六 これからのスケジュール
それから僕は自分の私室ではなく書斎のようなところに案内された。
「あなたへの指導はここで行います。家令や私の他、王宮から紹介された教師の方々が来てくれる予定ですわ」
彼女から見せられる教師方の名前や、これからのタイムスケジュールと覚おぼしき書類に目を通す。
――か、過密スケジュールすぎる。何処かのブラック企業並みだ。あれ? ブラック企業って何だったっけ?
そういや子供のころに、時々、僕がおかしな事を言うって兄さん達に気味悪がられたなぁ。
「では、それでよろしくて?」
「……はい」
「大丈夫かしら?」
心配げな様子の公爵令嬢に心配ないと言いたいけれど。
「何とか頑張ります」
「とりあえず、これから学園の卒業までの二週間はお休みをいただいて、それまでにあなたの立場を固めたいと考えています」
これからのタイムスケジュールとして、十日後に王宮で謁見、改めて婚約の告示をしていただく。その前に目に入ったのは、
「バルモア伯爵家との養子縁組も同時なのですか……」
今も昔も公の書類は難解な文章で、読み取りにくい。貴族の小難しい規則、身分やそれに付随する役職は貴族の力関係の縮図だ。
そもそも新しく身分なんてすぐに許可されない。そんなスローでお役所仕事な貴族のお約束の中でこれだけスピーディーにできたのは、一体どれだけ袖の下を……、おおっと、ゲフンゲフン。
「そういえば、あなたはあのバルモア伯爵家とご親戚でしたのね」
ご令嬢は神妙な表情をしていた。
「はい。母の実家ですから、幼少期から交流はありました」
「ふふ。お陰で王宮への交渉がスムーズで助かりましたわ」
ご令嬢は少し笑みを浮かべた。
「いくら、王子殿下に咎があっても、ここまで簡単に王宮から許可は得られませんもの」
僕の首が大丈夫だったのはやはり、お祖母様のおかげもあったかもしれない。
でも、そんなことは口にせず、僕は貴族的な笑みを浮かべて応えただけにした。
お祖母様は怖い。あの方の機嫌を損なってはだめだ。一族の暗黙のルールだ。僕も幼少期から刷り込まれている。
既にお祖父様が伯父さんに当主の座を譲ったからお祖母様も表立っては引退はしているけれど、まだまだお祖父様ともどもお元気なのである。
その日は、一通り公爵家の中を案内されて、それから客用寝室で休んだ。
翌日からはハードスケジュールになるみたいなのでさっさと休もう。
明日の午前中に公爵家で執務の流れをご令嬢から説明してもらい、午後からは王宮へ赴いて上級貴族のマナーとかの指導を受ける。そんなことを思い返しながら目を閉じた。
翌日、使用人が来る前に僕は目が覚めていた。
つい、寮でいる感じで早く起きてしまった。やる気満々と思われるかもしれない。
起き上がって部屋でつい柔軟体操なんてしていたら、執事が朝食を呼びに来てくれた。
朝食をご令嬢と一緒にいただいた。
彼女は時折じっと僕を見てくるからちょっと居心地が悪く感じた。
「何か?」
と尋ねても彼女は穏やかな笑みを浮かべているだけで答えてはくれなかったのだ。
何だか怖いなぁ。きちんと食事前の精霊神様へ捧げるお礼の言葉も一緒に言ったよ。ちょっと下位貴族の僕と上位貴族の公爵家では言い回しが違ったけどね。
僕達は食事を終えると書斎に案内された。
「ここはお父様が使っている執務室とは別にちょっとした書き物とかあった時に使う部屋だけど、いずれあなた専用の執務室も用意するわ。内装とかの相談もしたいわ。あなたの好みにしなければならないし、今の部屋から早めに替われるようにしなくちゃね」
今のところ僕は客用寝室を使わせてもらっている。公爵家らしい華美でなくそれでいて歴史の重みを感じさせる部屋だ。自分で選ぶなんてセンスに自信はない。
「僕は特にこだわりはないのでミローネ公爵令嬢に決めていただいても……」
そこでまた公爵令嬢はぴくりと肩を揺らした気がした。なんだか機嫌もよろしくないような。
「……メリアーナですわ」
「は?」
彼女が少し俯いて言った言葉につい素で返してしまった。
「ですから! わたくしの名は公爵令嬢ではなく、メリアーナですの」
ご令嬢に似つかわしくない、叫ぶような声だったのでちょっと驚いてしまった。
「いえ、お名前は存じておりますが……」
僕の言葉に、ご令嬢はまた冷たい表情をされた。
「では、そう呼びなさい」
「は、はあ。でも、いきなりそういう訳には、その……」
僕が面食らってしどろもどろになったのは仕方ないよね?
「名前をお呼びできるほどまだ親しくはありませんし」
すると公爵令嬢は何とも表現しがたい表情をされた。
僕が悪いの?! でも、まだ正式な言葉を交わして、二日目なんだよ。
今まで学園で遠くから見ることや事務的なことを何回かお話することはあってもね。
ほら、次の時間割とか天気のこととかさ。
だから、僕は半分自棄になってご令嬢に言い返した。
「それなら、僕の方が身分は遥か下なので、それこそ僕の名前を呼び捨てしていただかないと」
「なっ……」
するとご令嬢は何故か顔が一瞬にして真っ赤に染まった。
本当に真っ赤だよ。色白だから余計に分かるんだな、とか暢気に僕は彼女を眺めていた。
「あ、そうそう、僕の名前は……」
「存じておりますわ! ラ、ラスっ……。と、とにかく今日のあなたは王宮でマナーの講義を受けられる予定です! 遅れたら失礼なので準備をなさいませ」
ご令嬢はそう言うと部屋から出て行ってしまった。
仕方がないので僕は王宮に行く用意をすることにした。
と言っても、服装は公爵家で用意してくれていたし、馬車も。だから僕は使用人達に言われる通りにしていた。
ご令嬢はお見送りまでしてくれた。
「馬車は待機させますから、終わったらすぐに戻っていらっしゃい」
「はい。メリアーナ公爵令嬢」
するとご令嬢は少し驚いた感じであったが、つんとすました。
「まあ、いいでしょう。気をつけて行ってくるのよ。何かあったら公爵家の名誉に関わるのですからね」
僕は頷くと馬車に乗り込んだ。
そして、僕はつい、にやけてしまっていた。
だって、ご令嬢の口調とは別に心配そうな表情でこっちを見ているんだから、つい嬉しくなっちゃうよね。
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