第4話『ベッド』
(心配している……?)
先程のメイドの声が脳裏を過ぎる。
心細いのは事実だ。
今頃はいつもの家に帰り、真っ暗な部屋で軋むベッドに潜っているはずだったのだ。それが突然こんな場違いな場に置かれてしまった。
出来ることなら、掃除も満足にされていないあの部屋に逃げ帰ってしまいたかった。
(迷惑はかけられないって、言わなきゃ)
はくはくと、何度か薄く口を開けては閉める。言いたいことが上手く言葉にならなかった。
私は喋ってはいけない。それがあの家の暗黙の了解だった。
その声が人を呪うかもしれないから。その目が祟るかもしれないから。
だから口を閉ざし、長い前髪で目元を隠し、外に出る時はベールまで被った。
だが。
「ほら、おいでノワール」
「当主代理、それは神子様のベッドです」
ヴィクトリアはいつの間にか我が物顔でベッドに横になり、隣のスペースを手で叩いて呼んでいた。メイドが何度目かの嗜めるような声を漏らす。
(……迷惑、になっちゃダメ……なのに)
まるで声に導かれるように。
おずおずと歩き出し、そっとベッドに手をかける。体重をかけても軋んだりしない、柔らかなベッド。
両足も乗せて、ベッドの端に体を横たえようとするとしなやかな腕がノワールの細い腰を抱いて引き寄せた。
女性にしては少し背が高く、その分長い腕の中にすっぽりと収まってしまう。
ヴィクトリアは嬉しそうな声を上げた。
「ミア!見ろ、ノワールが自分から来たぞ!まるで子猫だ」
「……神子様……」
呆れているような、しかしもう咎めることも出来ない。そんな声を零す、ミアと呼ばれたメイド。
ノワールはといえば口から飛び出してしまいそうなほど、バクバクとうるさく鳴る心臓と戦っていた。
王城での夜会で婚約破棄を告げられた時でさえ、心臓はここまでうるさくなかった。
指先が凍るように冷たかっただけだ。
「よしよし、ノワール。いい子だ」
本当に猫をなだめるように、ヴィクトリアはノワールの髪を撫でる。
頬を打つ父の拳とは全く違う、優しい手付きだった。
全身を緊張に強張らせていたノワールだが、いつの間にか、知らないうちに眠ってしまっていた。
ヴィクトリアの腕を枕の代わりにして。
翌朝、メイドに声を掛けられ飛び起きた。
直後、すっかり我が物顔でベッドを使ってしまったことを自覚して、血の気が引く。
慌ててベッドから這い出した。
「ごめんなさい……!」
謝罪だけは慣れたように、すぐに口を突く。日頃ノワールに許された僅かな言葉だったのだから、当然だ。
しかしメイドは緩く首を振ると、優しく微笑んだ。
「おはようございます、ノワール様。朝のお支度をお手伝いしに参りました」
されるがまま、メイドが用意したお湯で顔を洗い、丁寧に髪を梳かしてもらう。
初めての化粧も施された。薄化粧なので顔立ちが大きく変わることはなかったが、あまり良いとは言えなかった顔色に朱が差すだけでいくらか健康そうに見える。
「神子様のお体に合うドレスをご用意できず、申し訳ありません。使用人の娘の物なのですが……」
そう断って着せられた服は、胸元をフリルで飾った上品なワンピースだ。
丁寧に梳かされ、編み込まれた黒い髪はもう不吉には見えない。
鏡越しに映る自分の姿が信じられず、少し動いてみるが、当然鏡の中の人物は同じ動きしかしなかった。
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