十三 お年頃ですから
それから僕はケビン兄さんの所に行って、あれこれ話し合った。
あの後も何度か伯爵夫人のマナー講習はあったが、結局彼女が現れることはなく、ケビン兄さんから立ち合いを頼まれた文官方からも夫人が来ないことの事実確認をしてもらった。ケビン兄さんや事務官の方々は渋い表情をされていた。
僕としては、まあ仕方ないよね。
ということで他の予定時間はもうメリアーナ公爵令嬢との儀式の時間に当ててもらった。
時間がないんだよぉ。
婚儀の誓いの言葉は大陸共通語と精霊神への捧げる古い言葉で精霊古語と呼ばれる言葉の祝詞とかで、非常に、非常に難解だった。もちろん下級貴族は精霊古語なんて学ぶ機会さえないよ。必要ないからね。
結婚式では誓いの言葉として精霊古語の特別修飾語とかを長々と読み上げるので覚えるのに必死だった。当日のカンペはなしだよ。
もしや、ひょっとして、ザネンザ王子はこれを嫌って……、まさかねぇとまで勘ぐってしまった。
大陸共通語でさえマスターできてないなら、精霊古語なんてとても無理だろう。
でも、あの王宮で僕が案内された資料室にはその関係の古い資料が置いてあったので存分に活用した。
ケビン兄さんが僕の暗記用につくった誓いの言葉の紙を覗き込んで叫んだ。
「うひょう。それって精霊古語じゃん。そんなのまで必要なのか」
「そうなんだよねぇ。確かに、下級貴族が高位貴族と縁組しないのは良く分かったよ。こんなの急に無理だね」
「はは。確かに。まあ、でもお前なら何とかなるだろ? 何せ、うちはお祖母様のお仕込みが強いからなぁ」
しみじみな感じでケビン兄さんも何かを思い出すように話した。もちろんケビン兄さんも読めるということはそれなりに身に着けているはず。
「ケビン兄さんは他人事だと思って面白がってさ」
うちはお祖母様のところにご挨拶にいくと大陸共通語とか精霊古語とかで挨拶をさせられて、いろんな祝詞まで覚えさせられた。
その代わり、上手くできたらご褒美もいただけたので小さい頃は頑張って覚えていた。
それに、伯爵家を通じてうちに派遣される使用人によっては他国の言葉でないと話せない場合もあって父や母までいろいろと話せるようになっている。
だから、数週間で精霊古語や儀礼マナーを覚えることは難しいと理解できる。
だけど、イボンヌ伯爵夫人が、職務として受けているのに僕に全く教えないのは職務放棄とみなされるだろう。これが露見すると夫人の立場だって危うくなるのは分かるはずなのに、一体どうするつもりだったのだろう。
「やっぱり、僕らの結婚式を誰かが邪魔をしているのかな?」
ぼそりと呟くとケビン兄さんは分かっている感じで頷いた。
「そうだな。ただ、邪魔というほどではなく、ちょっと失敗すればいいなといった軽い気持ちぐらいじゃないか?」
「え? 何で分かるの?」
「そもそも、こんなにあからさまに欠席していたら言い逃れできないことぐらい分かるだろうに、あまりにも杜撰すぎる。多分、誰が計画したのかも分かるだろう。まあ、お前は彼らの思惑通りにすればいい。どうせお前のことさ。力技でどうにかさせるだろ?」
ケビン兄さんはにやにや笑いながら僕の方を見た。
「まあねぇ。それに関してはそうだけど」
そう言って、僕はついため息をついてしまった。
「お? 何か、脳筋ラスが色気一杯のため息とか。生意気ぃ。ひょっとして、ご令嬢に手えだして嫌われたかぁ? あはは」
「うっ。どうしてそんなことまで分かるんだよ」
するとそれまで無関心だった周囲の事務官達が耳に集中してこちらの様子を覗っているのが分かる。
何だよ? 不正受給より、一介の貴族の恋愛模様の方が重要って……。
「冗談だったのに。本当か?」
ケビン兄さんがやや真顔になった。真顔になるとケビン兄さんもできる男の雰囲気が出てくる。いつもそうすればいいのに。
「もういいい。兄さんに話したくないし」
僕はちょっと怒って立ち上がって、帰ろうとした。
「まあまあ、短気になるな。あ、謝るだけじゃだめだぞ」
「え? 何でそこまで分かる……」
「ちょっとした忠告だ。後は自分で考えて頑張れ。男の子だ!」
ケビン兄さんに背中を叩かれ、僕は公爵家へと戻った。
するとやはり無理していたのか、メリアーナ公爵令嬢は熱を出して倒れたみたいで、僕は慌てて彼女の元へ向かった。
「メリアーナ公爵令嬢。大丈夫?」
彼女は自室の寝台で休んでいた。僕が訪れると目を開けて弱々しく口を開いた。
「ええ。大丈夫ですわ。少し疲れたようです。少し休めば……」
彼女がそう言って目を閉じたので僕は側で付き添っていた。
すると彼女付の執事が書類を持って部屋に入ってきた。
「お嬢様、おや、バルモア伯爵令息殿もお戻りになられていたのですね」
「ああ、彼女の容体は?」
「少し疲れがでたのだろうと治療師は申しておりました。少しお休みになると良くなるとも」
「そうか」
執事は手に書類の束をもったまま動こうとしなかった。
「それは?」
「これらはお嬢様の決済が必要な書類です。持ってくるようにと指示を受けておりましたのでお持ちいたしました」
僕は寝息を立てている彼女を見て、執事に話しかけた。
「今日はもう無理だろう。明日にしてもらった方が」
「ですが、お嬢様はお持ちするようにと仰っておりました」
執事は引く気はないようだった。
熱が出た病人に鞭打つような公爵家の執務はちょっと見直すべきだと思うよ。まあ、普通の庶民の会社は熱ぐらいじゃ休めないけどね。ははは。あれ? どうしたんだろう。何だか涙で視界がぼやけてきたよ。
僕は彼の方に手を差し出した。
「……少し、僕が目を通してもよろしいですか?」
すると執事の目がキラリと光った気がした。
気がしただけだよ。もちろん。人間の目が光る訳ないじゃん。ロボットとかじゃあるまいし。あれ? ロボットって何だっけ? そんな言葉はこの世界になかったな。
執事はすっと書類の束を僕に差し出してきた。
それらは公爵領内の精霊神教会への寄付状況、ボランティア事業などの運営状況の報告、彼女が関わっていると思われる公爵家の事業のものだった。
僕はそれにざっと目を通した。
え? 僕に分かるのかって?
僕だって、時々うちの手伝いとか、伯爵家へも、うちへの援助の代わりにお礼として手伝いに行っていたから、多少は分かると思うよ。貴族の領地経営の基本はだいたい同じだからね。文字さえ読めれば何とか分かるはずと思いたい。
それでねぇ、伯爵家の執務は他国からの文書が多くて大変だったよ。文字から覚えないといけないからね。
「これとこれは急がないので、後日に、これは公爵様へ回してご判断をお願いできますか?」
そうして僕は書類を執事へ戻した。
すると彼はくわっと目を見開いて僕の言ったことの確認をしていた。
暫くして彼は口元に笑みを浮かべると優雅な礼をとり、
「若婿殿のご指示の通りいたします。それでは」
静かな、それでいて浮き浮きした様子で出て行った。
でもね。何故か彼と一緒にメリアーナ公爵令嬢に付き添っていた侍女も部屋から出ていったんだよ? いいの? 婚約者だからといって寝室に二人きりにされても。
まあ、呼び鈴で呼べるけどね。
お読みいただきありがとうございました。




