恋愛偏差値
土曜日。
いつものように、遙は家庭教師のアルバイトに来ていた。
いつものように兄の90分の指導を終え、妹と入れ替わる時間になった。
兄の授業が終わり、妹と入れ替わる時間になる。
遙が使った教材を片付けていると、兄が椅子に座ったまま、くるりとこちらを向いた。
「先生」
「なに?」
「連絡先、聞いた?」
遙の手が止まった。
(なんで覚えてるのよ)
「……聞いてない」
「ええー!」
ちょうど部屋に入ってきた妹まで声を上げる。
「なんで!?」
「……いろいろあったの」
「いろいろって何?」
「いろいろは、いろいろ」
言えるわけがない。
綺麗な女の人が現れて。
勝手に自信をなくして。
その場から逃げました、なんて。
「先生さあ——」
妹が遙の顔をじっと見る。
「……なに?」
「メイクしてる?」
「え」
反射的に、自分の頬へ手をやった。
「……分かる?」
「分かるよ!」
「前となんか違う」
兄までこちらを覗き込んでくる。
「先生、頑張ってんじゃん!」
「……何、その上から目線」
「だって、前なんにもしてなかったじゃん」
「日焼け止めは塗ってたよ」
「それメイクじゃなくない?」
「……うるさい」
兄妹が笑う。
遙も、つられて少し笑った。
「でも、いいじゃん」
妹が言う。
「似合ってるよ」
「……ありがと」
素直にそう言うと、なんだか少し照れくさかった。
「あ、そういえば」
遙は教材を妹の前に置きながら言った。
「先生、友だちできたよ」
「……え?」
二人が同時にこちらを見る。
「大学で」
「先生、友だちいなかったの!?」
「……そこに驚かないで」
「え、どんな人?」
「同じ学部。同じゼミの二人」
「女の人?」
「うん」
「その人たちがメイク教えてくれたの?」
「そう。毎日ダメ出しされてる」
「いいじゃん!」
「ダメ出ししてって頼んだのは私だけどね」
そこまで話して。
遙はふと思う。
(……私、中学生相手に何を報告してるんだろう)
思わず笑ってしまった。
「先生、なに笑ってんの?」
「なんでもない」
「ていうかさ」
兄が言う。
「その友だちにも相談すればいいじゃん」
「……相談?」
「その男の人のこと」
「……」
「大学生なんだから、俺らよりマシでしょ?」
確かに。
その通りだ。
「私の恋愛偏差値は、あんたたちと同じくらいよ」
「は!?」
兄妹が同時に声を上げた。
「先生よりは上だよ!!」
「なんでよ」
「だって先生、連絡先すら聞けてないじゃん!」
「……」
言い返せない。
「ほら!」
「先生、負けてる!」
「……はい。勉強始めるよ」
「逃げた!」
「宿題出して」
「先生ずるい!」
「早く」
不満そうな顔をしながらも、妹は鞄から宿題を取り出した。
兄も自分の問題集を開く。
それからは、いつもの家庭教師の時間に戻った。
けれど。
二人に言われた言葉が、少しだけ頭に残った。
——友だちにも相談すればいいじゃん。
(……友だち、か)
月曜日。
2限。
いつもなら少し早めに向かう校舎。
けれど、その日は時計を気にしながら、わざと時間をずらした。
秀平に会いたくない。
(……違う)
秀平に会いたくないわけじゃない。
秀平と。
あの人が一緒にいるところを、見たくない。
講義開始ぎりぎりに校舎へ入る。
先週、秀平を待っていたベンチ。
エレベーター前。
無意識に目を向ける。
二人の姿はなかった。
(……よかった)
ほっとする。
それなのに。
ほんの少しだけ。
(……いないんだ)
残念に思った。
(何なの、私……)
そのまま遙は、2限の講義室へ向かった。




