第70話 水族館
水族館に向かうに当たり、俺はその日の朝、非常にドキドキとしていた。
無理もないだろう。デートみたいなものなのだ。
デート自体は、映画を見に行った時にしている。
だけど、それにもかかわらず、俺は緊張している。
なぜだ。ただ、一葉と一緒に水族館に行くだけなのに。それだけなのに、どうして俺はこんなに緊張をしているのだろうか。
そして、集合場所で待った。今回は現地集合だ。
そして、暫し待っていると、おしゃれをしてきた一葉がやってきた。
髪の毛は軽く巻かれており、耳元には可愛らしいアクセサリーがつけられていた。また淡い水色のワンピースに身を包んでおり、彼女から桃のようなにおいを感じ取れた。
俺の顔はきっと、赤くなっているに違いなかった。
今日の一葉はいつもよりも大人でおしゃれだ。
それに対して俺は、普段着に近い格好で来てしまって若干の後悔を感じた。もう少し気合を入れて行くべきだった。
「お待たせ」
そして、輝かしい笑みを浮かべる。
「ああ」
俺は、戸惑いながらもそう告げた。
「なに?」
「いや、何でも」
俺はそう言ったが、なんとなく気恥ずかしい気分になる。
「じゃあ行こっか」
一葉は俺の手を掴んで建物の中へと入って行った。
★
「ねえ、覚えてる?」
一葉が言った。小さく俺の顔の方に目を向けて。
「昔一緒に水族館行ったよね」
「そうだな」
あれは覚えている。一葉が魚に対して目を輝かせていたのだ。
その一葉の姿は可愛らしかったことを今も覚えている。
「懐かしいよね」
「ああ」
「懐かしい……」
そう呟いた。
「ねえ、恭介君」
「なんだ?」
「また、こんな日々が続くといいよね」
「急にどうしたんだよ」
その一葉の言葉は意味深で、俺に何かを隠しているように思えた。
一葉は唇を噛んだ。言いにくそうにしている。
何かを俺に伝えるべきか悩んでいるという様子だ。
「何だよ」
俺がそう、促すと、
「私さ、また転校することになるかもしれない」
一葉は震えるような声色でそう告げた。
水族館前で言う言葉じゃない。俺は、顔を軽く下に俯く。
どうして今そう言う事を言うんだ。
それを言うために水族館に行ったのか。
そんなおしゃれをしてきたんだ。
「なんだよ、藪から棒に」
俺にはどうしてそういうのかが、分からなかった。
「ごめんね。気にしないで。こうなるのは分かってたから」
一葉は愛想笑いを浮かべる。一葉らしくない笑い方だ。
「行こ」
俺の手を掴む。そして、建物に入っていく。
俺に迷いを起こさせないでくれ。もう少し教えてくれ。
そして俺たちは、魚を見ていく。
そこからはシリアスな空気感は無しだ。俺たちは二人真っ直ぐに水槽を見ていく。
魚は本当に可愛らしかった。子魚たちは皆可愛らしく集団で泳いでいた。水槽の中にいる魚たちは皆可愛らしい瞳を持ちながら、ゆるがに泳いでいく。
だけど、それだけではなく、それこそ、サメのような恐ろしく、かっこいい物もいた。クラゲのような不思議な魚(?)もいた。
ほんの軽い時間でそれこそ、楽しいお出かけになっている。
だけど、その中で一葉は魚に対するコメントはするものの、先ほどのシリアスな空気はどこへやら、無かったかのように進んでいく。
俺の片隅に常にどういうことなのかというのがよぎっている。だけど、一葉にそのことを告げる訳にもいかない。
一葉が何でもないと、言った以上、何も考えずに魚に集中するべきなのだろうか。
そして、昼には近くのレストランに向かった。
そこで一葉は、
「さっきの話の続きなんだけど」
そう、口を開いた。
「ずっと気になってた。如何いう事なんだ?」
俺はそう訊いた。
「教えて欲しい。それが気になって魚には集中できなかった」
「ごめん」
「ごめんじゃない。一葉の問題は俺の問題でもある。教えて欲しいんだ。転校するってどういう事だ?」
「……少し長くなるけどいい?」
「もちろんだ」
困る道理なんてない。
「教えてくれ」
俺が再度言うと、一葉は静かに頷いて見せた。




