こっちは覚えてたのに。
「……なんで」
遙は秀平を見る。
「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか?」
「え?」
「傘のことです」
「ああ」
秀平は、何でもないことのように笑った。
「言ったじゃん」
「いつですか?」
「『やっぱ覚えてないか』って」
「……」
遙は一瞬、言葉を失った。
確かに。
言われた。
言われたけれど。
「そんなんじゃ分かりません!!」
「だろうね」
「……!」
分かっていたらしい。
「じゃあ、ちゃんと言ってくださいよ!」
「でも、遙ちゃん全然覚えてなさそうだったから」
「……それは」
「ちょっと悔しかった」
「え?」
「こっちは覚えてたのに」
秀平は笑っている。
冗談なのか。
本気なのか。
分からない。
「……すみません」
「謝らなくていいって」
秀平が腕時計を見る。
「あ。そろそろ5限じゃない?」
「……あ」
遙も携帯電話で時間を確認する。
もう、講義開始まであまり時間がない。
「行かないと」
遙が立ち上がる。
「あ、遙ちゃん」
「はい?」
「今度さ」
秀平が言った。
「傘、返すよ」
「……まだ持ってるんですか?」
「持ってるよ」
「新しいの買ったから、もういいですよ」
「そんなこと言わずにさ」
秀平が笑う。
「磨いといたから」
「……傘を?」
「うん」
「……」
傘って。
磨くものだっけ。
「じゃあ、また」
「あ……はい」
遙は数歩進んでから。
振り返った。
秀平はまだそこにいた。
目が合う。
ひらひら。
いつものように。
手を振る。
遙も。
小さく手を振り返した。
遙の姿が見えなくなるまで見送ってから。
秀平は研究棟へ向かった。
工学部の研究室。
扉を開ける。
「お疲れー」
「お疲れ」
中にいた友人二人が。
同時にこちらを見た。
「……」
「……」
秀平は嫌な予感がした。
「なに」
「いや?」
「別に?」
「……」
ニヤニヤしている。
「なんだよ」
「秀平ちゃん」
「なに」
「頑張ったねえ」
「……は?」
「見てたぞー」
「……何を」
「腕」
「……」
「つかんだねえ」
「……見てたの?」
「見てた見てた」
「俺たちはお前の恋を応援しています」
「うるさい」
秀平は鞄を机に置いた。
「で?」
「何が」
「何話してたの?」
「別に」
「嘘つけ!」
「教えろ!」
「研究しろよ、お前ら」
秀平は自分の席に座る。
「そういえばさ」
友人の一人が言った。
「遙ちゃんの友達っぽい女の子二人もいたぞ」
「え?」
「俺らと同じように見てた」
「……」
「目合った」
「なんか、お互い分かった」
「何が」
「俺らは秀平ちゃん側」
「向こうは遙ちゃん側」
「……何その陣営」
「知らん」
秀平は呆れながら、パソコンを立ち上げた。




