七 王宮でのマナーレッスン
王宮へ着くと公爵家の馬車だからか面倒な手続きはほぼスルーだった。
それから案内されたのは王宮の端のほうだった。
あまり使ってなさそうな感じの黴臭い部屋。
それからやって来たのは、ほら、何とかっていう意地悪な家庭教師とか先生っぽい女性だった。
「私はザネンザ王子殿下の家庭教師ですからとても忙しいのですよ。それにあなたの元の爵位は子爵家ですって? 王宮に直参出来ない、精霊神様のご加護も分からない下級貴族に、今から二週間で王宮マナーや式典について教えてくれと言われてもねぇ」
イボンヌ伯爵夫人と名乗った女性はイライラしながら僕にそう話した。
僕は黙って彼女の話を聞いていた。
今までに夫人と僕の面識はない。一応、僕は社交界にはちょっぴり顔を出していた。
貴族令息と貴族女子のデビューはかなり違うからね。
そもそも階級も違うけれど、多分、派閥も違ったのだろう。
夫人の言葉に僕も同じ気持ちですと言いたかった。
でも言ったら大変なことになるのは分かりきっているから黙って聞いているしかない。
それも貴族風の微笑みを浮かべていたままだから、表情筋が痛くなってきた。もしかしたら痙攣しているかも。
彼女は首を大きく振り、お手上げたという感じだった。
それから、僕に薄い本を手渡してきた。薄いと言っても某世界の同人とかいう類の本ではない。あれ?
「これは高位貴族の子供用の初級だけど基本は書いてあるわ。だからこれでも読んでいなさい。私も忙しいの。上位貴族の複雑な式典様式や王宮のマナーを二週間で教えろなんて、出来る訳ないじゃない。基本だって怪しいものでしょ。それも、婚約式や半年後の挙式までに王族並みに仕上げるなんて時間の無駄もいいところだわ」
それについてはごもっともです。
そう思って僕は大きく頷きそうになった。
危ない。危ない。僕が同意したなんてどこで誰にチクられるか、ここは一応王宮だし、後々面倒になること間違いない。
「でも、あの、これって……」
しかし、彼女は僕の問いも聞かず、せかせかと彼女は部屋から出て行ってしまった。
僕は手持ち無沙汰なので渡された本をぱらぱらとめくってみた。
「へえ。これで、初級ねぇ……」
とりあえずざっと終わりまで目を通した。それを上着のポケットに無理やり、ねじ込むと僕は部屋の中を眺めた。
「……どうやらここは旧の資料室って感じかな」
僕はいくつか面白そうな本を手に取り読み耽った。
夕日の赤さに我に返り、僕は急いで公爵家の馬車まで戻った。入るのはチェックがあるけど帰るのはノーチェックだった。
いいのかな?
公爵家に戻ると夕食の時間になっていた。
公爵はまだ執務をしているそうなので僕は公爵令嬢と二人で食事をした。
公爵令嬢からは今日の事でいろいろ質問をしてきた。
「今日は王宮でどんなことを学んだのかしら?」
「……えっと大陸共通語と上級貴族の王宮でのマナーの初級編でしょうか」
結局、マナーを教えてくれるはずのご夫人は僕に子ども用の絵本を置いていっただけだった。
これって家庭教師以前の話だよねぇ。いいのかなぁ。
それに僕もこれからどうなるのだろう?
ははは。もう笑うしかない。味方は公爵令嬢だけかも。あ、あと家族ね。
令嬢は神妙な面持ちで僕の言葉を聞いてくれた。
「初級ね。必要なことだわ。基本は大事よね。他には?」
「そうですねぇ。周辺国の特色とかでしょうか」
あの部屋の書物は良い物が揃っていたの、つい読みふけってしまった。
「まあ、いろいろと教えてもらえたのね。我が公爵家は他国とも交流がありますから……。王子殿下はその、少し語学は堪能ではありませんでしたの。だからあなたは頑張ってちょうだい」
「はい。精進いたします」
ということはザネンザ王子殿下ってもしや王族とか高位貴族に必須の周辺諸国の語学力をつけてないということ? まさかねぇ。せめて大陸共通言語くらいは余裕でできるでしょ。それに王族なら儀礼用の精霊古語なんかもできないとね。あれって、祝詞とか特別修飾語なんてあって、超絶面倒くさいんだよね。
僕の言葉にご令嬢は満足した感じだった。
「そうそう、もし分からないことがあったらわたくしに訊いてちょうだい。わたくしで分かることがあったらお教えします」
「ありがとうございます。そうさせていただきます。でも、今のところは大丈夫だと思います」
伯爵夫人から渡された絵本は子どもの頃に読んだ物だったから、今更、分からないところはないけれど、婚約式や他の式典の時どうしたらいいのだろう? まあ、でもなんとかなるだろう。
「明日はあなたの衣装の仕立てを入れてあるから、王宮へは行けないと伝えてあるわ」
そもそも、あと何回、あの夫人と会う日があるのだろうか? 他の人はいないの? でも、ある意味時間がないといえばそうだから、夫人が言ったように教えられることはないかも。
でも、マジで僕って、結婚するの? つい先日の成人祝いの時は婚約者も恋人だっていなかったのに? はははは。もう笑うしかないよねぇ。
いや、ご令嬢との結婚が嫌なわけではないんだよ。それは寧ろラッキーでハッピーでしかないんだけど急展開過ぎて思考回路がついていかないというか。もう考えるのを放棄しちゃっているというか。
翌日は公爵家のお抱えの仕立屋が来てくれて、これがご令嬢ならきっといろいろと楽しいのだろうけど、式典用だし、男は黙って添え物。
「そうねえ。いろいろと誂えないといけないわね。とりあえずあなたの好きな色とかデザインは?」
「動きやすければ特にありません。色も特に……」
「まあ、そういう訳に参りません。ミローネ公爵家の若き夫妻の門出に相応しいものでなければなりませんわ!」
仕立屋のマダムの圧がとても凄かった。
公爵令嬢も何故か頷いていた。
ご令嬢のドレスに合わせていろいろデザインと色見本が僕用に用意されていて、ただ頷くしかなかった。
そう言えば実家もお世話になっている仕立屋があって、僕の小さい頃は兄達のお下がりばかりで気の毒に思ってくれて、リメイクとかいろいろ気をつけてくれたんだよね。また挨拶にいかないと。
寸法を測られぐるりとターンをさせられて、何が何だか分からないまま終了した。
最後にふと思いついて、マダムに伝えた。
「あの、できれば、黒と青を使ったタキシードとかスーツを何着か欲しいのですが普段とか正式なものとか」
するとマダムは僕を見て、さらには何故か顔を真っ赤に染めた公爵令嬢を交互に見つめていた。そして、ご自分の胸を大きく叩くと、
「まあまあまあ! 若者はよろしいですわねぇ。おほほほほ。私にお任せあれ! メリアーナ様はもちろん金と緑ですわね!」
「あ、あの…ええ、もちろんですわ」
公爵令嬢は震えるような声で答えていた。
何だか社交界でも完璧な高位貴族のご令嬢として名高い彼女がとても年相応で可愛く見えた。
婚約者や夫婦がお互いの髪と瞳の色の衣装を仕立てて纏うというのはよくあることで、メリアーナ公爵令嬢の髪は艶やかな黒髪で深い青い瞳の持ち主でとても美しい方だ。
ちなみに僕は金髪寄りの薄い砂色の髪で薄い緑の瞳だ。断じて金髪ではないと思う。
全体的に色素の薄い、平々凡々な色合いだよ。
お読みいただきありがとうございます!
作品もランクインしており、これも皆様のお陰です。
大分長いブランクなので、お見苦しいところもありますが、お楽しみいただけると幸いです。
ちなみにメローニ公爵令嬢の名前はメリアーナです。勘の良い昔からの読者の方は彼女の胸がとても某夏の高級果実のようなので、それを連想させるような名前にしております。
一話の王太子殿下も内心そう思っており、つい高級果実の方で呼んでしまいそうになったという、小ネタです。




