二人だけの四限
金曜日の4限は、いつもなら図書室で過ごす空きコマだった。
けれど今日は、金本秀平と一緒だった。
大講義室を出た秀平は、自動販売機の前まで来ると振り返った。
「何飲む?」
「え……?」
「飲み物。好きなのどれ?」
秀平が自動販売機を指差す。
「あ……えっと、紅茶が好きです」
そう答えると、秀平は迷うことなく小銭を入れ、ミルクティーのボタンを押した。
「お金っ……払います!」
「4限、付き合ってもらうから。これくらいさせて」
取り出した缶を遙へ渡す。
「……ありがとうございます」
秀平は自分用にカフェオレを買った。
大学の校舎に囲まれた広場。
行き交う学生たちを見渡せるベンチに、二人で腰を下ろした。
先に缶を開けたのは秀平だった。
前を向いたまま一口飲み、それから遙を見る。
「俺、甘いの好きなんだよね」
「……ブラックは飲まないんですか?」
「飲むよ。でも基本、カフェオレとか微糖とか選んじゃう」
(そうなんだ……)
知らなかった。
当たり前だけど。
秀平のことなんて、自分はまだほとんど知らない。
「遙ちゃんは? 飲まないの?」
「あ……」
遙はまだ、缶すら開けていなかった。
やっぱりお金を払った方がいいんじゃないか。
そんなことを考えながらプルタブに指を掛けていると、秀平が覗き込む。
「開かない?」
「開きます!」
思ったより大きな声が出た。
カチッ、とプルタブを起こす。
秀平を見る。
笑っている。
「……いただきます」
誤魔化すように、ミルクティーを一口飲んだ。
秀平は笑いながら、自分のカフェオレの缶を両手で包む。
「遙ちゃんは甘いの好き?」
「好き……です。辛いものも」
「へえ。辛いのいけるんだ」
少し迷ってから、遙も聞いてみる。
「その……秀平さんは、コーヒー以外も……食べ物とか、甘党ですか?」
「スイーツとかも好きだよ」
「そうなんですね」
「でも、一人でケーキ屋とか入るのちょっと恥ずかしいんだよね」
「恥ずかしい……? どうしてですか?」
秀平は缶で口元を隠すようにして、少し考えた。
「……なんでだろ。男一人だから?」
(そういうものなのかな)
男子と話す機会があまりなかった遙には、よく分からなかった。
本当に聞きたいことは、こんなことじゃない。
どうして私の近くに座るの?
どうして私を誘ったの?
どうして私を知ってるの?
聞きたい。
なのに、言葉が口から出てこない。
それなのに。
こんな他愛もない話をしている時間が、不思議なくらい心地よかった。
秀平が工学部でどんな授業を受けているのか。
遙がどうして経営学部を選んだのか。
好きな食べ物。
苦手な食べ物。
そんな、どうでもいいような話をいくつもした。
秀平からも、遙のことをたくさん聞かれた。
いつの間にか、最初ほど緊張しなくなっていた。
気づけば、缶の中身はとっくになくなっていた。
カシャ。
突然、後ろからシャッター音がした。
二人同時に振り返る。
「あ」
そこにいたのは、秀平の友人。
以前、遙を助けてくれた二人だった。
「なに二人で話してんの? 俺らも入れてよー」
「お前、勝手に撮んなよ」
秀平が呆れたように言う。
二人は気にする様子もなく、ベンチへやって来た。
「ごめん、ちょっと詰めて」
秀平に言われ、遙は端へ少しずれる。
空いた場所へ秀平が座り直し、その隣に友人二人が腰を下ろした。
気づけば、遙の隣は秀平のままだった。
「あの……!」
遙は立ち上がり、二人の前へ回る。
そして頭を下げた。
「この間は、ありがとうございました」
「ちゃんとお礼、言えてなかったなって思って……」
二人は顔を見合わせる。
それから笑った。
「ちゃんと言ってたよ!」
「はるかちゃん、律儀〜!」
「あの……」
聞いてみよう。
「どうして、私の名前知ってるんですか?」
この二人には、聞けるのに。
「秀平ちゃんに教えてもらったからだよ」
「……」
そうだった。
それは秀平本人から、もう聞いた。
遙が言葉に詰まっていると、秀平が声をかけた。
「遙ちゃん、5限って何受けるの?」
「必修のマーケティング戦略Ⅱです」
「あー、近藤先生ね」
「……よく知ってますね」
遙が目を丸くする。
秀平は何でもないことのように言った。
「経営学部のシラバス、見たからね」
「……え?」
(なんで?)
聞こうとした、そのとき。
秀平が時計を見る。
「もう4限終わるよ。ほら、行きな」
「えっ」
時計を見る。
(もうこんな時間!?)
一時間以上、ここにいた。
そんな感覚はまるでなかった。
「あのっ……ごちそうさまでした」
「こっちこそ。付き合ってくれてありがとね」
秀平はいつもの笑顔で、ひらひらと手を振る。
その隣で、二人の友人が何か言いたげにニヤニヤしている。
「……?」
気にはなった。
けれど5限に遅れる。
遙は三人にもう一度小さく頭を下げ、講義棟へ急いだ。
——結局。
一番聞きたかったことは、何ひとつ聞けなかった。




