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僕らの墓標に咲く花  作者: 疑堂
第一話
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災厄の始まり③

 死んだ魚の目をしたザヘルは、長椅子に寝転んで受像機の映像を眺めていた。受像機には電脳遊具の筐体が配線されているが、今は手を伸ばす気にならない。

 横を向くと狭いが清潔な台所が目に入り、流しの前には踏み台が鎮座している。逆を向くと、硝子戸の外は茜色に染まっていた。

 集合住宅の一室、見慣れたザヘルの自宅だった。

 不貞寝すると言ったものの、眠気もないのにそうそう寝られるものでもない。結果ザヘルは何をするでもなく長椅子に寝転がって映像番組を眺め、午後の半分ほどの時間を無為に消費していた。

 早朝から派出所に拘禁されて、昼食をタカって、気が付けば夕方。

『お前はまた、無意味に半日を潰したものだな』

 ザヘルに付き合わされていたというのに、慣れているのか諦めているのか、アブルに然したる感情の機微はない。

「お早う様なのじゃぁ~」

 寝室の方から聞こえたのは、幼げな声だった。

 ぺちぺちと裸足で床を踏む音が近付き、姿を見せたのは眠そうに瞼を擦る幼女。下着一枚にワイシャツを羽織った、一部の層に破壊力抜群の出で立ちだ。床に届こうとする白銀の長髪が、十代序盤としか思えぬ未発達な肢体に張り付いて、妙に艶かしい。

 幼女はザヘルの隣を通り過ぎて台所に行き、冷蔵庫から牛乳の入った瓶を取り出す。

「お袋メシー」

「第一声がそれかの?」

 ザヘルの至極真面目かつ間延びした注文にも、幼女は余裕で微笑を返す。

『母上、お早う御座います』

「うむうむ、アブルは素直でよい子だの。反抗期のザヘルとは大違いじゃ」

 慈愛の母性と、厳格な母性。相反する側面を同居させて、幼女は微笑んだ。

「これが反抗期だってんなら、俺はいつまで子供でいればいいんだよ……」

「いくつになっても、うぬもアブルも、わたくしたちの可愛い子供よの」

 ザヘルの愚痴を聞きつけても、幼女は鈴のように笑っていた。

「おお、そうじゃ。今宵は母子仲良く一緒の床で眠るかえ? 母の胸が恋しかろうて」

「『遠慮させていただく』」

 母親の下らない提案を、ザヘルとアブルは兄弟揃って却下した。

 ザヘルとアブルの関係は、宿主と寄棲獣と言えるものではない。二人は一つの体を共有する別個かつ同格の人格であり、人間の父イェルラヘルと寄棲獣の母アリマリアの間に生まれた、混血児の兄弟だからだ。

「つれないのう。こんなに若くて麗しい母が誘っているのにのう」

「それがヤダって言ってんだよ」

 日常的に息子へ性的嫌がらせを働く母。ザヘルは重くなった頭を支え、溜め息を吐く。

 卵を人体に産みつけて、そのまま放置する寄棲獣には、基本的に子育ての習慣がない。マリアの異常な溺愛ぶりが、それの裏返しであるならまだ可愛いが、あれは確実に我が子をからかって楽しんでいるのでタチが悪い。

「毎回毎回、誰の所為で取調室送りにされてると思っていやがる?」

 田舎都市であるカルギアの市民は、基本的に大らかな気質だ。高層住宅の窓をぶち破った冷蔵庫が幼児の列に落下したり、高架道路から飛び出した大型輸送車がビルの基幹部を破壊してビルが倒壊したりするのは、まあまあよくあるので騒いだりしない。

 しかし関係の不明なおっさんと幼女が一緒に暮らし、頻繁に幼女の泣き声が聞こえてくるのは、さすがに通報されてしまう。

「こぷっ。げふげふ」

 牛乳をラッパ飲みしていたマリアが、異音と共に牛乳を吐き出した。見た目通りに体の内部も小さいマリアは、往々にして大人用の食事を吐き戻す傾向がある。

 乳製品を好んで口にするのは、体型を気にしているからだろうか?

 幼い半裸の体を白い液体で濡らし、透けたシャツを張りつかせたマリアは、倒錯的な色香を放っていた。

「んーふふ、わたくしのあられもない痴態に欲情したかの?」

 妖艶な笑みを口元に浮かべるマリア。挑発的かつ扇情的に唇を舐め上げる仕草からは、事故なのか故意なのか判別がつかない。

 ザヘルは床に零れた牛乳を雑巾で綺麗に拭き取り、

「ぐああー! 止めぬか、臭いぃぃー!」

 無言でマリアの顔に押し付けた。

 四肢を振り回して暴れるマリアだが、逆の手で後頭部を押さえられては脱出できない。成体寄棲獣だのに、筋力のないマリアには、成人男性の腕力を跳ね除ける力もなかった。

 それはマリアが特別なのではなく、世に生息する成体寄棲獣の半数以上が、小型から人間を含む中型動物並の身体能力、及び体格しか有していない。実は巨大な体を持ち、人間を丸呑みする成体寄棲獣の方こそ少数派なのだ。

 やがて酸欠によってマリアの四肢から力が抜け、だらしなく垂れ下がった。

『おい、さすがに空から全裸の小坊主が舞い降りてくる頃合ではないか?』

「うわ、何かそれすげぇ嫌だ」

 ザヘルは白目を剥いた全裸の小坊主が両手に大蛇と傘を持ち、空から大量に降り注いでくる終末の光景を想像し脱力。その隙に脱出したマリアが吸引機の勢いで呼吸する。

「う、うぬは実の母親を殺す気かっ!」

「ハハハ、カアサンモ、オオゲサダナァ。コレハオヤコノ、タワムレジャナイカ?」

『片言で喋るな。目を泳がせるな』

 マリアは怒り、ザヘルははぐらかし、アブルが突っ込む。三者三様の反応を示す母子。

「そういえば徹夜明けで湯浴みをしとらんの。洗濯しておる間に体も清めておくか」

 滅多に帰ってこない父親に代わって家計を支える母が、どこでどうやって稼いでいるのかザヘルは知らなかった。知ると怖そうだという理由もあるが。

 居間で早くも服を脱ぎ始めたマリア。はたと動きを止め、顔を輝かせて手を叩く。

「うむ! それでは背中の流し合いでも」

「とーう! 明日に向かって希望の脱出!」

 ザヘルは躊躇いもせず窓から飛び出した。五階の窓から。

 マリアが半裸のまま階下を覗くと、遥か遠くの通りを全力疾走するザヘルの後姿。

「性的嫌がらせで訴えたら勝訴をもぎ取る自信が、俺にはあるからなっ!」

「うむうむ。男児は健康が一番じゃ」

 微妙に感性のズレた感想を述べて何度も頷くマリア。その瞳が悪戯を思いついた子悪魔のように輝く。

 この親子に光を与えるのが嫌になったという風に、夕陽が山の稜線に沈んだ。

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