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いつもの席

月曜日。


金本秀平から、自分にとっては爆弾のようなものを心に落とされてから。


遙は、秀平のことを気にしてばかりの一週間を過ごした。


校舎を移動しているとき。


秀平に似た声が聞こえれば、そっと振り返ってしまう。


秀平に似た後ろ姿を見つければ、歩く速度を落とす。


追い抜かさないように。


もしかしたら。


向こうが気づいて、話しかけてくれるかもしれない。


そんな淡い期待まで抱いてしまう。


結局、どれもただの他人の空似だったのだけれど。


(なんで……?)


このままじゃ、自分が自分でなくなってしまうような気がして、少し怖かった。


そして、金曜日が来た。


情報開発演習Ⅲ。


今日は——前と同じ席にした。


前から二列目。


出口側。


最初の講義で座った場所。


(……ここを、いつもの席にしよう)


別に、深い意味はない。


そう思いながら席に着く。


しばらくすると、いつものように講師の花沢と学生支援課の職員が入ってきて、講義の準備を始めた。


「おはよう」


声をかけられた。


顔を上げる。


秀平だった。


「おはようございます……」


秀平は、そのまま一つ空けた隣の席に座った。


不意に、顔が少し熱くなる。


「今日はこっちなんだね」


「……はい」


今日の秀平は、メガネをかけていない。


(授業が始まったら、かけるのかな?)


そんなことを考えていると、秀平がこちらを向いた。


「この授業の後って、空いてる?」


「……え?」


「4限」


「あ……」


空いてる。


空いてるけど。


(……なんで?)


「はい! 講義を始めます!」


いつもより少し弾んだ花沢の声が、マイクを通して大講義室に響いた。


二人とも前を向く。


結局、答えられなかった。


講義が始まった。


遙はこんなにも動揺しているというのに、秀平はいつものようにルーズリーフへシャープペンシルを走らせている。


時折、視線が重なる。


そのたびに秀平は、にこっと笑う。


そして何事もなかったように、またノートを取る。


(……無理)


講義の内容が、頭に入ってこない。


(ていうか、今日メガネしてないじゃん)


そんなことまで気になってしまう。


「遙ちゃん」


小さな声がした。


秀平だった。


「当てられてるよ」


「……え?」


『金田遙さーん。今日はお休みですか?』


花沢がマイク越しに呼んでいる。


「は……はい!」


遙は慌てて手を上げた。


「経営学部一回生の金田遙です」


学生支援課の職員が、急いでマイクを持ってくる。


『金田さん、どうですか?』


(やばい……聞いてなかった……)


『最初の講義の質問用紙に、“もっと勉学について学びたい”と書いていましたよね』


「……はい」


『先週と今週は、僕なりに少し意識してみました』


遙は目を瞬いた。


まさか、本当に自分の意見を汲み取ってくれていたとは思わなかった。


二百人近くが入る、この大講義室。


その中の、たった一人の小さな意見を。


遙は小さく息を吐いた。


それから、ゆっくり口を開く。


「私の意見を汲み取ってくださって、ありがとうございます」


一度、言葉を切る。


「最初は……もっと勉強のことを教えてほしい、という気持ちが強かったです。でも、金本秀平さんの……社長と社員の距離についての質問と、その回答を聞いて……」


一つ空けた隣の席へ、ほんの一瞬だけ視線を向ける。


秀平がこちらを見ていた。


「自分の未熟さを、思い知らされました」


花沢も。


秀平も。


ほかの学生たちも。


静かに遙の言葉を聞いている。


「私たちの多くは、卒業したら何かしらの仕事をすると思います」


「やりたい仕事ができたとしても、仕事は一人では完結しない。人と関わる力や、相手を理解しようとすることも必要なんだと気づきました」


花沢が、ゆっくり頷く。


「なので今は……」


急に、大勢の学生に注目されていることを意識した。


声が少しずつ小さくなる。


「勉学以外のお話も……聞いてみたい、です」


少しの沈黙。


それから花沢が、ぱちぱちと拍手をした。


つられるように、講義室にもまばらな拍手が広がった。


『ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいな』


花沢が笑う。


『僕も、そういうことを含めて講義を進められたらと思います。まあ、たまには全然関係ない面白い話もしたいから。それは許してね』


大講義室に笑い声が広がった。


遙も、小さく笑った。


なんだろう。


心の中にずっと引っかかっていたものが、少しだけほどけた気がした。


講義は遙との質疑応答で終わった。


ノートをしまっていると秀平から声をかけられる。


「で、空いてる?」


(…そうだ、聞かれてたんだった…)


「……空いてます」


「よかった。じゃあ、ちょっと付き合って」



「……」


(付き合って……?)


一瞬だけ違う意味に聞こえて、また顔が熱くなる。


「ほら、行こ」


「……はい」


そう言って2人で大講義室を後にした。


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