第5巻 星砂の古代文字 第9章 砂碑の影文字
砂碑の影の入口は、昼に見た回廊とは違う顔をしていた。
昼の砂碑は、白い光を受けて、読める字と読めない線を同じ明るさに置いていた。読める字だけを拾えば、きれいな言葉になりそうだった。読めない線は、そのきれいな言葉の飾りに見えた。
夜へ向かう今は、違う。
砂碑の片側に長い影がのび、読めない線の方が先に濃く見えた。読める字は、影の縁で少し薄くなっている。昼には主役のように見えたものが、夕方には脇へ下がる。
「同じ砂碑なのに」
僕は足を止めた。
「はい。同じ砂碑です」
ネフェルが言った。
「でも、光の当たり方が変わると、先に見えるものも変わります」
ククルーは足元の砂を前足で軽くならした。
「ぼくは、夕方の砂碑が好きだよ」
「どうしてですか」
「読める字が、少し遠慮するからです」
読める字が遠慮する。
不思議な言い方だけれど、目の前の砂碑を見ると分かる気がした。
昼には、読める字が「ここから読みなさい」と言っているようだった。
今は、その声が少し小さい。
かわりに、字になる前の線や、欠けたところや、影の切れ目が、静かに座っている。
「来ましたね」
砂碑の陰から、細い筆を持った人が出てきた。
ナユだった。
前に、読めない古代文字の前へ白い糸を置いた砂碑の書き手だ。あの時も、読める一語を美しい予言へ急がせないために、糸を切れやすいまま残した。
ナユは、僕たちを見ると、筆を耳の後ろへ差した。
「外した星は、棚から出ましたか」
ネフェルが、星砂帳を胸の前に持った。
「出ました。でも、まだ星の場所だけでは読めません」
「では、影へ置きます」
ナユは当然のように言った。
その声があまりに自然だったので、僕は少し驚いた。
「影で読めるんですか」
「読める、と言うと早いです」
ナユは笑わずに答えた。
「影で、読める字を少し待たせます」
影で読める字を待たせる。
アルカディアに来てから、待たせることが増えた。
水の返事を待つ。
粒を数えず待つ。
星砂帳を開いても読まず待つ。
外した観測を失敗にも正解にもせず待つ。
今度は、読める字を待たせる。
「こちらへ」
ナユは砂碑の間の細い道を進んだ。
道の両側には、背の高い砂碑が並んでいる。どれも、昼より大きく見えた。影が長くのびているからだ。
影は砂の上で重なったり、離れたりしている。
近い影。
遠い影。
太い影。
細い影。
ところどころ、影が途切れている。
その途切れた場所に、夕方の光が細く残っていた。
「ここが影道です」
ナユは言った。
「砂碑の影が、砂碑の間を渡る時間だけ、古代文字の外側が見えます」
「外側」
僕は、砂碑の表面を見た。
読める字は石の上にある。
読めない線も石の上にある。
影は、石の外へ出て、砂の上に伸びている。
「文字は、石の上だけにあるのではないんですか」
「石の上に刻まれたものだけを文字と呼ぶなら、そうです」
ナユは細い筆を抜いた。
「でも、砂碑は昼も夜も同じ場所に立っています。日が動けば、読めない線は影を持ちます。欠けたところも、影を持ちます。刻まれていない場所も、影を持つことがあります」
刻まれていない場所も、影を持つ。
その言葉で、欠けた星図を思い出した。
ない点を補いたくなった。
そこに点を置けば、形が整いそうだった。
でも、欠けた場所にも間隔があった。
今、砂碑の影にも、刻まれていないところの間隔がある。
「影が文字なんですか」
リムが聞いた。
ナユは首を横に振った。
「影を文字にすると、また早いです」
「では、何ですか」
「文字のそばにある時間です」
ナユは砂の上に筆先を置いた。
インクはない。
筆が砂を少しならすだけだ。
「ここを見てください」
一つの砂碑に、読める字が三つ並んでいた。
水。
ひらく。
はじまり。
僕は胸の奥が少し固くなるのを感じた。
前に、読める字だけをつなげると、あまりにきれいな言葉になった。
水がひらく。
はじまり。
それを自分の答えにしたくなった。
白いページを隣に置いて、止めた言葉だ。
ナユは、三つの字には触れなかった。
その下に伸びる影を指した。
「昼は、この三つが先に見えます。夕方は、この三つの間にある影の短さが見えます」
「短さ?」
「はい。影が長い場所と、短い場所があります。ひらく、の影は少し短い。はじまり、の影は字の下で途切れます」
僕はしゃがんだ。
たしかに、三つの字の影は同じではなかった。
水の影は、砂の上へゆっくり伸びている。
ひらくの影は、途中で細くなる。
はじまりの影は、砂碑の傷に引っかかって、少し途切れている。
読める字だけを見ると、きれいにつながる。
影を見ると、つながり方が同じではない。
「この途切れは、何を意味するんですか」
言ってから、僕はしまったと思った。
意味を急いでいる。
ナユは、急がなかった。
「まだ意味ではありません」
「まだ」
「はい。今は、途切れです」
ククルーがうなずいた。
「意味にする前に、途切れが途切れのまま見えているね」
「ククルーは、今のを言いたかっただけですね」
「少しだけだよ」
ククルーのしっぽが、砂の上で小さく揺れた。
重くなりすぎた空気が、そこで少し動いた。
ネフェルは星砂帳を開いた。
灰色のページに、端の丸の薄紙の写しがある。
外れて見える星。
まだ外した星とは言わない。
見なかったことにはしない。
その下に、ナユが影の線を写していく。
線は、字ではない。
でも、ただの影でもない。
水の影。
ひらくの短い影。
はじまりの途切れた影。
「端の丸と、影の途切れは似ていますか」
ネフェルが聞いた。
僕は、すぐ答えなかった。
似ている、と言えば同じにしたくなる。
似ていない、と言えば別々にしたくなる。
「近くに置けます」
僕は言った。
「同じとは、まだ言いません」
ネフェルがうなずいた。
「はい」
ナユも、小さくうなずいた。
「影道では、その答えがいちばん長く持ちます」
いちばん長く持つ答え。
正しい答え、ではない。
いちばん長く持つ。
少しの間、砂の上に置いておける答え。
日が動けば、影は変わる。
だから、今ここで見えたものを、固い答えにすることはできない。
でも、変わるから何も見ない、というわけでもない。
今の影を、今の影として置く。
「影は、あとで消えますよね」
僕が言うと、ナユは砂碑の上の傷を見た。
「消えます」
「消えるものを、どうやって記録するんですか」
「消えることも一緒に記録します」
ナユは、砂板を一枚取り出した。
リムの砂板より薄く、表面が少し黒い。
「影写し板です。線の形だけではなく、いつ見たか、どれくらいで薄くなるか、次の砂碑へ届く前に切れるかを写します」
「時間も写すんですか」
「時間そのものは写せません。だから、薄くなる順番を置きます」
薄くなる順番。
それは、時計ではない。
でも、待ち方を記録するものだ。
「リムさん、ここからはあなたの砂板も使います」
ナユが言った。
リムは少し背筋を伸ばした。
「はい」
「影写し板は、影を追います。あなたの砂板は、影の間に残った風を写してください」
「風」
「影と影の間に、砂が明るいまま残る場所があります。そこを読める字で埋めると、きれいな予言になります」
ナユは、そこで言葉を切った。
「だから、埋めずに残します」
リムの目が、少し真剣になった。
「分かりました。残った明るさを、明るいまま写します」
「はい」
ネフェルが、星砂帳をリムの砂板の近くへ置いた。
三つの記録が並ぶ。
星砂帳。
影写し板。
リムの砂板。
同じものを書かないために、三つある。
「僕は、何を見ればいいですか」
僕が聞くと、ククルーはしばらく砂碑を見た。
「ぼくは、旅人に一つだけお願いがあるよ」
「はい」
「きれいにつながりそうなところで、息を止めないでください」
「息?」
「うん。ぼくは、旅人が美しい言葉を見つけると、少し息を止めることを知っているよ」
言われて、僕は困った。
たしかに、前に読める字がつながった時も、胸の中が一瞬止まった。
白い砂帯で粒がそろった時も、息が細くなった。
今も、水、ひらく、はじまり、という三つの字を見ると、息を止めたくなる。
「息を止めると、何が困るんですか」
「止めた息は、急いで答えを作ります」
ククルーは、砂の上へ座った。
「息をしていると、少しだけ待てます」
それは、とても簡単なことに聞こえた。
でも、やってみると難しかった。
僕は砂碑の字を見ながら、ゆっくり息を吸った。
水。
ひらく。
はじまり。
息を吐く。
影の短さ。
影の途切れ。
明るいまま残る砂。
もう一度、息を吸う。
外れて見える星。
端の丸。
数えた跡。
息を吐く。
どれも、同じ答えではない。
でも、同じ場所に置ける。
「少し、見え方が変わりました」
僕が言うと、ナユが筆を止めた。
「何が見えましたか」
「読める字が、急いでいないように見えます」
「昼は急いでいましたか」
「僕が、急がせていました」
口に出すと、少し恥ずかしかった。
でも、言葉はそこに座った。
水がひらく。
はじまり。
それは、砂碑が言ったのではない。
僕が、読める字だけをつないで、言わせたかった言葉だ。
「砂碑に言わせたいことがありました」
僕は言った。
「白いページにも、ソラリカの花にも、星砂にも、言わせたいことがありました」
ネフェルが、静かに聞いていた。
「何を言わせたかったのですか」
「僕がここにいる理由です」
口にしてから、胸が少し冷えた。
でも、言ってしまったことを戻さなかった。
「理由がほしかった」
「はい」
「でも、この砂碑は、まだ理由を言っていない」
「はい」
ナユは、筆先で影の途切れを指した。
「この途切れは、理由ではありません。でも、理由を急がせない場所にはなります」
理由を急がせない場所。
僕はその言葉を、心の中で何度か置いた。
旅人の正体。
未登録欄の待ち目。
休み布の下の薄い水紋。
閉じたソラリカの花。
読める一語。
どれも、理由にしたくなる。
でも、理由にすると、他のものが置けなくなる。
「影文字は、理由を教えるものではないんですね」
「はい」
ナユは言った。
「影文字は、読める字が理由のふりをした時、隣に置くものです」
リムが砂板に書いた。
理由のふり。
隣に置く影。
その字が、少し強く見えた。
「強すぎますか」
リムが聞くと、ナユは砂板をのぞき込んだ。
「強いです。でも、今は強さも見えた方がいい」
「では、このまま置きます」
「はい。あとで、少し薄くするかもしれません」
あとで薄くする。
その言い方が、影らしかった。
今は強く見える。
でも、時間が進めば薄くなる。
薄くなってからでないと、隣の線が見えないこともある。
「次の砂碑へ行きましょう」
ナユが言った。
影道の奥には、背の低い砂碑が並んでいた。
そこには、ほとんど読める字がなかった。
線と傷と、風で削れたくぼみばかりだ。
昼に来たら、読めない砂碑として通り過ぎていたかもしれない。
でも、夕方の影は、そのくぼみに細く入っていた。
小さな線が、砂の上に二つ、三つ、離れて落ちている。
「これは、文字ですか」
「まだ、文字ではありません」
ナユは言った。
「でも、文字になる前の場所です」
「字になる前の線」
僕がつぶやくと、ネフェルが星砂帳をめくった。
白い砂帯で見た線。
数えすぎると見えにくくなった、字になる前の線。
ここにも、それに似たものがある。
「似ているところ札を置きますか」
リムが聞いた。
ネフェルは少し考えた。
「置きます。でも、今日は違うところ札を先に置きます」
「どうしてですか」
「似ていると言いたい気持ちが強いからです」
その言葉は、僕にも分かった。
字になる前の線。
影の小さな線。
端の丸。
外れて見える星。
未登録欄の待ち目。
全部、似ていると言いたくなる。
似ていると言えば、物語がきれいにつながる。
でも、きれいにつながりすぎると、美しい予言になる。
「違うところを先に」
僕は言った。
「はい」
ネフェルは札を二枚出した。
似ているところ。
違うところ。
そして、違うところの札を先に砂の上へ置いた。
「この影は、時間で変わります」
ネフェルは、影写し板の端を軽く押さえた。
「白い砂帯の線は、数え方で見えにくくなりました」
リムが、砂板の空欄を一つ指で示す。
「端の丸は、星図から外されました」
端の丸の薄紙が、星砂帳の端で小さく乾いた音を立てた。
「未登録欄の待ち目は、まだ体や名前の証明ではありません」
最後の言葉だけ、ネフェルは少し声を落とした。
「同じ場所へ置ける。でも、同じ答えではない」
僕も続けた。
ククルーが、小さくしっぽを動かした。
「ぼくは、その言葉を何度聞いても飽きないよ」
「何度も言っています」
「大事な言葉は、少し面倒なくらい戻ってきます」
面倒。
さっきの夜の砂丘で言った言葉だ。
その面倒さは、ここでも必要だった。
ナユが影写し板に、二つの線を写した。
一本は長い。
もう一本は短い。
でも、短い線の方が、砂碑のくぼみの奥から出ている。
「短い方が、奥にあります」
僕が言うと、ナユはうなずいた。
「はい。見えている長さと、置かれている深さは同じではありません」
見えている長さ。
置かれている深さ。
その二つも、同じではない。
「星も、そうですか」
ネフェルが空を見た。
外れて見える星は、まだ薄く見えている。
「見えている遠さと、置かれている近さは同じではないかもしれません」
ネフェルは言った。
「でも、今夜はまだ、かもしれません、です」
「はい」
僕はうなずいた。
かもしれません。
アルカディアでは、その言葉が何度も必要になる。
強すぎる答えではなく、弱すぎる逃げでもない。
置いておける言葉。
影道の終わりへ着くころ、空は深い青になっていた。
影は長くなりすぎて、砂碑の形がひとつに溶け始めている。
さっきまで見えていた途切れも、線の長さも、少しずつ分かりにくくなった。
「もう読めないんですか」
僕が聞くと、ナユは影写し板を閉じた。
「今の読み方では、読めません」
「別の読み方なら?」
「夜になってからの見方もあります。でも、今日はしません」
「どうして」
「今日の影を、夜の答えで上書きしないためです」
上書き。
それは、消すことに少し似ている。
でも、違う。
何かを書き足すことで、前に見えたものが見えなくなることがある。
「ここで止めるんですね」
「はい」
ナユは、砂碑の端に小さな石を置いた。
影止めの石。
「明日、同じ時間に来れば、同じ影が見えますか」
「少し違います」
「では、どうして石を」
「同じ影を見るためではありません。違った時に、どこが違うか見えるようにするためです」
ナユの言葉は、砂碑のように静かだった。
同じものを見るためではない。
違いが見えるようにするため。
「欠けた星図の時に置いた札と、少し近いです」
ネフェルがうなずいた。
「はい。あの時は、点を置きたくなる場所を見ました。今は、影を重ねたくなる時間を見ています」
「重ねたくなる」
「はい。今日の影と明日の影を、同じ影として扱いたくなるかもしれません」
「でも、同じとは限らない」
「はい」
ナユは影止めの石の横に、細い白い糸を置いた。
前に使った白い糸だ。
「また糸を置くんですか」
「はい。今度は、切るためではありません」
「では、何のために」
「明日まで残るか見るためです」
白い糸は、影のそばでとても頼りなく見えた。
風が吹けば飛びそうだ。
砂が少し動けば埋まりそうだ。
でも、だからこそ、明日まで残るかどうかが分かる。
残らなければ、残らないことが記録になる。
「影文字は、影だけではないんですね」
リムが言った。
「影、石、糸、風、時間」
「そして、見た人の息です」
ククルーが足した。
リムは砂板に書いた。
影。
石。
糸。
風。
時間。
息。
書き終えてから、少し首をかしげた。
「多いです」
「多いね」
ククルーが答えた。
「だから、一つの美しい言葉にしたくなるね」
ナユが言った。
「多いものを、一つにまとめると安心します」
ネフェルが、星砂帳を閉じかけて、止めた。
「でも、まとめる前に、置き場所が要ります」
「はい」
ナユは影止めの石を見た。
「明日、これを見た時、きっと言葉が作れます」
その声は、少しだけ低くなった。
「水がひらく。はじまり。外れた星が戻る。花が開く。そういう言葉です」
胸が、また少し止まりかけた。
美しい。
きれいにつながる。
閉じたソラリカの花、外れて見える星、影文字、水がひらく、はじまり。
全部が一つの予言のように見える。
言ってしまえば、どれだけ楽だろう。
「今、作れそうです」
僕は正直に言った。
「はい」
ナユも、ネフェルも否定しなかった。
「作れる言葉は、作ってはいけない言葉ではありません」
ナユは言った。
「でも、今ここで答えにすると、影止めの石も、白い糸も、明日の違いも、いらなくなります」
「いらなくなる」
「はい。きれいな予言は、細かい置き場所を片づけたくなります」
片づけたくなる。
それは、少し怖い言葉だった。
きれいにすることは、悪いことではない。
でも、きれいにする時、まだ座っている途中のものを動かしてしまうことがある。
次に見る場所だ。
「次は、その作れそうな言葉を見に行くんですね」
僕が言うと、ネフェルがうなずいた。
「はい。作れそうな言葉を、作らずに置く練習です」
「作らずに置く」
「いえ」
ナユが、そこで首を横に振った。
「作りたい気持ちを置く、です。言葉そのものを作らないだけでは、気持ちが棚の奥へ行きます」
ネフェルは少し目を伏せた。
外した星の棚を思い出しているのだと分かった。
「そうですね」
ネフェルは言った。
「作りたい気持ちも、置き場所が要ります」
星砂帳の灰色のページに、ナユが短く書いた。
作れそうな予言。
まだ答えにしない。
作りたい気持ちの置き場所。
その三行は、夜の色を少し借りて、黒ではなく深い灰色に見えた。
僕はその文字を見ながら、息をした。
水。
ひらく。
はじまり。
外れて見える星。
閉じた花。
影止めの石。
白い糸。
明日の違い。
どれも、きれいにつながりそうだ。
でも、まだつなげない。
つなげないことは、捨てることではない。
影道の出口で、風が吹いた。
白い糸が少し揺れた。
飛ばなかった。
でも、残ったと決めるには早い。
影止めの石のそばで、砂が小さく動いた。
消えたわけではない。
戻ったわけでもない。
ただ、明日見るための違いが、今から少しずつ始まっている。
「明日、また来ます」
僕は言った。
「はい」
ナユがうなずいた。
「明日は、今日より作りたくなるはずです」
「どうしてですか」
「一晩、言葉が頭の中で育つからです」
ククルーが、僕の足元へ寄った。
「ぼくは、その言葉の育ち方を見るのも練習にしたいね」
「練習なんですか」
「うん。でも、夜の作法だよ。夜は、案内役も眠そうになるね」
リムが小さく笑った。
ネフェルも、少しだけ笑った。
僕も笑った。
その笑いは、美しい予言を軽くするためではない。
作りたくなる気持ちを、抱えられる重さにするためだった。
砂碑の影道を出ると、空には星が増えていた。
外れて見える星は、まだ外れて見える。
でも、今は、その星だけを見なかった。
足元の影止めの石。
白い糸。
リムの砂板。
ナユの影写し板。
ネフェルの星砂帳。
ククルーの少し眠そうな顔。
僕の息。
それらを同じ場所に置いてから、もう一度空を見た。
星は、少し遠い。
でも、遠いから関係ないとは言わない。
近いから答えだとも言わない。
ただ、影と一緒に、明日まで持っていく。
僕たちは、作れそうな予言を胸の中で完成させないように、ゆっくりオアシスの灯りへ戻った。




