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第36話『隣室』


 レオンハルトは宿の一室で、部屋に備え付けてあった本棚から一冊を抜き取り、ソファに腰掛けて読んでいた。

 その指がページを捲る速度は、かなり早い。ページを捲ったかと思えば、前のページを読み直すようにまた戻る。

 明らかに、集中出来ていなかった。


 一体何度目になるか、視線を部屋の扉へと向ける。

 次に見上げた時計の針はもう真夜中を指している。恐らくノワールは眠っている頃だろう。


(悪夢を見てはいないだろうか……)


 本を読んでいるようで、頭の中では一体何度唱えたかも分からない独り言が繰り返される。


(ここしばらくはうなされている様子も無かった。もう一人でも大丈夫だろう)


 もやもや、と。胸の内が重くなるのを嫌でも自覚し、苛立ち混じりに瞼を伏せる。

 

「一人で眠れるのならそれに越したことはない。子供じゃないんだ」


 ついに一人呟く。自分に言い聞かせる以外の理由を持たない声だった。


(……もし彼女が今後ヴァレンシュタイン家の庇護を離れる時が来た時、男と共に寝ていたなどと噂されたら取り返しのつかないことになる)


 ノワールはまだ世間を知らない。

 本来なら尊き闇の神子として、世界中から崇められなくてはならない。もっと沢山の者に愛されるべき存在だ。

 そしていつか、自分が愛するものも見付けるだろう。


「――最低だな」


 在るべき形を想像しては曇る胸中に、我ながら軽蔑するしかない。

 最も尊ぶべき者の幸せすら願えないというのか。

 ゆっくりと立ち上がり、ほとんど読めていない本を元の場所へと戻す。

 


 数分の後、レオンハルトは隣室の扉の前に立っていた。

 ノックするはずの手は寸前で止まっている。


(……様子を、確認するだけだ)


 そう言い聞かせ、軽く戸を叩いた。返事は無い。


(眠れているのだろうか)


 安堵しかけるものの、額を汗に濡らしてうなされていた姿が脳裏を過ぎる。

 そっとドアノブに手を掛けて扉を開く。


 その部屋のベッドには、ノワールの姿があった。

 うつ伏せになり、枕に顔を押し付けた姿勢で固まっている。その肩が不規則に刻む呼吸は、寝ているもののそれではなかった。


「起きているのなら、返事をしてくれてもいいだろう」


 レオンは眉を下げるが、返答は無い。

 訝しみつつ部屋の中へと入る。普段ならすぐに顔を向けてくれるというのに、その顔は枕に埋まったままだ。


「……どうした?どこか痛むのか?」


 脇に立ち、顔を覗き込もうにも、ノワールは一向に頭を上げない。小さく首が横に振られるだけだ。

 こういう時、大抵ノワールは何かを隠している。やけに下ばかり向くと思っていたら、顔が真っ青で倒れる寸前だったなんてこともあった。


「ノワール、こっちを向いてくれ」

  

 今日に限ってはやけに意固地だ。

 普段は頼めば大抵従ってくれるというのに、頑として枕を手放そうとしない。

 細い肩を掴んで、強引に枕から引き剥がす。

 ようやくレオンを捉えた瞳は、涙に濡れていた。


 

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