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逃がしてくれない

金曜日、4限。


二人は、いつものように自動販売機へ向かった。


10月に入り、少しずつ風が冷たくなってきた。


自動販売機にも、いつの間にか赤い「あったか〜い」の表示が増えている。


「今日はホットにしよ」


秀平が言った。


「私もそうしようかな」


遙が財布を取り出そうとすると、秀平が先に小銭を入れた。


「あ」


「今日は俺」


「この前、私が買いましたよね」


「うん。だから今日は俺」


ボタンを押す。


ガコン。


温かいミルクティーが落ちてきた。


それを遙に差し出す。


「はい」


「……ありがとうございます」


続いて、自分のカフェオレを買う。


「じゃあ」


秀平が缶を取り出しながら言った。


「来週は遙ちゃんよろしく」


「……」


まるで。


来週もこうして二人で過ごすことが、もう決まっているみたいだ。


遙は温かい缶を両手で包む。


「……分かりました」


なるべく。


いつも通りに。


何でもないことのように答えた。


けれど。


少しだけ、口元が緩んでいることには気づかなかった。





そんな二人を。


少し離れた場所から見ている人物たちがいた。


「おおー」


「秀平ちゃん、頑張ってるじゃん」


工学部の男子学生、二人。


以前、遙を助けてくれた秀平の友人たちだった。


物陰から二人の様子を眺めている。


「また二人でいるぞ」


「進展してんじゃん」


「飲み物まで買ってあげてる」


「秀平ちゃん、やるねえ」


「声でかいって。バレるぞ」


その少し離れたところで。


「ねえ、成美!」


「なに?」


「見てっ!」


あゆみが成美の腕を叩く。


「あれ!」


「どれ?」


「遙!」


「え?」


成美が視線を向ける。


「……あ!」


二人でいる。


遙と。


例の、工学部三回生。


「え、あの人!?」


「絶対そうでしょ!」


「遙の隣の人!?」


「声大きい!」


二人もまた。


少し離れたところから様子を窺う。


そして。


「……ん?」


秀平の友人の一人が、視線を感じて横を向いた。


あゆみも同時にそちらを見る。


目が合う。


「……」


「……」


知らない男子学生二人。


知らない女子学生二人。


なのに。


なぜか全員が同じ方向を見ている。


男子学生が、秀平を指差す。


あゆみが、遙を指差す。


「……そっち?」


「……そっち?」


四人は顔を見合わせた。


そして。


ほぼ同時に。


「なるほど」


頷いた。




そんなことが起きているとは知らず。


遙と秀平は、いつものベンチに座っていた。


「で、結局ラーメン屋行ったんですか?」


「行ったよ」


「どうでした?」


「美味かった。でも辛いやつ頼んだら思ってたより辛くて」


「金本さん、辛いの苦手なんですか?」


「苦手じゃないと思ってた」


「じゃあ苦手だったんですね」


「認めたくないなあ」


「なんでですか」


「なんとなく」


「意味分からない」


遙が笑う。


秀平も笑った。


気づけば。


もう三十分ほど経っていた。


話すことなんて。


毎回、特に決めているわけじゃない。


それなのに。


不思議と会話が途切れない。


そのとき。


「あ、秀平」


遙の指が止まった。


この声。


顔を上げる。


やっぱり。


月曜日。


そして先週の金曜日にも会った、あの女学生だった。


「あ、お疲れ」


秀平が手を上げる。


女性は二人のところへやってくる。


「この前のデータ、先生に見せた?」


「見せたよ」


「なんて?」


「やっぱもう一回条件変えて取った方がいいって」


「あー、やっぱりか」


「来週のゼミまでに一回やってみようと思ってる」


「じゃあ私も——」


また。


二人の会話が始まった。


実験。


データ。


ゼミ。


教授。


分からない。


やっぱり。


遙には分からない。


さっきまで自分と話していたときとは違う。


専門的な言葉を使いながら、秀平が当たり前のように会話を続けている。


遙は手元のミルクティーを見る。


温かかった缶は。


いつの間にか少しぬるくなっていた。


(……まただ)


胸の奥がざわつく。


あゆみと成美に言われた。


彼女かどうかも分からない。


何も知らないのに、勝手に負けたと思っているだけ。


分かっている。


この人は何も悪くない。


秀平だって、何も悪くない。


それでも。


二人が話しているところを見ているのは。


やっぱり、苦しい。


「それで、教授が——」


「うん。だったら——」


話が深くなっていく。


遙は膝の上の鞄を持った。


(……帰ろう)


前と同じ。


また逃げる。


分かっている。


でも。


今はまだ、ここにいられない。


「……あの」


立ち上がる。


秀平がこちらを見た。


「私、5限の準備があるので」


また。


嘘をついた。


「先に行きますね」


そう言って歩き出そうとした。


そのとき。


「待って」


「……え?」


腕を掴まれた。


驚いて振り返る。


秀平だった。


強くはない。


でも。


行かせないように。


遙の腕を掴んでいる。


「……金本さん?」


秀平は遙を見たあと、女性へ顔を向けた。


「ごめん。この話、また来週のゼミでいい?」


「あ、うん。いいよ」


女性は少し驚いた顔をしたものの、すぐに頷いた。


「じゃあ、また来週」


「うん。また」


女性が去っていく。


遙はその後ろ姿を見る。


そして。


自分の腕を見る。


まだ。


秀平の手がある。


「あ……ごめん」


秀平も気づいたのか、すぐに手を離した。


「5限の準備するんでしょ?」


「……はい」


「何するの?」


「え」


「準備」


「……」


何も考えていなかった。


「……いろいろです」


「いろいろ?」


「……はい」


「じゃあ手伝う」


「え?」


「俺、まだ話したいから」


「……」


秀平は何でもないことのように言う。


「5限の準備、手伝うよ」


「……」


そうきたか。


遙は黙った。


困った。


非常に困った。


なぜなら。


(……準備なんて、ない)


逃げるために。


咄嗟についただけの嘘だった。


遙は、自分の鞄をぎゅっと握った。


さて。


どうしよう。


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