今日は休み?
金曜日、3限。
『情報開発演習Ⅲ』。
遙は、“いつもの席”に座っていた。
今日はまだ、隣の席は空いている。
講義が始まるまで、あと数分。
ちらりと時計を見る。
(……遅い)
いつもなら、もう来ている時間だ。
別に。
待ち合わせをしているわけでもない。
秀平がどこに座るのかだって、決まっているわけじゃない。
それなのに。
講義室の扉が開くたび、遙の視線はそちらへ向いた。
——連絡先を聞く。
今日は、その決意を固めていた。
聞くだけ。
友達だって、連絡先くらい交換する。
あゆみと成美だって、火曜日にあっさり交換した。
だから、別に。
特別なことじゃない。
(……来ない)
開始のチャイムが鳴った。
花沢が講義を始める。
結局。
隣の席は、空いたままだった。
講義が始まって十分ほど経った頃。
後ろの扉が、静かに開いた。
遙は振り返らなかった。
けれど、誰かが前へ歩いてくる気配がする。
そして。
「……ごめん」
小さな声。
顔を上げる。
秀平だった。
遙の隣、一席空けた席に腰を下ろす。
「遅刻した」
「……見れば分かります」
小声で返す。
秀平が少し笑った。
急いで来たのか、いつもより少し髪が乱れている。
鞄からノートを取り出し、すぐに花沢の話へ視線を向けた。
遙も前を向く。
(……来た)
それだけで。
さっきまで妙に落ち着かなかった胸の奥が、少しだけ静かになった。
講義が終わる。
花沢が講義室を出ていき、学生たちも次々と席を立った。
「いやー、やっちゃったわ」
隣から聞こえてきた声に、遙は振り向いた。
「寝坊ですか?」
「違う違う」
秀平はノートを鞄へ入れながら笑った。
「朝から研究室寄ってたんだけど、先輩に捕まってさ」
「先輩?」
「うん。この前話した実験あるでしょ?」
「あ……」
4限に話してくれた研究のことだ。
「ちょっと結果が変だったから、データ見直してたら教授も来て。話してたら時間ギリギリになって」
「それで遅刻したんですか?」
「そう。走ったんだけど間に合わなかった」
「……真面目なんだか、不真面目なんだか分かりませんね」
「研究して遅刻したんだから、真面目じゃない?」
「遅刻は遅刻です」
「厳しいなあ」
秀平が笑う。
遙も、小さく笑った。
そのとき。
秀平が、ふと黙った。
「……?」
じっと見られている。
「……なんですか?」
秀平は答えない。
遙の顔を、まじまじと見ている。
(な、なに……?)
急に落ち着かなくなる。
メイク。
変だっただろうか。
朝、ちゃんと確認した。
首との境目も。
鼻の横も。
ファンデーションだって薄くした。
「……メガネ変えた?」
一瞬。
遙は固まった。
「……え?」
「メガネ。前と違う?」
「……同じです」
思わず笑ってしまった。
「変えてません」
「あれ?」
秀平が首を傾げる。
「じゃあ、なんだろ」
「知りません」
「なんか違うんだよなあ」
まだ見ている。
遙は恥ずかしくなって、顔を逸らした。
(……気づいてない)
少しだけ残念なような。
でも。
何かが違うとは思ってくれた。
それが少しだけ、嬉しかった。
「遙ちゃん」
「はい?」
「今日の4限、空いてる?」
「……うん」
前にも聞かれた言葉。
今度は、あのときより少しだけ自然に答えられた。
「じゃあ、また付き合って」
「……はい」
今日も誘われるとは思っていなかった。
だけど。
今日こそは。
そう思う気持ちが、胸の奥からじわじわと押し上がってきた。
そして、秀平と先週のように大講義室を後にした。




