第46話『婚約者』
(ヴァレンシュタイン邸から大通りを辿ってすぐの、この街。顔合わせには、まずここを使うはずだ。だが、どこへ――)
レオンハルトは、一人その街を歩いていた。この辺りでは一際大きな街だ。劇場を始めとして娯楽も多くある。この辺りはしばらく雪も降っていないのか、地面は乾いていた。
その中を進む歩みは忙しなく、視線は落ち着きなく周囲を探っている。
目的は自分の中でも曖昧だった。
(彼女を見付けたとして、何を言うんだ。いつか本当に好いた男と幸せになってくれればいいと、思っていたじゃないか。……姉上の言い分が正しい)
けれど、どれだけ理由を探しても足が止まることはなかった。一つ一つの店の内へと視線を向け、見知った姿が無いかを確認していく。
(ノワールも、自分の意思で向かったはずだ。まさか嫌がっているところを送り出しはしないだろう。……彼女がそうしたいと言うのなら、俺が止める理由など、どこにも。いや、権利すら……無い)
考えるほど、どこまでも正論だった。
何を口にしてもただ自分の我儘でしか無いことに気付き、思わず足を止める。
街の中心部、そこは大きな噴水を目印にして集まる恋人たちの姿も多くあった。
邸宅に帰るには、ここからが一番近い。自分の実家であるその建物は、ここからでもよく見える。そこへと視線を移そうとして、ふと視界の端に見慣れた黒い髪が映った。
水面を思わせるような深い蒼のドレスに身を包み、首元には防寒用の襟巻きが巻かれている。ドレスと同じ色の靴で爪先を包み、髪も綺麗に整えられている。朝からメイドが頑張ったのだろう。
見知らぬ男の腕に指先を添えて、エスコートのままに歩むノワールの口元には笑みもあった。人見知りする彼女には珍しく、その表情は柔らかい。
ふと、その男と視線がぶつかった。
まるでレオンハルトのことを知っているとでもいうかのように、真っ直ぐに向けられた眼差し。
(……笑った?)
男の口元には、勝ち誇ったような笑みがあった。
レオンの存在に気付いていないノワールの耳元に唇を寄せ、何かを囁く。直後に、ノワールの白い耳が、先端まで真っ赤に染まるのが見えた。頬も同じように赤く染まり、何度か口を小さく開け閉めしている。
言葉に困った時の、彼女の癖だ。
その唇が何かを紡ぐのを待たない内に、男の指が小さな顎を掬い上げる。
至近距離で見つめ合う、それはどう見ても愛を囁く恋人同士の姿だった。
視界が真っ黒になった気がして、咄嗟に腕を伸ばす。
気付けば乱暴にノワールの肩を抱いて、見知らぬ男から引き剥がしていた。そこまでどう距離を詰めたのかも覚えていない。
レオンよりも少し高い位置にある瞳を真っ直ぐに見据える。その眼差しは睨むといっても過言ではない鋭さだった。
「ヴァレンシュタイン家の許可を得て、彼女を連れ出しているのは分かっている。だが……」
勢いよく血が巡るような、落ち着かない思考で、冷静に言葉を選ぶ。
姉が許可した以上、これはヴァレンシュタインが許可した逢瀬だ。それを勝手に撤回することは、家の名に泥を塗ることになる。
けれど、細い肩を抱く腕は解けそうになかった。
「彼女は、今も俺の婚約者だ。誰一人、触れることは許されない」
そう言葉を残し、ノワールの腕を掴んで歩き出す。
レオンを追うことなく見送る視線は軽蔑か嘲笑か。直視する気にはなれず、振り返ることも出来ない。
人の目を避けるように歓楽街から離れる道を選んでいく。偶然にもその道は、ヴァレンシュタイン家へと向かう道に行き着いた。
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