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クイズクロニクル  作者: pj.masta


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第6巻 太陽の花が開く夜 第11章 太陽の花が開く夜






夜は、急がせなくても来た。


空の青が薄くなり、砂丘の縁が少しずつ黒へ沈んでいく。


ソラリカの花は、まだ閉じている。


でも、昼の光とは違う明るさが、花びらの内側で息をしていた。


強くなった、と書きたくなる。


近づいた、と書きたくなる。


開く、と書きたくなる。


僕はその三つを、声に出さずに胸の中で座らせた。


「今、いくつ言いかけましたか」


ククルーが聞いた。


「三つだね」


「よく数えました」


「数えすぎていませんか」


「今日は、数えたあとに置けています」


ククルーの言葉で、胸の中の三つは少し軽くなった。


花の前には、たくさんの札が残っている。


光った、まだ開かない札。


外へ急がせない明るさ札。


全部読んだことにしない札。


半円の札。


そして、待ち札にはまだしないと決めた小さな余白。


その余白が、夜の中でいちばん見えにくい。


見えにくいから、失くしたくなる。


失くしたくないから、すぐ形にしたくなる。


僕は手を伸ばしかけ、止めた。


「待ち札にしますか」


リムが小さな声で聞いた。


リムの手には、書けるだけの小札がある。


待つ、と書けば、きっと安心する。


でも、待つと書いた瞬間、花が開くまでの時間が、待たされる時間になってしまう。


「まだ、書かない」


僕は言った。


「でも、待っていないふりもしない」


リムはうなずき、小札を白いまま札束の外へ出した。


何も書かれていない。


でも、使わなかった札ではない。


書かないで置いた札だ。


サーラは交代観察台の足元を確かめた。


見張りたい、でも交代する札は、砂に半分埋まりかけている。


サーラはそれを掘り出さず、周りの砂だけを少しならした。


「埋まったら、見えなくなります」


僕が言うと、サーラはうなずく。


「でも、全部出すと、また札だけを見ます」


「見えすぎないように」


「はい。交代できるくらい見えるように」


イェンが小さな貝殻を台の縁へ置いた。


貝殻は鳴らない。


鳴らないのに、置かれた場所だけが分かる。


それが、見張りではなく交代の合図になった。


ネフェルは星砂帳を開かないまま、花から少し離れた位置に立っている。


ナユは影写し板を布で包んだまま、花の影が長く伸びる場所ではなく、影が途切れる場所を見ていた。


アジムは記録紐を手のひらに乗せている。


今日の読める高さの印は、花の前には置かれていない。


戻り石の砂板の外側に、小さな写しだけが残っている。


「ここへ持ってこないのですか」


僕が聞くと、アジムは首を横に振った。


「開く時の高さにしたくない」


その答えは、短い。


でも、何を避けているかがよく分かった。


今日の読める高さ。


それは、砂棚で風が通った高さだ。


花が開く高さではない。


祝福音が鳴る高さでもない。


同じ夜に置かれているから、同じ意味にしたくなる。


だから、少し離す。


「離しても、忘れませんか」


「戻り石にある」


アジムはそう言った。


戻れる。


全部を花の前に集めなくてもいい。


それだけで、花の前の空気は少し広くなった。


低い息がした。


花の奥からだった。


イェンが貝殻へ手を伸ばしかけて、止める。


「今のは、音ですか」


僕が聞く。


イェンは目を閉じた。


「音になる前です」


「前」


「はい。貝殻に入れると、音になりすぎます」


貝殻は、台の縁に伏せたまま。


花の息は、花の中に残ったまま。


まだ届かない音は、ここへ来て、届き始めた音にはならなかった。


まだ、花の奥にある。


でも、奥にあるまま、みんなの間へ届く。


不思議だった。


届かないものが、届かないまま届いている。


それを言葉にしようとして、僕は止めた。


「長くなりそうだね」


ククルーが言った。


「はい」


「では、短く置こう」


僕は小札を一枚取り、書いた。


奥にあるまま、届く。


リムがそれを見て、少し考えた。


「矛盾しています」


「はい」


「でも、今はそう聞こえます」


イェンが言った。


それなら、今はそのままでいい。


矛盾している札は、花の真正面ではなく、貝殻の近くへ置かれた。


サーラが受け皿を持ってきた。


水面は暗い。


星はまだ映らない。


月もまだ高くない。


でも、花の内側の明るさが、水面の端に細く触れていた。


水は光らない。


ただ、光の近くにいる。


「水へ返しますか」


サーラが聞いた。


「何を」


「花の息を」


僕は受け皿を見た。


砂棚の前で、水は砂を押さえず、風の高さだけを返した。


今、花の息を水へ返せば、音が見えるかもしれない。


でも、見えるようにするために水を使うと、また何かを押さえるかもしれない。


「水へ入れません」


僕は言った。


「でも、水の横へ置きます」


サーラは受け皿を花へ近づけすぎず、札の外側へ置いた。


水面は少しだけ揺れた。


花の息ではなく、人が動いたことで揺れたのかもしれない。


それでいい。


揺れた理由を、すぐ花にしない。


「水は、理由を急がせない場所へ」


リムが写した。


ネフェルが星砂帳を抱え直す。


「星も、理由を急がせない場所へ」


「開かないのですか」


「開きません。今開くと、花が星図に似たと言いたくなります」


「似てはいけないのですか」


「似ていてもいい。でも、似ていることを花の理由にしません」


ネフェルの声は静かだった。


その静けさが、夜によく合っていた。


ナユは影写し板を少しだけ布から出した。


板の端だけ。


影を取る面はまだ出さない。


「影も、端だけでいいです」


「なぜ」


「全部出すと、花の影を取りたくなります」


影を取りたくなる。


星図を開きたくなる。


水へ返したくなる。


音にしたくなる。


待ち札にしたくなる。


したいことが増えている。


増えたから、花が開くのではない。


したいことが増えるほど、置く場所も必要になる。


僕たちは一つずつ置いた。


星図を開きたい気持ち。


影を取りたい気持ち。


水へ返したい気持ち。


音にしたい気持ち。


待ち札にしたい気持ち。


どれも、悪くない。


どれも、先頭にしない。


アジムが記録紐を見た。


「記録したい気持ちもある」


そう言って、彼は記録紐の端を握り直した。


「開くところを、残したい」


その声には、怖さがあった。


砂箱の前で聞いた怖さとは、少し違う。


あの時は、書ける文が誰かを動かしてしまう怖さだった。


今は、残したいものを残し損ねる怖さに聞こえた。


「残したい気持ちを、どこへ置きますか」


僕が聞くと、アジムは花を見た。


長く見た。


でも、花へ紐を近づけなかった。


「交代観察台へ」


アジムは言った。


「一人の記録にしない」


サーラが、見張りたい、でも交代する札の横へ場所を空けた。


アジムは記録紐をそこへ置く。


結ばない。


台に巻かない。


ただ、次の人が手に取れる場所へ置く。


残したい、でも交代する。


リムがその札を書いた。


花の内側の明るさが、少し動いたように見えた。


ように見えた。


僕が言う前に、みんなが少しだけ息を止めた。


花びらの縁が、ほんのわずかに浮いた。


開いた。


そう言いたくなる。


でも、浮いた。


まずは、それだけ。


「縁が浮いたように見えました」


僕が言うと、ネフェルがうなずいた。


「開いた、ではなく」


「はい」


「戻った、でもなく」


「はい」


花びらの縁が、もう一度動いた。


今度は、光が外へこぼれた。


細い線。


金色ではない。


昼の光でもない。


砂の粒一つひとつが、自分の形を思い出すような色だった。


リムが小札を握りしめる。


書きたい。


僕も書きたい。


みんなが書きたい。


でも、今は花を見ているだけでは足りない。


花の周りも見る。


受け皿の水面。


記録紐。


星砂帳の閉じた表紙。


影写し板の端。


交代観察台の足元。


砂棚へ戻れる印。


消えた、を見なかったことにしない札は、ここにはない。


砂棚の前に残っている。


でも、その札がないからこそ、ここで消えたものを決めなくて済む。


花の光が外へ出る。


何かが消えたのではない。


何かを消したのでもない。


外へ出た光の分だけ、残る影もある。


ナユが影写し板を少しだけ持ち上げた。


でも、板面は花へ向けない。


足元へ向ける。


花の光で、僕たちの足元の影が短くなった。


消えない。


短くなる。


「影は、消えません」


ナユが言った。


「短くなります」


その言葉が、花の前で静かに座った。


花びらが、三枚目までゆっくり浮いた。


数えたくなる。


三枚。


次は四枚。


全部でいくつ。


そういう数え方へ行きかけて、僕は自分の指を握った。


「数えたい気持ちがあります」


ネフェルが僕を見た。


「ありますね」


「数えますか」


「数えません。今は、数えたい気持ちがどこへ向くかだけ見ます」


ネフェルは星砂帳を開かず、表紙の上へ小札を置いた。


数えたい気持ち。


それは星砂帳の上に置かれた。


花の上ではない。


僕の手の中でもない。


数えたい気持ちは、置かれると少しおとなしくなった。


花びらが、さらに浮く。


開くという言葉が、もう目の前まで来ていた。


でも、まだ僕は言わない。


花自身が、言葉を待っているわけではない。


言葉を待っているのは、僕たちのほうだ。


ククルーが、花ではなく、札の並びを見た。


「そろそろ、言ってもいい言葉があるね」


僕はククルーを見た。


「開いた、ですか」


「まだだね」


ククルーはすぐに言った。


「戻り始めた、だね」


戻り始めた。


前の夜から持ってきた札の言葉。


欠けた星図が完全に戻ったのではなく、次も見られる形になった時の言葉。


ここでも、それが使える。


花が開く前に。


開いたと言う前に。


祝福が戻ったと言う前に。


戻り始めた。


リムが、その札を探した。


戻り始めた札は、夜の花へ持っていく布の中に入れていたはずだ。


僕は布を開いた。


星砂に似た粒一つ。


影線の写し。


空の貝殻の白い写し。


戻り始めた札。


布の中身は、ここで一つにしてはいけない。


一つずつ、置く。


星砂に似た粒は、星砂帳の近くへ。


影線の写しは、影写し板の布の近くへ。


空の貝殻の白い写しは、イェンの貝殻の近くへ。


戻り始めた札は、花の真正面ではなく、半円の札の外側へ。


「花が戻り始めた、とは書きません」


僕が言うと、リムはうなずいた。


「何が戻り始めたかは、まだ書かない」


「はい」


戻り始めた札は、主語を持たないまま置かれた。


その時、花びらが一度に動いた。


音はしない。


でも、低い息が長くなり、砂の上を滑った。


砂棚の方角から、風が戻ってきた。


低い風。


でも、もう下だけを通る音ではない。


棚の前を通り、受け皿の水面を揺らし、花の根元へ戻る風。


花びらが開いた。


今度は、そう言ってもよかった。


でも、言った瞬間に、すべてが終わるようには言わない。


「開きました」


僕は言った。


声は、思ったより小さかった。


誰も歓声を上げなかった。


喜んでいないからではない。


大きな声を出すと、花を答えにしてしまいそうだったからだ。


サーラが静かに笑った。


イェンの貝殻が、内側で小さく鳴った。


外へ急がせない明るさ札の横に、光が触れた。


その札は、もう役目を終えたように見える。


でも、終えたとは書かない。


開いたあとにも、急がせない明るさは必要だった。


花の中心から、祝福音がゆっくり広がった。


音というより、音になる前と音になった後が、一緒に流れてくるようだった。


イェンは貝殻を持ち上げた。


今度は、貝殻へ入れてもよいのだろうか。


イェンはしばらく待った。


それから、貝殻を花へ向けず、自分の胸の前で軽く傾けた。


貝殻は鳴った。


短く三つ。


長く一つ。


その音は、花の音を写したのではない。


花の音へ返事をした音だった。


「祝福音ですか」


僕が聞く。


イェンは首を少し横へ傾けた。


「祝福音へ、なり始めています」


なり始めている。


戻り始めた。


開いた。


全部、同じ場所に置かない。


リムが三つの札を別々に作る。


開いた。


祝福音へなり始めている。


戻り始めた。


三つは、花を囲まない。


水、影、星図、記録紐の近くへ、それぞれずらして置かれた。


アジムは、記録紐を手に取った。


今度は、誰かが止める前に、自分で言った。


「締めない」


そして、記録紐の端を交代観察台から取って、花の前ではなく、戻り石の砂板の横へ置いた。


「開いたことを、一人の記録にしない」


リムがその言葉を写す。


「では、誰の記録にしますか」


僕が聞く。


アジムは考えた。


「誰の、ではない」


ネフェルが静かに言った。


「どこへ戻すか、です」


アジムはうなずいた。


「砂嵐の記録へ」


その言葉で、僕たちは砂棚の方角を見た。


花は開いた。


でも、砂棚はまだそのままだ。


消えた、を見なかったことにしない札も、砂を消さない手入れ札も、今日の読める高さ札も、そこに残っている。


花が開いたから、片づけてよいものではない。


開いたからこそ、戻らなければならない。


「今、戻りますか」


サーラが聞いた。


夜の花は、開いたばかりだ。


見ていたい。


この光を離れたくない。


その気持ちは、悪くない。


でも、見張りたい気持ちを交代へ戻す札が、足元にある。


残したい、でも交代する札もある。


僕はうなずいた。


「戻ります」


「全員で」


アジムが言う。


「いいえ」


ククルーが答えた。


「全員で行くと、花を置いていくことになるね」


「では」


「交代です」


その言葉に、サーラがすぐ反応した。


「花を見る人。砂棚へ戻る人。受け皿の場を見る人。戻り石を見る人」


リムが配置を写す。


今度は、戻り石の砂板が本当に役に立ちそうに見えた。


便利と言いたい気持ちの札が、横で小さく笑っている気がした。


「便利と言いたい気持ちは、まだ横です」


リムが言う。


「はい」


ネフェルがうなずいた。


「便利にすると、一つの答えになります」


交代が決まった。


サーラとイェンは花の近くに残る。


イェンは祝福音へなり始めている響きを、貝殻に入れすぎないよう見守る。


サーラは受け皿の水が花を理由にしすぎないよう、少し離した位置へ置く。それから、水面の揺れだけを小さな白皿へ写して、ネフェルに渡した。


ネフェルとナユは、僕とアジムとリム、ククルーと一緒に砂棚へ戻る。


星砂帳はまだ閉じたまま。


影写し板も、まだ全面を出さない。


花の光を背中に受けながら、僕たちは記録室へ戻った。


砂棚の前では、三つの砂板がそのまま残っていた。


低すぎるように見える砂板。


高すぎるように見える砂板。


中途半端で、風が通れる砂板。


花の光は、ここまでまっすぐ届かなかった。


でも、風が届いた。


花が開いたことで風が変わった、と言いたくなる。


でも、そうは書かない。


風の中に、花のあとで見える変化がある。


それくらいにしておく。


白皿の水面は、短く三つ、長く一つの揺れを返したように見えた。


イェンの貝殻音と似ている。


でも、同じとは言わない。


ナユが影写し板の布を棚の横へ置く。


影は、文字を読まない。


砂の高さだけを映す。


ネフェルは星砂帳の表紙へ手を置いた。


開きたい気持ちはある。


でも、開かない。


アジムは記録紐の今日通った高さ印を見た。


「高さが変わった」


その声は、驚きではなく、確認だった。


記録紐の低い印の少し上を、風が通っている。


中途半端な砂板の上で、砂が以前より細かく揺れた。


消えた、の文字の周りが、少し見える。


下のほうに、もう一つの跡があった。


消えたもの。


ではない。


消えたあと。


でもない。


消えた場所に、戻る。


そこまでが、かろうじて読める。


アジムは、息を飲んだ。


「戻る」


「消えたものが戻る、とはまだ書かない」


僕が言うと、アジムはうなずいた。


「消えた場所に、戻る」


リムが写す。


「場所が戻るのでも、消えたものが戻るのでもなく」


ナユが言う。


「戻れる場所がある」


ネフェルが続けた。


その言葉で、砂棚の前の空気が変わった。


花が開いたから解けたのではない。


花が開いたことで、戻れる場所を見失わずに済むようになった。


それが近い。


「砂嵐の記録を、祝福循環へ戻しますか」


リムが聞いた。


大きな言葉だった。


祝福循環。


戻す。


言うだけで、終わったように聞こえる。


ククルーが前足を上げた。


「戻し始めます」


そう言い直す。


戻し始めます。


リムは写した。


戻し始める。


砂棚の前に、花の開いた光はない。


でも、祝福音へなり始めている返事がある。


白皿に写された揺れ。


影の高さ。


閉じた星砂帳。


今日の読める高さ印。


消えた、を見なかったことにしない札。


砂を消さない手入れ札。


便利と言いたい気持ちの札。


全部が、少しずつ違う場所から砂棚へ戻ってきている。


アジムは記録紐を棚へかけなかった。


代わりに、紐の端をリムの砂板、ナユの布、ネフェルの星砂帳の表紙、白皿の縁に順番に近づけた。


触れるか触れないかの距離。


結ばない。


でも、互いの場所を忘れない。


「これを、結ぶと言いますか」


アジムが聞く。


ククルーは首を少し傾げた。


「今日は、寄せる、くらいかな」


「寄せる」


「結ぶより、ほどけるね」


アジムは少し笑った。


「ほどけるなら、今はそれでいい」


寄せる。


リムが、その二文字を小札へ写す。


寄せる札。


その言葉は、記録室の風に合っていた。


風は、砂を一つにまとめない。


でも、ばらばらにもさせない。


少しずつ寄せる。


砂棚の文字は、まだ全部読めない。


それでも、読めるところは増えた。


太陽。


花。


夜。


風。


戻る。


消えた場所に、戻る。


それを一つの予言にしようとすれば、すぐできる。


太陽の花が夜に開き、風が消えた場所へ戻る。


きれいだ。


でも、それは早い。


僕は、その文を口に出さなかった。


代わりに、小札へ書いた。


きれいに立ちそうな文。


そして、それを棚の横へ置く。


文が立ちそうな場所札の隣だ。


リムがうなずいた。


「文が立ちそうな場所が、増えました」


「増えました」


「困りますか」


「少し」


「では、戻れる場所も増やします」


リムは戻り石の砂板に、砂棚から花へ戻る印をもう一つ足した。


線ではない。


点と点の間に、少し広い間。


戻り石は、また地図になりかけた。


便利と言いたい気持ちの札が、横にある。


僕はそれを見るだけで、少し笑った。


便利にしない。


でも、役には立つ。


それくらいの距離が、今はいい。


記録室の風が、短く三つ、長く一つのように聞こえた。


聞こえたように、だ。


イェンがここにいれば、そう言うかもしれない。


僕はそれを、聞こえたように札へ書いた。


花へ戻った時、イェンに見せるために。


花の前へ戻ると、太陽の花は開いたままだった。


でも、開いたままという言葉も少し違う。


開いた形で、息をしている。


花びらは止まっていない。


開いて終わった花ではない。


開いて、まだ読み続けている花だった。


サーラが僕たちを見て、受け皿を少し上げた。


「水面が、さっきより忙しいように見えます」


「忙しい」


イェンが貝殻を伏せたまま言う。


「でも、急いでいる音ではありません」


忙しい。


急いでいない。


その二つも、同じではない。


花の祝福音へなり始めている返事は、まだ答えにならない。


でも、前よりたくさんの場所へ届いている。


僕たちは砂棚で読んだ札を、花の前に全部は持ってこなかった。


消えた、を見なかったことにしない札は砂棚に残した。


砂を消さない手入れ札も残した。


今日の読める高さ札だけ、戻り石の外側に写しを置いた。


きれいに立ちそうな文の札は、花の前に持ってこない。


持ってくると、花がその文を正しいものにしてしまいそうだった。


「花が開いたから、正しい文になるわけではない」


僕が言うと、ククルーが目を細めた。


「今日は、それがよく分かりました」


「分かった、と書いていいですか」


「分かり始めた、くらいかな」


リムがすぐ写す。


分かり始めた。


戻り始めた。


祝福音へなり始めている。


始めている言葉が増えた。


始まりではない。


始めている。


動いている。


まだ続く。


夜の花は、開いた。


それは、確かに書いていい。


でも、開いたことで終わることは少なかった。


むしろ、戻る場所が増えた。


砂棚へ。


受け皿へ。


迷宮へ。


砂箱へ。


影床へ。


そして、まだ渡していない月光へ。


月は、もう砂丘の上に出ていた。


白く、薄く、まだ遠い。


花の金色とは違う。


ソラリカの太陽の花が開いた夜に、月の光がそこへ少しだけ触れていた。


ナユが影写し板を見た。


「月の影は、まだ取らないほうがいいです」


「なぜ」


「今取ると、花の開いた証にしたくなります」


ネフェルが月を見上げる。


「でも、渡す札は必要になります」


アジムが記録紐を握る。


「砂嵐の記録も、月光へ全部持っていくわけではない」


「全部ではなく、影札として」


僕は言った。


その言葉は、まだできていない札を呼んだ。


月光へ渡す影札の白札。


今すぐ書く、とは言わない。


ここでは、次に作る札として置く。


リムが小札を一枚、まだ何も書かずに取った。


「今、書きますか」


「書きません」


僕は答えた。


「でも、書く場所を決めます」


月光へ渡す影札の白札を置く場所。


それは、花の光の中ではなく、花の光と月の光が重ならない砂の上だった。


重ならない場所。


でも、遠すぎない場所。


そこへ白い小札を置く。


まだ何も書かれていない。


でも、次に書く場所はできた。


花は開いた。


祝福音へ、なり始めている。


砂嵐の記録は、戻り始めている。


消えた、は見なかったことにしない。


今日の読める高さは、正しい高さにはしない。


月光へ渡す影札は、まだ白札のままだ。


僕は、花の前で深く息をした。


自分の答えが出たわけではない。


それでも、息は少し通りやすかった。


ククルーが僕の横に座る。


「開いたね」


「はい」


「でも、何が開いたかを一つにしない」


「花は開きました」


「はい」


「でも、僕の答えは開いていません」


「それでいいね」


ククルーは、花を見た。


「花が開いた日に、開かないまま残るものがある。そのほうが、次へ行けます」


僕はうなずいた。


夜の花は、静かに光っている。


祝福音へ近づいている低い息は、砂丘の低い場所へ広がっていく。


でも、その光は、影を消さない。


月の光も、花の光に負けていない。


どちらも、まだ役目を決められていない。


僕たちは、その決められていない光の間に、白い札を一枚置いた。


月光へ渡す影札の白札。


まだ名前だけ。


まだ白い。


でも、次に読む場所は、そこにあった。




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