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『乗り込みますか?』
細身で長身の影が、隣の男に問いかける。
『いや…待とう。アイツにはいつもしてやられてばかり。今回も油断させる作戦なのかもしれない』
苦いことを思い出したのか、顔に渋面を作り、腕を組んだまま部屋を睨み付けている。
『…でもあのガキが嘘をついてるとは思えないんだけどなあ…』
幾分と崩した言葉で、ちらりと様子をうかがうも、一度待つと決めたらもう動きそうもない。
『…なら、俺ひとりでも行きます。ボスの命令だしね』
"ボス"
その響きにぴくりと反応するも、彼は岩のように動かない。
長身の影は、お手上げのポーズを決めて、ひらりと踵を返した。
少しだけ目を細め、歩き出す背中を見やる。
…うまくはいかない。
確信を持ってそう言えるのは、幾度も相対した経験からか。
自分よりも劣るアイツが…成功などするはずもないのだ。
あの跳ねっ返りの、冷酷なクイーンには勝てる見込みなどありはしない。
どうせ俺たちは捨て駒。闇から闇へ、手を汚すだけの実働部隊。
それでも命令は絶対。とうに忘れたはずの感情が出てくるのは、きっと俺も本当はわかっているのだ。
勝ち目のない戦いは避けるべきだ、と。
もう遠く見えなくなった背中に、やりきれんな、と呟いた。
どれくらいの時間がたったのだろう?
耳をふさぎ、目を閉じたまま自分と対峙していたら、時間の感覚を忘れてしまった。
腕時計をちらりと見ると、まだ3分ほどしか経っていなかった。
相変わらずリコは、PCの画面に向かったまま。こちらになど目もくれずに。
これが彼女の生きている世界。
一つ何かを間違えるだけで、すぐにゲームオーバー。もちろんコンティニューなどない。ないんだ。
覚悟が足りないと言われればそれまで。だけど、いきなりこんなことになるなんて、誰も予測なんてできないだろ?
どんなことも受け止めるつもりだった。でも、それはあくまでも向き合っていればのこと。
結局、俺の誓いなど何の意味もなかったのだろう。彼女にも届かなかったのだろう。
あの時のあれも全て、嘘だったのかもしれない。
他人の心なんて見えない。わからないから、怖い。
心の闇がどんどんと幅を広げてゆく。
もう…無理なのかもな。
諦めが胸を支配しようとした瞬間。
『…ごめんね…』
小さく彼女は言ったんだ。