↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クイズクロニクル  作者: pj.masta


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/317

第5巻 星砂の古代文字 第3章 欠けた星図

外の光は、天幕の中で見た点よりもまぶしかった。


昼の砂漠は、星を隠しているのではなく、星を別のものに変えているように見えた。布の穴から落ちていた光は、ここでは砂粒の一つ一つにほどけている。足を出すたび、さら、さら、と音がして、音の方が先に数を持ちたがった。


僕は、星砂帳を胸の前で持ち直した。


「重いですか」


ネフェルが聞いた。


「重いです」


僕は正直に答えた。


「でも、読めない重さです」


「よい重さです」


ネフェルは、天幕の入口に掛かっていた細い布を結び直した。布は完全には閉じない。風が通る分だけ、端が少し浮いている。


「読める重さだけを持つと、軽くなりすぎます」


ククルーが、僕の足元を歩きながらうなずいた。


「軽い答えは、運びやすいからね」


「運びやすいと、だめですか」


「だめじゃないよ」


ククルーはすぐに言った。


「でも、運びやすさだけで選ぶと、置いてきたものが追いつけないんだ」


リムは少し後ろからついてきた。砂板は胸に抱えず、脇に挟んでいる。さっきよりも気軽に見えるのに、歩くたび、砂板の端が風へ向かって小さく開いた。


「今日は、砂板を書きません」


リムが言った。


「どうして?」


「書くと、先に形が残ります」


「形が残ると困る?」


「困る前に、強くなります」


リムは、足元の砂を見た。


「強くなった形は、欠けた場所へ入りたがります」


欠けた場所。


その言葉だけで、星砂帳の表紙が少し重くなった気がした。


砂丘の観測台は、天幕からまっすぐ見える場所にはなかった。低い丘を二つ越え、乾いた草の輪を一つ通り過ぎ、白い石が半分だけ埋まった斜面を登る。その途中で、ネフェルは何度も立ち止まった。


星を探しているのではない。


足元の影を見ている。


白い石の欠けた角。


風に押されてできた砂の筋。


草の輪の、一か所だけ薄いところ。


ネフェルは、それらを見つけるたび、僕たちを呼び止めた。


「ここに、何がありますか」


一つ目の問いは、白い石の前だった。


石の右側が、細く欠けている。割れたというより、誰かが少しだけ指でなぞり取ったような欠け方だった。


「欠けた石」


僕が答えると、ネフェルはうなずいた。


「他には」


他。


僕は石のまわりを見た。


砂。


影。


草。


同じようなものばかりで、答えになりそうなものが見えない。


ククルーは、何か言いかけて、ひげを揺らしただけで黙った。


リムも砂板を開かない。


僕は、もう一度石を見た。


欠けたところだけを見ると、そこへ同じ色の小石を入れたくなる。ぴったり合うかどうか、試したくなる。


でも、欠けたところから目を少し離すと、石の影が途中で細くなっていた。


欠けた部分だけ、影が短い。


「影も、欠けている」


僕が言うと、ネフェルの尾の先が、砂を一度だけ払った。


「はい。欠けた石を見ると、欠けを埋めたくなります。欠けた影を見ると、どこまで届かなかったかを見られます」


「埋める前に、届かなかったところを見る」


「それが、今日の練習です」


二つ目の問いは、砂の筋の前だった。


風が作った細い線が、途中で消えている。


消えた先には、何もないように見えた。


「ここに、何がありますか」


ネフェルがまた聞いた。


今度は、すぐに答えない。


僕は、線の終わりを見る。


そこへ線を足したくなる。


足せば、風がどこへ行ったか分かる気がする。砂板に写せば、もっと分かりやすくなる気がする。星砂帳の白いページへ書けば、あとで忘れずに済む気もする。


けれど、白いページはまだ読んでいない。


読まないために開いたページだった。


僕は、線の終わりから少し横を見る。


消えた線の先ではなく、消える前に少しだけ曲がったところ。


そこだけ砂の粒が粗い。


「風が、まっすぐ行かなかったところ」


「はい」


ネフェルは短く答えた。


「では、線を足すと」


「曲がったところが、見えなくなる」


言ってから、胸の中で何かが小さく落ちた。


答えを足すと、消えたところが見える。


でも、曲がったところが見えなくなる。


どちらも見たいと思うのに、先に足した線は、あとから見たかったものを隠してしまう。


「足すことは、見ることを増やすだけじゃないんだ」


「はい」


ネフェルは僕の隣へ立った。


「足すことは、見えなくすることでもあります」


ククルーが、そこで小さく息を吐いた。


「ぼくは今、言いたいことを我慢しているよ」


「言ってもいいよ」


「ううん。今のは、旅人が先に見たよ」


ククルーは得意げではなく、少しだけ声をやわらげて言った。


「ぼくが言うと、ぼくの答えになるからね」


その言葉は、乾いた風の中で軽く聞こえた。


でも、軽いまま飛んでいかず、星砂帳の表紙の上にそっと乗った。


三つ目の問いは、観測台の手前にあった。


乾いた草の輪が、そこだけ途切れている。


まるで入口のように見える。


「ここに、何がありますか」


ネフェルが聞いた。


僕は草の切れ目を見た。


入口。


通り道。


抜けたところ。


そう答えそうになって、止まった。


草の輪は、もともと誰かを通すために作られたわけではないかもしれない。風が強かったのかもしれない。水が少なかったのかもしれない。誰かが踏んだのかもしれない。


理由を一つに決めるには、まだ早い。


「輪が、閉じていないところ」


僕は言った。


「通り道かどうかは、まだ分かりません」


ネフェルは、今度は答えなかった。


代わりに、草の切れ目の前で体を低くした。鱗の間に砂が入り、乾いた音がした。


「では、閉じていないところへ、何を置きますか」


僕は星砂帳を見た。


置くもの。


まだ数えない標は、オアシスの仮置き盤に残っている。外した星の標は、天幕に残っている。僕の手元にあるのは、空の小瓶と、「揺れても消えない道」の札と、読まなかった星砂帳。


どれかを置けば、意味が生まれる。


意味が生まれると、あとから違う意味が入りにくくなる。


でも、何も置かないと、ただの切れ目として忘れてしまう。


僕は布袋から「揺れても消えない道」の札を取り出した。


それを、切れ目の真ん中には置かなかった。


少し横、輪が途切れる直前の草の影に置く。


「ここが通り道だとは、まだ書かない」


自分に言うように、声にした。


「でも、閉じなかったところの手前に、札を置く」


ククルーの鈴が、ちり、と鳴った。


鳴ったのは一度だけだった。


鳴り続けない。


答えの音ではなく、そこに置いてよいという短い返事に聞こえた。


リムが、砂板を開きかけた。


そして、また閉じた。


「書きません」


「うん」


僕はうなずいた。


「今は、置いたことを覚えるだけでいい」


観測台は、石でできた低い円だった。


塔ではない。高い台でもない。砂丘の肩に、浅い皿を伏せたような場所だった。円の内側には、大小の穴が空いている。穴は星の形には見えない。整いすぎてもいない。近くで見ると、いくつかの穴は丸ではなく、風に削られた細い涙の形をしていた。


円の外側には、白い小片が置かれている。


数えたくなるほど、たくさん。


でも、数えるには、少しだけ並びがずれている。


ネフェルは、円の中へ入らなかった。


「ここで、並べます」


「星を?」


「星に見えるものを」


さっき天幕の出口で聞いた言葉が、砂の上で少しだけ重くなった。


ネフェルは、外側に置かれていた白い小片を三つ拾った。ひとつは大きく、ひとつは細く、ひとつは欠けている。


「この三つを、星図へ戻してください」


「戻す?」


僕は円の内側を見た。


穴がある。


小片がある。


欠けているなら、合う場所を探せばいい。


そう思った瞬間、手が動きそうになった。


ククルーが止めたわけではない。


ネフェルも、リムも、何も言わない。


だから、僕は自分で手を止めるしかなかった。


「戻すって、元の場所に入れることですか」


「そうとは言っていません」


ネフェルは穏やかに答えた。


「戻す、という言葉は、急ぎます」


「急ぐ言葉」


「はい。戻る先が分かっている顔をします」


僕は、手の中の欠けた小片を見た。


確かに、戻したくなる。


欠けたものは、欠けた穴に入れたくなる。入れば安心する。入らなければ、別の穴を探したくなる。どこかに正しい場所があるはずだと、信じたくなる。


「でも、星図が欠けているなら、戻さないと読めないんじゃないですか」


「読めないものを、読める形へ急がせると」


ネフェルは、円の外側の砂を指でなぞった。


「読めなかった時間が消えます」


「読めなかった時間」


「はい。星図は、星だけでできていません。見えなかった夜、雲で隠れた夜、誰かが数えなかった夜、間違えて消した夜。それらも、星図のまわりに残ります」


外した星の標が、天幕の中に残っている。


そのことを思い出した。


ネフェルは、自分の過去をまだ話していない。外した星が何かも、教えていない。けれど、その名前だけが、ここへ先に歩いてきていた。


僕は、小片を穴へ入れるかわりに、円の外側へ置いた。


大きい小片は、いちばん大きな穴のそば。


細い小片は、涙の形をした穴のそば。


欠けた小片は、どの穴にも近づけなかった。


円の外、草の輪の切れ目から見える位置へ置く。


「それは、なぜですか」


ネフェルが聞いた。


僕は、欠けた小片を見る。


答えはまだない。


でも、理由なら少しある。


「欠けたものを、欠けたところに近づけると、入るかどうかだけ見てしまうから」


「はい」


「少し離すと、どの穴にも入らなかった時の場所が見える」


「はい」


「それと」


僕は、さっき置いた「揺れても消えない道」の札を見る。


草の切れ目の手前で、札は小さな影を作っていた。


「通り道かどうか分からない場所から、星図を見ると、欠けたところが入口に見えすぎないか、分かる気がします」


ククルーが、今度ははっきり笑った。


「旅人、ぼくは今、すごく説明したいよ」


「説明しないでくれる?」


「もちろん。ぼくは今、かなり立派に我慢しているよ」


リムが、少しだけ笑った。


ネフェルも、尾の先で砂を払った。笑ったのかどうかは分からない。でも、砂の音はさっきより柔らかかった。


観測台の中央には、ひとつだけ穴のない場所があった。


穴がないのに、そこだけ砂が沈んでいる。


目立たない。


けれど、周りの穴を見ているうちに、そこだけがだんだん気になってくる。


「ここは」


僕が指をさすと、ネフェルは首を横へ傾けた。


「何に見えますか」


「穴を開け忘れたところ」


言ってから、違うと思った。


忘れた。


その言葉は、少し強い。


誰かがするべきことをしなかったように聞こえる。


「穴を開けなかったところ」


言い直す。


「でも、それもまだ強いかもしれません」


ネフェルは黙っている。


ククルーも黙っている。


リムは、砂板を脇に挟んだまま、僕の言葉を待っている。


僕は、もう一度中央を見る。


穴がない。


点がない。


でも、何もないわけではない。


そこへ点を足すと、きれいな星図になりそうだった。


大きな穴と、細い穴と、涙の形の穴。その真ん中にひとつ点を置けば、形が閉じる。閉じた形は分かりやすい。誰かに見せても、すぐに伝わる。


それが怖かった。


伝わりやすさが、正しさの顔をしてしまう。


「点がない場所」


僕は、ゆっくり言った。


「でも、点を置きたくなる場所」


ネフェルの目が、細くなった。


「今日、いちばん大事な読みです」


大事。


その言葉に、胸が少し熱くなった。


褒められたからではない。


大事と言われた場所が、点のある場所ではなかったからだ。


点がない場所。


点を置きたくなる場所。


そこを見つけた時、星図は欠けたまま、少しだけ読める形になった。


僕は、手首のあたりに意識が向くのを感じた。


休み布の下で見た薄い水紋。


未登録欄に残った待ち目二つ。


そこにも、何かを置きたくなる。


名前。


出自。


登録。


どこから来たのか。


なぜ反応するのか。


点を置きたくなる場所は、僕の中にもある。


僕は、星砂帳を少し強く抱えた。


「旅人」


ククルーが、いつもの声より少し低く呼んだ。


「今、星図を自分のことにしそうになったね」


「うん」


「してもいいよ。でも、同じにしなくていいよ」


同じにしなくていい。


天幕でネフェルが言った言葉が、別の形で戻ってきた。


星と数は、同じ問いを持つことがある。


けれど、同じ答えとは限らない。


僕の未登録欄と、星図の点がない場所も、同じ問いを持つかもしれない。


けれど、同じ答えとは限らない。


「似ているところ札が、ほしい」


僕は思わず言った。


「違うところ札も」


ククルーが、すぐに付け足した。


「湖畔で使った札だね」


リムが言ったあと、少しだけ首を傾げた。


「いえ。湖畔で使った札に似ていますね」


僕は笑った。


リムは、自分で言い直してから、砂板を初めて開いた。


でも、文字は書かない。


砂板の内側から、薄い小片を二つ取り出した。


一つには、細い線が二本。


もう一つには、線の間に小さな空き目。


「正式な札ではありません」


リムは言った。


「仮の見分け札です」


「借りてもいい?」


「置くなら」


僕は二つの札を受け取った。


細い線が二本の札を、未登録欄を思い出しそうになる手前に置く。星図の中央ではなく、自分の膝の近く。空き目のある札を、観測台の中央の点がない場所の外側に置く。


似ている。


でも、同じではない。


近い。


でも、重ねない。


その二つを、目で行き来する。


星砂帳の表紙が、また少し軽くなった。


「欠けた星図は、直ったんですか」


僕は聞いた。


聞いてから、少しだけしまったと思った。


直った、という言葉も急ぐ。


ネフェルは、責めなかった。


「直っていません」


そう言った。


「読めるようになったんですか」


「少しだけ」


「少しだけ」


「はい。少しだけ読めるものは、全部読めるものより、長く残ることがあります」


ネフェルは、観測台の中央へ入った。


初めて、円の内側に足を置く。


その足は、穴を踏まなかった。


点がない場所も踏まなかった。


穴と穴のあいだ、点を置きたくなる場所の少し外側へ、ゆっくり乗った。


「今日は、星図を直しません」


ネフェルは言った。


「欠けを、欠けのまま見える場所へ置きます」


「それで、次は」


僕が聞くと、ネフェルは観測台の向こうを見た。


砂丘の先に、低い石の列が見えた。


風が吹くたび、石の側面に刻まれた影が細く動く。


文字のようにも見える。


でも、まだ読めない。


読めないまま、こちらへ手を伸ばしているように見えた。


「砂碑の回廊へ行きます」


ネフェルは言った。


「欠けを補わずに見たあとでなければ、読めない文字があります」


古代文字。


その言葉を、僕はまだ声に出さなかった。


出せば、読めるものに変わってしまいそうだった。


代わりに、観測台の中央を見る。


点がない場所。


点を置きたくなる場所。


そこにはまだ、何も足していない。


でも、何も見なかったわけではない。


僕は、似ているところ札と、違うところ札をそれぞれの場所へ置いたまま、星砂帳の白いページを開いた。


今度も、文字は書かない。


ただ、ページの端に砂が一粒だけ乗った。


さら。


僕は、その一粒を払わなかった。


数えもしなかった。


欠けた星図は、欠けたままそこにある。


そのまま次の読めないものへ向かうために、僕は星砂帳を閉じずに持った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。