第47話『傷』
「レ、オンさん……っ」
僅かに息を切らし、自分の名を呼ぶ声にレオンハルトは我に返る。
振り返ると肩での呼吸を繰り返すノワールが、ようやく足を止められたところだった。
普段はその足が歩む速度に合わせて歩くことを徹底していた。当然、それが男の義務だからだ。
しかし、引き摺るように連れてきてしまった今はその呼吸は乱れ、掴んでいた手首すら僅かに赤くなってしまっている。
思わず息を詰め、視線を周囲へ巡らせると、休息用のベンチを見付けた。
今度はそっと手を引いてノワールをそこへ促せば、ようやく落ち着いて呼吸が出来ているようだった。
そこで不意に、僅かに足を引き摺るような仕草が目に入る。
「――失礼」
「あっ……」
短い制止のような声も気に留めず、その場に膝をついてノワールの右足を取る。
汚れの無い新品の靴を脱がせた箇所には、予想通り赤い靴擦れの痕跡が残っていた。当然、レオンが強引に歩かせたせいだろう。
(一体、何をしているんだ。俺は……)
レオンの胸中に渦巻く重い感情は、溜息にもならない。あまりに身勝手な振る舞いだとは自覚していた。
視線を上げれば、困ったようにレオンを見下ろすノワールがいた。
化粧のせいかいつもよりも顔色がよく見える。化粧一つ、ドレス一つ取っても普段より手間をかけて準備をしたであろう事実が伺えた。
「――勝手なことをして、すまない。君は楽しんでいたかもしれないのに」
「あ、の……」
「だが、君は今、俺の婚約者だ。例え姉上が許そうとも、その事実は変わりない。まずは俺に許可を取るのが筋ではないのか」
ノワールの言葉を遮るように話し続ける。どんな言葉が返るにしろ、聞きたくないと思った。
先程の人物との時間を惜しむような言葉が出る可能性があるのなら、なおさらだ。
自分の感情とは裏腹に、彼女を責めるような言葉ばかりが口を突く。
白い足に出来た赤い傷跡を隠すように、レオンは自分のハンカチを押し当てる。そんなことで痛みが引くわけではないだろうが、視界に映らなくなるだけで自分の心が僅かに救われた気がした。
「ど、どうして……」
僅かに震える声が、頭上から聞こえた。
レオンの指先が僅かに揺れる。
「どうして、とは?」
可能な限り自然を装って、レオンは問い返す。
だが視線は上げられない。身勝手な自分に失望する眼差しを見るくらいなら、顔を伏せていたほうがいくらかマシだった。
「レオンさんが、どうして……。名ばかりの婚約者が……わ、私が、いなくなれば……貴方は、大切な人と一緒に、いられるはずなのに」
数秒の間、噛み砕くようにしてその声を脳内で反芻させるが、理解に至れない。
答えを求めるように見上げたノワールの瞳は濡れ、その睫毛をも濡らしていた。
ノワールは細い指でそれを隠そうとするかのように、顔を覆う。
立ち上がり、咄嗟に手を伸ばそうとするが、指先が触れる前に首を振って拒まれてしまう。
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