……」
秀平の顔が。
一気に赤くなった。
「……え」
目を逸らす。
そして。
口元を手で隠した。
「……おはよう」
「……」
「ごめん」
もう一度。
遙を見る。
そして。
また逸らした。
「気づかなかった」
「……」
気づかなかった。
その言葉に。
少しだけ安心する。
けれど。
まだ。
聞きたいことがある。
「……変ですか?」
「え?」
「今日」
「……」
秀平が。
また遙を見る。
今度は。
ちゃんと。
髪から。
顔まで。
見られている気がした。
「……いや」
「……」
「似合ってるよ」
「……」
それだけ。
それだけだった。
「……ありがとうございます」
遙は前を向いた。
(……似合ってる)
嬉しい。
嬉しいけれど。
ほんの少しだけ。
物足りない。
何を期待していたんだろう。
そんな遙の後ろで。
秀平はまだ口元を手で隠していた。
「……反則だろ」
小さな声は。
遙には届かなかった。
*
講義が終わる。
「遙ちゃん」
鞄を片付けていた遙が振り返る。
「はい」
「4限、空いてる?」
「空いてます」
少し考えて。
遙は言った。
「今日は、私の奢りです」
「いいの?」
「はい」
「じゃあ、よろしく」
いつもの二人に。
少しずつ。
戻っていく。
*
飲み物を買って。
いつものベンチ。
遙が腰を下ろす。
秀平も。
隣へ座った。
その様子を。
物陰から。
二人の女が見ていた。
「……遙」
あゆみが呟く。
「最高に仕上がってるね」
「ね」
成美も満足そうに頷く。
「ゼミ生でも気づかないんじゃない?」
「それは言いすぎじゃない?」
「でも金本さん、一回気づかなかったよ?」
「見た!? あの反応!」
「見た!」
「顔真っ赤だった!」
「これは勝ったね」
「だから何に勝つのよ」
本人が聞いていたら。
そう言っただろう。
そのとき。
二人の男がやってきた。
「あ」
「あいつら」
秀平の友人二人。
彼らもまた。
ベンチを見る。
「……」
足が止まった。
「……え?」
「……誰?」
二人が顔を見合わせる。
「おい」
「うん」
「いくぞ」
「おー」
ずんずんと。
ベンチへ向かう。
「秀平!!」
「……え」
秀平が振り返る。
嫌な予感。
「なに」
「遙ちゃんはどうしたんだよ!?」
「……は?」
秀平と遙。
二人とも。
ポカンとする。
「お前!」
一人が秀平を指差す。
「あんなに必死で探してたくせに!」
「……ちょっ」
秀平の顔色が変わった。
「経営学部のシラバスまで隅から隅まで見て!」
「待て」
「一年の必修まで調べて!」
「おい、待てって」
「経営学部の友達に一年が空き時間に取りそうな授業聞きまくって!」
「ちょっと待て!!」
遙が。
ゆっくり秀平を見る。
「……」
秀平は。
遙を見ない。
「それでやっと!」
「やめろ!!」
「一緒に受けられる講義見つけたのに!!」
「……」
遙の目が。
少しずつ。
大きくなる。
一方。
何も知らないもう一人は。
遙を見ていた。
「ていうか」
遙を指差す。
「誰だよ! その女!?」
「……」
遙は。
瞬きをする。
そして。
恐る恐る。
自分を指差した。
「……金田」
「……」
「遙……です、が」
「……」
二人の男が。
固まった。
数秒。
「ええええええええええ!?!?」
「うるさっ!」
そして。
その声に。
とうとう。
隠れていた二人まで飛び出してきた。
「ちょっと!!」
あゆみ。
「静かにしてください!!」
成美。
「二人のオアシスを汚さないでください!!」
「……誰!?」
「そっちこそ誰!?」
「俺ら秀平の友達!」
「私ら遙の友達!」
「……」
「……」
四人が。
顔を見合わせる。
「あ」
「ああ」
「この前の」
「なるほど」
「なるほどじゃない」
秀平が。
頭を抱えた。
「頼むから」
大きなため息。
「俺の秘密までバラさないでくれ……」
「……」
遙だけが。
笑えなかった。
秘密。
シラバス。
一年の必修。
空き時間に取りそうな授業。
そして。
『情報開発演習Ⅲ』
遙は。
ゆっくり。
隣の秀平を見る。
「……金本さん」
「……はい」
なぜか。
敬語。
「もしかして」
「……」
「最初の講義で」
「……」
「私の近くに座ったのも……」
秀平が。
目を逸らした。
「……」
「コンタクト」
遙が言う。
「忘れたって……」
「……」
沈黙。
友人二人が。
秀平を見る。
あゆみと成美も。
秀平を見る。
そして。
遙も。
秀平を見る。
「……」
秀平は。
諦めたように。
大きく息を吐いた。
「……忘れてない」
「……」
「コンタクト」
遙の胸が。
大きく。
鳴った。




