第35話『個室』
馬車を降りてその足で仕立て屋へと向かう。
突然公爵家の紋章を掲げる馬車が止まり、店主は大慌てで出迎えていた。
ここは王都と違い、行き交う高位貴族の数は多くない。
街ゆく人々すら距離を空けて馬車を眺めている。
そんな視線は気に留めず、ヴィクトリアは店に入るなり告げた。
「闇の神子の装束を仕立ててもらいたい。報酬は十分に支払おう。何を置いても最優先で頼む」
それからは騒がしかった。
ノワールの体を隅々まで計測する横で、たくさんの布が目の前に並ぶ。どれも黒を基調にしたものだが、繊細なレースであったり、夜空の煌めきを閉じ込めたような光沢を放つものまで様々だ。
今までノワールが着ていた服は、古ぼけた喪服のようなものだった。一切の飾りの無い、形だけのドレス。袖口などはほつれてしまっていた。それが当たり前だと思っていた。だが。
「今までのどの神子にも劣らぬ衣装に仕上げるんだ」
ヴィクトリアはそれが当然だと言わんばかりに命じていた。
仕上がりは早くとも明日の夜だという。
一睡もせずに働かせてしまうのではないかという気まずさを覚え、ノワールは何度も店を振り返りながら、宿へと移動していた。
神殿があるだけあって、比較的大きな街だ。街を赤く染め上げていた夕暮れはもう過ぎて、今は夜。食事も終え、後は寝るのを待つばかり。
街を見下ろせる一室で、ノワールは窓を大きく開き風を浴びていた。
外からはまだ賑わう人の声が聞こえてくる。近くに酒場でもあるのだろうか、人々の声に混ざり上機嫌な歌まで聞こえてくる。たまに、食器が割れるような音も。
振り返っても、部屋には誰もいない。宿の客室は多くある。わざわざ誰かと相部屋にする必要は、どこにもなかった。
「……もともと……それが当たり前だから」
誰が聞いているわけでもないのに、ノワールは言い訳をするように一人呟く。
窓を閉め、部屋のベッドへと体を横たえた。
足の先がひどく冷たく感じる。
ふと、先日の夜を思い出す。
発光虫が舞う川辺で、ノワールに膝をついて見せたレオンハルトの姿を。
「分かってる。勘違いなんて……していない」
自分に刻み込むように、声に出さずにはいられなかった。
(闇の神子だから、優しくしてもらっているだけ……)
婚約の話だって、仮初のものだ。彼は大切な神子を守るために婚約者の座についただけのこと。
「……いずれ婚約を破棄していいとも言っていた」
つまりこの婚約は手段であり、彼にとって必要なものではなかったのだ。
「……素敵な人だもの。婚約の話が無くなったら、きっと……同じように素敵な人と」
自分で呟いておきながら、言葉に詰まる。
息が震えて、それ以上が言葉にならなかった。
自分はなんて厚かましいのだろうと、唇を噛む。歪む表情は、枕に押し付けて隠した。
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