第6巻 太陽の花が開く夜 第10章 砂を消さない浄化
砂嵐記録室へ戻る道で、風は低くなっていた。
弱くなったのではない。
低くなった。
耳の近くではなく、足元の砂の下を通るような音になっていた。
僕たちは、戻り石の砂板を先頭にはしなかった。
リムが持っている。
でも、道案内の板にはしない。
花、砂箱、迷宮、受け皿、交代観察台。
五つの点は砂板の上にある。
線ではない。
戻れる場所。
進むためだけの道ではない。
「砂嵐記録室は、どの点に入りますか」
リムが聞いた。
アジムは少し考えた。
「砂箱の近くに見える」
それから首を横に振る。
「でも、同じではない」
「迷宮にも近いです」
ナユが言った。
「風の通り方は、受け皿にも近い」
サーラが続ける。
イェンは小さな貝殻を振らず、手の中で伏せている。
「音は、花の低い息とも似ています」
似ている場所が、また増えた。
リムは戻り石の砂板に、新しい点を足そうとして止まった。
「点を増やすと、全部が地図になりそうです」
「地図にしてはいけないのですか」
僕が聞くと、ククルーがひげを動かした。
「地図が悪いわけじゃないよ。今は、地図にすると進みたくなるんだ」
「戻り石なのに」
「戻り石でも、並べすぎると道に見えるからね」
リムは新しい点を描かなかった。
代わりに、砂板の外側へ小さな印だけを置いた。
記録室は、板の外。
まだ入れないのではない。
板の中心へ入れない。
僕たちはその印を持って、記録室の入口へ着いた。
前に来た時より、室内の砂は静かだった。
風でページがめくれ続ける音はある。
でも、めくる勢いではなく、たしかめる速さになっている。
読まなかったページは、砂箱の前に残してきた。
今はここにない。
それでも、記録室の壁の下には、ページの呼吸に似た影があった。
「持ってこなかったものも、ここへ戻るのですね」
僕が言うと、アジムがうなずいた。
「記録は、札だけで戻るわけではない」
その声は、以前より少し広かった。
固さはある。
でも、箱の蓋のような固さではなく、棚を支える木のような固さだった。
記録室の奥には、砂が積もった低い棚がある。
棚というより、崩れかけた段差に見えた。
そこには、読める文字の断片が浅く埋まっている。
太陽。
花。
夜。
風。
戻る。
読める言葉が増えている。
増えたのか、見える高さが変わったのかは分からない。
僕の胸の中で、すぐに文が立とうとした。
風が戻り、夜に太陽の花が開く。
きれいだ。
きれいすぎる。
「今、文が立ちました」
僕は言った。
ククルーがすぐにうなずく。
「座らせよう」
「どこへ」
「立った場所の、少し横へ」
リムが小札を出した。
文が立ちそうな場所。
そう書いて、読める断片の真正面ではなく、棚の横に置く。
正面に置けば、文を止める札がまた中心になってしまう。
横に置く。
横へ置くことが、ここまで何度も必要になった。
アジムは記録紐をほどいた端のまま、棚の前へしゃがんだ。
「砂を払えば、下まで読める」
その声は、提案ではない。
誘惑を声に出したものだった。
サーラが受け皿を床へ置く。
「水を少し使えば、砂は重くなって飛ばなくなります」
イェンが貝殻を伏せたまま言う。
「音も静かになります」
ネフェルは星砂帳を開かない。
「影を当てれば、文字の深さも見えます」
ナユが布の上から影写し板を押さえた。
「見えるようになります」
見えるようになる。
静かになる。
飛ばなくなる。
下まで読める。
どれも、助かる言葉だ。
どれも、急がせる言葉にもなる。
「消したいのではなく、落ち着かせたいのです」
アジムが言った。
「それは、違いますか」
誰もすぐには答えなかった。
落ち着かせたい。
その気持ちは悪くない。
僕も、砂が舞うたびに目を細めて、早く見やすくなればいいと思う。
風が止まれば、読みやすい。
砂が沈めば、字が出る。
水で押さえれば、ページはめくれすぎない。
でも、その時、何が一緒に押さえられるのか。
「落ち着かせると、何が見えなくなりますか」
僕が聞くと、アジムの手が止まった。
記録紐が、砂の上で短く揺れた。
「舞っている砂の順番」
アジムは言った。
「どの砂が先に動くか」
ナユが影写し板の布を少しだけめくった。
「風が通る高さ」
ネフェルが続ける。
「字の上に乗った砂と、字の間を通る砂の違い」
サーラは受け皿の水面を見る。
「水で重くすると、軽い砂の返事が消えます」
イェンが貝殻を鳴らさずに言った。
「静かにすると、鳴る前の音もなくなります」
落ち着かせると、見えなくなるものがある。
それは、落ち着かせてはいけない、ではない。
でも、何を落ち着かせるかを知らずに水を使えば、消したことに気づかない。
「では、水は使いませんか」
サーラが聞いた。
ククルーは、すぐには答えない。
僕を見る。
答えを渡すのではなく、問いを戻してきた。
僕は棚の砂を見た。
水を使う。
使わない。
その二つにすると、また早い。
「水を、砂へかけません」
僕は言った。
「でも、水をここへ連れてきた意味は、消しません」
サーラが少し目を細めた。
「では、どこへ」
僕は棚の下を指さした。
棚の足元には、砂が一段低くなった場所がある。
そこへ受け皿を置けば、砂へ水はかからない。
でも、風が通ると、水面が揺れる。
水は砂を押さえない。
風の高さだけを返す。
サーラはうなずき、受け皿を棚の下へ置いた。
水面は静かだった。
低い風が通る。
水面に、細い線が出た。
字ではない。
でも、風の高さを示す線。
「水は、消すためではなく、通った高さを返すために」
リムが砂板へ写す。
「長いです」
ククルーが言う。
「長い札も、今日は必要だね」
リムは少し笑って、そのまま残した。
次に、ナユが影写し板を開きかけた。
「影も、文字へ当てません」
ナユは言った。
「どこへ当てますか」
「棚の横へ」
影写し板は、文字の上ではなく、棚の側面に置かれた。
風で砂が舞うと、棚の側面に小さな影が揺れる。
文字は読めない。
でも、砂がどの高さで通ったかが分かる。
「影は、字を読むためではなく、高さを読むために」
リムが写す。
ネフェルは星砂帳を開かなかった。
代わりに、星砂帳の角で棚の上の空気をさえぎらないよう、高さを測るように手を止めた。
「星図は、今日は開きません」
「使わないのですか」
僕が聞くと、ネフェルは首を横に振った。
「開かずに、開きたい気持ちの高さを見ます」
星砂帳を開けば、砂の粒と星を比べられる。
比べれば、読めることがある。
でも、今は星図へ逃げたくなる。
砂の字が読みにくいから、星の形で読もうとする。
それは、砂を消さないことと同じくらい大切な制動だった。
「開きたい気持ちにも、高さがありますか」
僕が聞く。
ネフェルは少し考えた。
「あります。目の高さまで来ると、手が動きます」
「胸の高さなら」
「理由として置けます」
「足元なら」
「忘れたふりをします」
ククルーが、そこで小さく笑った。
「測る前の並びが見えるね」
「測っているつもりはありません」
「測る前に並べているのです」
星砂の夜から続いてきた作法が、ここでもまだ終わっていない。
測る。
並べる。
でも、測れたから読めたことにしない。
並べたから解けたことにしない。
アジムは、記録紐を棚の前へ置いた。
「紐を、棚にかけてもいいだろうか」
「締めるためですか」
リムが聞く。
アジムは首を横に振る。
「高さを残すために」
記録紐は、棚の前でまっすぐ張られた。
棚に巻かない。
結ばない。
ただ、どの高さで風が通ったかをあとで見られるよう、短い印を付ける。
一つ目。
低い。
二つ目。
少し上。
三つ目。
文字の上ではなく、文字の間。
「記録紐を、高さの札にする」
アジムが言った。
「締める紐ではなく」
僕が続ける。
「戻る高さを忘れない紐」
リムが写す。
記録紐が、初めて少し違うものに見えた。
閉じる。
束ねる。
順番を保つ。
それだけではない。
戻る高さを忘れない。
「でも、この高さが正しい高さではありません」
アジムはすぐに付け加えた。
「今日は、ここを通った高さです」
その言葉に、僕はうなずいた。
正しい高さ。
読める高さ。
今日通った高さ。
全部違う。
読める高さを正しい高さにすると、次に風が違う場所を通った時、また間違いにしてしまう。
「読める高さは、固定しない」
僕が言った。
リムが写そうとして、止まる。
「固定しない、と書くと、何も決めないように見えます」
「では」
僕は少し考えた。
「今日の読める高さ」
リムはうなずいた。
今日の読める高さ。
それなら、明日変わってもよい。
でも、今日見えたことをなかったことにしない。
棚の砂は、まだ残っている。
水はかけていない。
影は文字へ当てていない。
星砂帳は開いていない。
記録紐は棚を締めていない。
それでも、読めるものが増えた。
太陽。
花。
夜。
風。
戻る。
その下に、もう一つ、半分だけ見える文字があった。
消す。
僕は息を止めかけた。
消す。
その文字があると、すべてが変わって見える。
砂を消す。
記録を消す。
影を消す。
花の閉じた時間を消す。
「見えたね」
ククルーが言う。
「はい」
「それじゃ、すぐ反対に走らない」
反対。
消してはいけない。
消さない。
消すという文字を消す。
そのどれも、走り方だ。
僕は、消すの文字を見た。
半分だけ見えている。
上は読める。
下は砂の中。
「消す、と読めるところだけで、消さないにしない」
僕は言った。
アジムの目が、少し大きくなった。
それは、彼が言いたかったことに近かったのかもしれない。
「消す、を消さない」
アジムが言う。
「でも、消すを命令にもしない」
ナユが続ける。
「消えたように見える手順も、あるかもしれません」
サーラが受け皿を見る。
「水で薄くなるものと、見えやすくなるものが違うように」
ネフェルは星砂帳の表紙を撫でる。
「星図から外した点も、消したつもりではなかった」
それぞれの過去が、砂棚の前へ少しだけ戻ってきた。
でも、ここで誰かの過去まで読まなくていい。
戻り石がある。
戻れる。
全部をここで読む必要はない。
リムは、空白札のことを思い出したように、受け皿の場のほうを見た。
「空白札を持ってきますか」
「持ってこない」
僕はすぐに言った。
自分でも少し驚くほど、早かった。
でも、急いだわけではない。
「ここに持ってくると、中心へ置きたくなります」
ククルーがうなずいた。
「それじゃ、戻る理由として残そう」
空白札は、受け皿の場に残っている。
何も書かない札。
持ち歩かない札。
答えを入れない中心。
そこへ戻る理由があるから、砂棚の前で完了しなくて済む。
アジムは、消すの文字の前に小さな札を置いた。
消す、を先頭にしない。
その札は、強かった。
強いから、少し横へずらす。
横に置いても、目立つ。
「目立つ札は、目立つまま横に置く」
アジムが言った。
リムが写す。
「隠さないのですね」
「隠すと、また箱に入れる」
アジムの声には、砂箱の前で得た重さがあった。
でも、今はその重さを一人で持っていない。
サーラが水面を見ている。
イェンが音を聞いている。
ナユが影の高さを見ている。
ネフェルが開きたい気持ちの高さを見ている。
リムが配置を写している。
ククルーが、僕の肩を読んでいる。
僕は、文が立ちそうな場所を見ている。
一人ではない。
そのことが、砂を消さないためのいちばん強い手順なのかもしれない。
「試しますか」
サーラが言った。
「何を」
「風を変えずに、棚の高さを変えることを」
棚そのものを動かすのではない。
棚の前に、薄い砂板を一枚置く。
その上に、舞っている砂が少しずつ乗る。
文字を消さない。
砂も消さない。
ただ、砂が乗る高さを一段増やす。
砂板は、棚より少し低い。
低いままでは読めない。
でも、高すぎると文字を隠す。
「中途半端です」
リムが言った。
「中途半端を試します」
サーラが答える。
その言い方が少し面白くて、僕は笑いそうになった。
ククルーも、ひげを揺らす。
「完成しすぎていないところを試すんだね」
薄い砂板が棚の前に置かれた。
低い風が通る。
砂が少しだけ、板の上に乗る。
文字は、消えない。
砂も、なくならない。
ただ、風が次に通る時、同じ砂が少し違う高さで揺れる。
受け皿の水面に、さっきより短い線が出た。
影写し板の布の上に、細い揺れが映る。
記録紐の高さ印の一つが、少しだけ合わなくなる。
合わなくなる。
それは失敗ではなかった。
高さが変わった証だった。
「合わない印を、消しますか」
リムが聞く。
アジムは、すぐには答えない。
記録紐の印を見る。
古い高さ。
今の高さ。
どちらも、今日の中にある。
「消さない」
アジムは言った。
「でも、同じ高さとして読まない」
リムが写す。
古い高さ。
今の高さ。
同じ日。
同じ答えではない。
薄い砂板の上で、砂がもう一度揺れた。
消すの文字の下側が、少し見えた。
消す、ではなかった。
消えた。
僕たちは、黙った。
消す。
消えた。
似ている。
でも、全然違う。
誰かが消したのか。
何かが消えたのか。
消えたように見えたのか。
そのどれかを、今すぐ決めれば、また早すぎる。
「消えた、と読めるところまで見えました」
僕は言った。
「消えたものが何かは、まだ書きません」
ナユが影写し板を閉じたまま、布の上へ指を置いた。
「消えた影かもしれない、とも書かない」
ネフェルが星砂帳を開かずに言う。
「消えた星かもしれない、とも書かない」
サーラが受け皿を見た。
「消えた水かもしれない、とも書かない」
アジムは記録紐を見た。
「消えた記録かもしれない、とも、まだ書かない」
ククルーが最後に言う。
「でも、消えた、を見なかったことにしない」
その言葉で、砂棚の前に新しい札が置かれた。
消えた、を見なかったことにしない。
強い札だ。
でも、命令ではない。
札の横に、戻り石の砂板を置く。
砂棚の前で完了しないために。
受け皿の場に空白札が残っていることを思い出すために。
花の前に、外へ急がせない明るさ札があることを忘れないために。
砂箱の前に、戻ってこられる空きがあることを保つために。
迷宮に、似ているものを同じにしない余白があることを見失わないために。
「戻り石は、便利ですね」
リムが言った。
ネフェルがすぐに首を横に振る。
「便利にしすぎると、また中心になります」
「では、便利ではないのですか」
「戻るたび、置いてきたものを思い出すだけです」
「それは、便利では」
ククルーが少し笑った。
「便利と言いたい気持ちも、横へ」
リムは小さな札に書いた。
便利と言いたい気持ち。
そして、それを戻り石の砂板の横へ置いた。
戻り石は、笑われても怒らない。
ただ、点のままそこにある。
僕たちは、薄い砂板をもう一枚足した。
今度は、さっきより少し高い。
砂が乗る。
文字が隠れかける。
高すぎる。
でも、失敗ではない。
高すぎる高さ。
それも、今日の読める高さの近くにある。
「高すぎる、と書きますか」
リムが聞く。
「高すぎた、ではなく」
僕は言った。
「高すぎるように見える」
ネフェルが満足そうにうなずく。
ように見える。
それは、今日何度も僕を助けている言葉だった。
確定しないためだけではない。
見えたことを、見えないことにしないためでもある。
高すぎるように見える砂板は、横へ置かれた。
低すぎる砂板も、横へ置かれた。
中途半端な砂板は、棚の前に残った。
中途半端。
完成しすぎていない。
だから、風が通れる。
だから、砂が残る。
だから、文字が全部は読めない。
でも、読めるところが少し増える。
「これを、浄化と呼びますか」
アジムが聞いた。
その言葉は、慎重だった。
浄化。
きれいにすること。
戻すこと。
でも、ここで浄化と呼ぶと、砂が残っていることが失敗に見えるかもしれない。
「まだ、呼びません」
僕は言った。
「でも、浄化から外れているとも言いません」
ククルーが、ゆっくりうなずく。
「祝福へ戻る途中の手入れです」
手入れ。
その言葉は、砂を消さない。
砂を大切にしすぎて動かさないわけでもない。
手を入れる。
でも、手で全部を決めない。
「砂を消さない手入れ」
リムが書いた。
それを見て、アジムが少し息を吐いた。
「浄化より、今はそれが近い」
砂を消さない手入れ。
外から貼る名前ではない。
ここで必要な手順の名前だ。
僕たちはその手順で、棚の前に三つの高さを残した。
低すぎるように見える砂板。
高すぎるように見える砂板。
中途半端で、風が通れる砂板。
記録紐には、今日通った高さの印。
受け皿には、砂を押さえず風を返す水面。
影写し板には、文字ではなく高さを映した布。
星砂帳には、開かなかったままの表紙。
戻り石の砂板には、中心を空けた点。
空白札は、まだ受け皿の場に残っている。
全部がここにない。
だから、ここで終わらない。
「花へ戻りますか」
サーラが聞いた。
僕は、花の光を思い出した。
外へ急がせない明るさ。
光った、まだ開かない札。
待ち札には、まだしない。
「戻ります」
僕は答えた。
「でも、棚を片づけません」
アジムが記録紐を見た。
「印も、残す」
ナユが影写し板を布ごと持ち上げる。
「布の影も、消しません」
ネフェルは星砂帳を閉じたまま抱える。
「開かなかったことも、残します」
リムは戻り石の砂板を持った。
「便利と言いたい気持ちの札も、残しますか」
ククルーが真面目な顔で考えた。
「それは、残そう。あとでまた役に立ちそうだね」
みんなが少し笑った。
笑い声は、砂棚の中へ入らなかった。
外側を通って、低い風と一緒に流れた。
記録室を出る時、風はまだ低かった。
でも、砂の下だけを通る音ではなくなっていた。
少しだけ、棚の前を通る。
少しだけ、受け皿の水面を揺らす。
少しだけ、花の方角へ戻る。
花の前へ戻ると、光はまだ内側にあった。
開いていない。
でも、花の根元の砂が、さっきより細かく揺れているように見えた。
「ように見える」
僕は先に言った。
ネフェルがうなずく。
アジムは、記録紐の高さ印を花の前へは置かなかった。
代わりに、戻り石の砂板の外側へ、小さな印を一つ足した。
今日の読める高さ。
それは花の答えではない。
砂嵐の記録の答えでもない。
でも、花の前の札の間に、新しい空気を作った。
光った、まだ開かない札。
外へ急がせない明るさ札。
全部読んだことにしない札。
半円の札。
その近くに、今日の読める高さ。
待ち札は、まだ作らない。
それでも、待つ場所は増えている。
「夜までに開くでしょうか」
僕は聞きそうになって、口を閉じた。
問いを消したわけではない。
ただ、今の高さでは言わないほうがいいと思った。
ククルーが僕を見上げる。
「言わないことも、記録できるよ」
「どうやって」
「肩が少し戻りました」
僕は思わず笑った。
「それは、記録ですか」
「旅の記録です」
ククルーは平然と言った。
その言い方で、花の前の空気が少し軽くなった。
軽くなっても、問いは消えない。
消えた、を見なかったことにしない札が、砂棚の前に残っている。
今は、ここにはない。
でも、戻れる。
僕たちは花の前で、砂を消さない手入れの結果を答えにしなかった。
花も、まだ答えを返さない。
低い息だけが、少し長くなったように聞こえた。
ように聞こえた。
それで止める。
夜は、近づいている。
でも、夜を急がせない。
太陽の花は、まだ閉じている。
閉じたまま、砂を残した風を内側で受けていた。




