第85話 返事
「返事」
家のベッドで寝転がっている時、一葉がふと呟いた。
「来た」
俺はその言葉を聞いて、「なに?」俺は言った。
「鏡花ちゃん、呼んできて」
「分かった」
俺は頷いた。
俺は、鏡花の部屋のドアをノックする。
トントン
トントン
叩くと、
「なに?」
一葉が出て来た。
「鏡花、話したいことがある」
鏡花は頷いた。
そして、俺たちは部屋の中に入る。
「それで、聞かせてくれ。メールの内容を」
一葉は頷いた。
「結構長文だから、覚悟してね」
俺と鏡花は互いに顔を見合わせ、頷き合った。
『素面の状況で、手紙を読みました。それを受けて今のわたしの気持ちを書きたいと思います。私は、今もどうして娘を手羽さなければならないのか、一緒にフランスについて来てくれないのかと、思っています。だけど、色々な事を考えれば、日本にいるのが一番だという事は分かります。あの時の私は酒におぼれていてまともな判断能力はなかったように思えます。しかし、あの人の事が好きだという気持ちに嘘偽りはありません。だから、折衷案として、私と一緒に夏休みの間だけでも、フランスに来てもらえませんか? 夏休みの間にフランスを旅行だと思って体験してくれませんか?
そうすれば、貴方もフランスの事好きになってくれるかもしれません。そして、私と一緒にフランスに住みたいと思うようだったら、そのままフランスに住んでくれたらいいです」
そう、読み上げた、一葉。しかしその顔は苦い物だった。
「一葉」
「お母さんとしては折衷案として出したつもりかもしれないけど、フランスには行きたくないの」
「その心は」
「連れ込まれたら最後、帰れない気がして」
「なるほど」
そう思うのも、当然だろうと思う。
彼女はたぶん、——あくまでもこれは俺の勝手な予想だが——一葉を連れ去ると最後、日本には戻してくれないかもしれない。
それも考えれば当然の事だ。航空チケットなんて、基本オンライン決済だ。
最悪日本に帰るための航空機を買わないで、スマホも俺の連絡先を消して、フランスに監禁するつもりなのかもしれない。
当然それは考えすぎな可能性もある。しかし、可能性が無い訳ではない。
「あたしは」鏡花が口を開く。「あたしは、一緒にフランスに行くのはどうかなって」
「一緒に」
「うん。まあ、たぶん無茶だと思うけどさ」
「可能なら、それが一番いいよな」
問題行動を起こさないか、見張ることが出来れば、それはいい結果につながってくる可能性が高くなる。
「お母さんに頼んだら、たぶん拒否されるよね」
鏡花は一転代わり、少し暗い表情を見せる。
「まあな」
そりゃそうだ。
「金の面さえ工面できれば名案だけどな」
いい解決策が思いつかない。解決には中々の時間がかかりそうだ。
「返事!!」
一葉は大きな声を出した。
「返事どうしよう」
「慌てなくてもいいと思う。向こうも返事するまでに時間かけてるわけだから」
そんなすぐに返事をし萎えればならない訳ではないと思う。
「でも」
「俺が思うに、今返事をするなら、行かない一択だと思う。一葉もそう思っているんだろ」
一葉はその言葉に黙ってただ頷いた。
だけど、それは上手くいくとは限らない。
「俺はこの件、難しいと思っている。解決策は中々見つからないと思っている。だけど、相手が折れない限り、一つでも多くの条件をこちらからも提示するのが筋だ」
「例えば」鏡花が口を開く。「期限までに日本に戻って来なかったらペナルティとか?」
「そうだな」
とはいえ、正式な契約書を交わさなきゃならないし、何よりも親という立場は非常に強い。
約束を保護されても裁判などで戦う口実にはならない可能性だってある。
一葉の母を説得できなければいけない。
「逃げようかな」
一葉はふと呟いた。
「お母さんから」
「それは……」
「飛行機に乗るって言って、当日逃げ出すの。いいと思わない?」
「……」
飛行機のチケット代金は多少勿体無い。しかし、そうすれば、逃げる事は出来る。
確かにそれは名案かもしれない。だけど、それにはやはり養育費を貰えなくなるというデメリットがある。
そんなことを考えると、あまり名案ではないのかもしれない。
だけど、お金なら俺が稼げる。無理にリスクを負う必要もない。
だけど、そこにも懸念点がある。
勿論、お金が無駄になってしまう。
それもあるし、他にも懸念点はある。
難しい状況だ。
「満足してないの?」
一葉が俺に問う。
「まあね」
俺は頷いた。
結局最善の選択肢なんて、中々見つからない。
万事解決なんていうオチはないだろう。
理子との件に関しても、まだ解決していない部分もある。
そこを何とかしなければならないという事は少なくとも分かっている。
「ごめん、気にしなくていい」
「憂慮点があるなら教えて欲しいな」
「いや……」
一番安全なのはそれに決まっている。
「父さんの約束が果たされないから」
そう、一葉や俺と一葉のお母さんが犬猿関係にならないようにしなければならないという物だ。
あくまでも強引に連れ去るなんてしてはいけない。
双方納得した形で、交渉成立させなければならないのだ。
「一葉、それをして、満足してもらえると思う?」
俺はそう言った。
それが一番の問題なのだ。
当日逃げるなんて選択肢を取ってしまえば、俺たちと一葉のお母さんとの間の溝は深まる一方だろう。
それだけは避けなければならない。
「だから、そこを何とかしなければならないと思う」
一葉は唇を尖らせる。
「それを成し遂げようと思ったら、大変だよね」
「ごめんな」
「ううん、確かにそれしたら約束果たされないよね」
せっかく決まりかけていた話を俺の言葉で再び困難へと陥らせたのだ。
だからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「それを受けて、俺の解決策を話したい」
「解決策」
「ああ」
俺も別に大した解決策を導いている訳ではない。
だけど、一葉がフランスに行かないと、凶行張りしても、解決に導けるかは、怪しい所なのだ。
「俺は一旦フランスには行くべきだと思う。だけど、そう簡単には上手くはいかないと思う。彼女は一葉をそのままフランスに滞在させるかもしれないから。だからこそ、もう少し条件を詰めなければならないと思う。夏休み明けには日本に帰ってくる、それを破ったら、どうなるかも添えて」
「さっきも似たようなこと言ってたよね」
「まあな」それくらいしか方法が思いつかないのは俺の頭がそこまで良くないからだろうか。
「先ほどと同じ話だ。だけど、そうやって粘り強く交渉しないといけないと思う。一葉の気持ちも添えて」
反論も、煽るような、怒らせるようなものでなかったなら、別に構わないのだ。
むしろ反論しないで、素直に承諾して。
その結果後で爆発して大げんか。それが非常に困るのだ。
「粘り強い交渉するしかないもんね」
「そうだな」
結局はそこに行きつく。それ以外の合理的な選択肢は限られてしまうのだ。
「で、これからどうしていくかだな」
俺が言うと、二人は頷いた。
「とりあえず、私送ってみる」
「そうだな」
それがいい。そうすれば。解決策が導き出せる。
そして、今度こそ文章を整理して送った。
そして、送り終えた後、一葉はベッドに横になった。
「疲れた」
一葉はそう、一言だけ呟いた。
「暫くこれが続くのかなあ」
憂鬱そうだ。
「そうだなあ」文章を考えるのに有した時間は40分だった。
たったの40分。だけど、濃密な40分だ。
何しろ、頭を使うのだ。
決してそれは楽な時間ではない。大変な時間なのだ。




