↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/46

あの日の傘。

「……ほら」


秀平がベンチを指した。


「座ろ」


「……」


「もうちょっと話したい」


遙は秀平を見る。


さっき。


あんなことを言ってしまった。


そのうえ。


『可愛いね、遙ちゃんは』


なんて言われた。


今すぐ5限の講義室へ逃げたい。


けれど。


もう。


逃げるための嘘も思いつかない。


「……いい?」


秀平が聞く。


遙は諦めたように、ベンチへ腰を下ろした。


「……はい」


秀平も隣に座る。


少しの沈黙。


遙はぬるくなったミルクティーを両手で持ったまま、前を向いていた。


秀平の顔は見られない。


「俺さ」


「……はい」


「今年のゴールデンウィーク明けに、めちゃくちゃ体調崩したんだよね」


「……ゴールデンウィーク明け?」


なぜ。


突然そんな話をするんだろう。


「うん。すごい熱出て」


「大丈夫だったんですか?」


「全然大丈夫じゃなかった」


秀平が笑う。


「帰宅後に熱が上がって、翌日病院へ行ったらインフルだった」


「インフル……」


そういえば。


(……私も)


今年のゴールデンウィーク明け。


インフルエンザにかかった。


「でもその日、どうしても受けないとまずいテストがあってさ」


「え」


「朝はまだ、ただの風邪だと思ってたから。フラフラしながら大学来て、テストだけ受けた」


「……」


「友達にも顔やばいから帰れって言われて」


「帰った方がいいですよ」


「うん。今ならそう思う」


「今じゃなくてもそうです」


「ごもっともです」


秀平が笑う。


「それでさ。その日、雨だったんだよ」


「……雨」


「俺、自転車通学だから」


秀平は前を向いたまま続ける。


「ほんとやべーなって思いながら駐輪場行ったの」


「はい」


「そしたら」


少し笑う。


「俺の自転車を最後に、自転車が全部ドミノ倒しになってんの」


「……最悪ですね」


「でしょ?」


「電車で帰らなかったんですか?」


「その頃、金銭的にも結構やばかったんだよ」


秀平が笑った。


「大学生って金ないから」


「……それで?」


「どうしようかなーって」


秀平は話を続ける。


「雨の中、これ全部一人で直すのかって。熱あるし。頭痛いし。もう放置して帰りたいくらいだった」


「……」


「そしたらさ」


秀平が、少しだけ笑った。


「俺の前を歩いてた女の子が、一台起こしたんだよ」


「……え」


「そのまま次の自転車も起こして」


遙の指が。


わずかに動いた。


「別に、その子の自転車じゃないんだよ?」


「……」


「俺も慌てて手伝って」


秀平は笑う。


「『大変ですよね』とか話しながら、二人で一台ずつ起こしていった」


遙は。


動けなくなった。


雨。


駐輪場。


倒れた自転車。


知らない男の人。


(……まさか)


「全部直し終わってさ」


秀平は続ける。


「当然その子も自転車取りに来たんだと思ってたの」


「……」


「でも、そのまま歩いて行こうとするから」


秀平が笑った。


「思わず引き留めた」


「……」


「『自転車じゃないんですか?』って」


「……」


「そしたら、『電車です』って」


覚えている。


雨の日。


たくさん倒れていた自転車。


一人で直すのは大変だろうと思った。


だから。


ただ。


起こしただけ。


「俺があまりにもびっくりしてたからかな」


秀平の声が聞こえる。


「その子、笑ってた」


「……」


「で、そのとき初めて、俺の顔ちゃんと見たんだろうね」


秀平が笑う。


「急にすげー心配し始めて」


「……顔色、悪かったから」


口から出た。


秀平が遙を見る。


「そう」


「……」


しまった。


遙は口を閉じた。


秀平は少し嬉しそうに笑って、また前を向いた。


「顔色悪いですよ、とか。大丈夫ですか、とか」


「……」


「俺は大丈夫って言ったんだけど」


「全然大丈夫じゃなかったじゃないですか」


「うん。全然大丈夫じゃなかった」


二人の間に。


少しだけ沈黙が落ちる。


「それでさ」


秀平が続ける。


「その子、自分の傘を俺に貸してくれたんだよ」


「……」


「自転車押して帰るなら、使ってくださいって」


「……」


「少しでも濡れない方がいいからって」


遙の中で。


ばらばらだった記憶が。


少しずつ。


一つにつながっていく。


あの日。


顔色の悪かった男の人。


雨。


自転車。


傘。


でも。


顔は。


覚えていなかった。


「俺が駐輪場出るときもさ」


秀平が笑う。


「ずっと見てんの」


「……」


「心配そうな顔して」


「だって……」


「うん?」


「……本当に、顔色悪かったから」


「そっか」


また。


秀平が笑う。


遙は俯いた。


なんで。


どうして。


私は。


忘れていたんだろう。


「で」


秀平が言った。


「その傘に、名前が書いてあったんだよね」


「……」


「名前、教えてあげよっか」


もう。


分かっている。


分かっているけれど。


遙は小さく首を振った。


「……言わなくていいです」


「そう?」


秀平が笑う。


そして。


ゆっくり。


その名前を口にした。


「金田遙」


「……」


やっぱり。


私だった。


「だから俺は」


秀平が遙を見る。


「遙ちゃんのこと、知ってた」


『知ってるよ』


『やっぱ覚えてないか……』


今まで。


意味の分からなかった言葉が。


全部。


つながった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。