-85-
朦朧としているリコを早く落ち着かせたいから、財布から札を抜き取り乱暴に手を引いて降りた。
エレベーターが降りてくる時間さえ煩わしいほど、なぜか焦っていたんだ。
身を焦がすほどの焦燥感の正体は、きっと寂しさのせいだろう。
あたりをぐるりと見渡す。いつもと変わらない景色が広がる。
なのに…拭えない違和感は増していくばかり。リコの発言の意味がわからないからなのか、それとも未知なる不安のせいなのかは…自分でさえ見えない。
但し、あながちそのカンも間違いではないことを知らされる。
『…素人にしてはいいカンしてやがる』
『さすがアイツが選んだ、だけはありますね』
立ち並ぶマンションが作り上げるわずかばかりの死角。そこに並ぶ二つの影。
一人は屈強な、もう一人は細身のシルエットが、外壁に映り込む。
開いたエレベーターに飛び乗って、すぐに『閉』のボタンを押す。
ぺたりと床に座り込んだ彼女の手は離さないけれど、不安は募るばかりで、消せやしなかった。
…ひどい汗だ。ぬるりと手にまとわりつく嫌な感じが、いっそう不快感を強調する。
音もなく開くエレベーター。迷うことなく、一直線にドアの前に向かう。鍵を差し込んで捻る。
毎日繰り返している当たり前の行動…のはずが結果は違っていた。
開けたはずの扉が開かない。と、いうことは…鍵が開いていたということか?
そんなはずはない。毎日の習慣。鍵をかけ忘れるなんてあるはずがない。
一気に緊張感が高まる。
だけど…手を離す方が不安で。こんな時まで、感情に左右される自分が少し情けなくなる。
もう一度鍵を捻り、ロックをはずす。
「…リコ、俺から離れないで」
どうせ聞こえていないだろうが、一声かけて気持ちを奮い立たせた。
ゆっくりとドアノブに手をかける。
悪い想像が脳裏を横切る。
もう一度手を握りしめ、静かにドアを開いた。
玄関は変わりのないように見える。靴の位置、数、すべて出ていったそのままだと思われる。
なら…なぜ鍵は?
慎重に歩を進めていくと、荒らされた室内が目に入る。
内側に散らばるガラスの破片。床に散乱するCDの群れ。吹き込む風に、カーテンがただ揺れていた。