第十章 その2
さて、前回。
校内で何故か酔っている女子生徒を助けた彩。
彼女は何故酔っていたのか。そもそも、彼女の正体は何者なのか……。
【第十章 その2】
その女子生徒、八雲編美は生物室に入って僕が扉を閉めるとすぐ、ヒトの姿の擬態を解いた。
どうやらかなり限界だったらしい。
で、その擬態を解いた後の姿だが、これは僕の予想通りの姿だった。
ソキウスのアラクネ属。それが八雲さんの正体ということのようだ。
アラクネ属というのは、ギリシア神話で女神の怒りを買って蜘蛛にされた伝説の女性から名前を取られた存在であり、腰から下が蜘蛛のようになっていることが特徴の種族である
また、この種族は珈琲などを飲むと酔うという特徴も持っている。
普通、ソキウスはヒトと同じような食事を取ることができ、例えば腰から下が馬になっているケンタウロス属であっても肉を食べたりできるものなのだが。
アラクネ属は何故か、カフェインの強いものを飲むと、蜘蛛にそれらを飲ませたときと同様に、酔ったような状態になってしまうのだ。
で、このことは当然、アラクネ属本人であれば知っているはずなのだが。何でまた学校で珈琲なんて飲んだのだろうか?
気になった僕は、
「八雲さんは何で珈琲なんて飲んだんだい?」
と訊ねる。
「だって、奢ってもらって飲まないもの悪いと思ったから。缶珈琲なら大丈夫かとも思ったし……」
返答する八雲さん。
どうやら、誰かに缶コーヒーを奢ってもらい、仕方がなくそれを飲んだところ酔ったということのようだ。
で、そんな事情を話しながら、八雲さんは生物室内を見回し。
そして部屋に置いてあった、空の段ボール箱を見つけて、それを頭に被った。
「何で段ボール被るの?」
思わず突っ込む僕に、
「だって、蜘蛛のソキウスなんて、いくらソキウスが好きな人にでも怖がられると思って……」
と返す八雲さん。
いや、頭に被っても蜘蛛の部分は普通に見えているんだけど。
と指摘するべきか迷ったが、そんなことをして今度は棚の裏とかに入ろうとされたら困るし、
酔っていて判断力が無くなっている結果あんなことをしているとすれば注意しても無意味だと思ったので僕は、
「いや、可愛いと思うよ。蜘蛛」
と答えることにした。
「本当?」
怯えているかのような声で訊ね返してくる八雲さん。
「ほら、ジョロウグモとか実はかなり臆病だし。ハエトリグモはなんか仕草が可愛いし」
僕は可愛い蜘蛛の例を挙げてみる。すると八雲さんは、
「そうなんだよね。蜘蛛って本当は結構可愛いんだよね」
と、被っている段ボールから少し顔を出して話に乗ってきた。
そういえば、河勝さんがデートのとき、美術館で友人が蜘蛛好きと言っていたな。
アラクネ属だからといって必ず蜘蛛が好きというわけではないのだろうが、どうやら八雲さんは蜘蛛好きで間違いないようだ。
なんて、僕が確信していると、八雲さんは、
「でも、一般的にはやっぱり蜘蛛は人気がないというか、嫌われているというか……」
とネガティブなことを言い出した。
そうか、じゃあ一般的に好かれている例を出そう。そう持って僕は、
「蜘蛛をモチーフにした多脚戦車っていうのは結構人気があるよね」
と話を振る。それを聞いて八雲さんは、
「そうだよね。蜘蛛をモデルにしたものでも人気のあるのはあるよね」
とそれに食いつく。もう一押しかなあ、と思った僕は更に、
「アメコミの蜘蛛をモチーフにしたヒーローなんて凄く有名で人気も高いしね」
と言ってみる。すると、八雲さんは、段ボールを脱ぎ捨て、ポーズを取りながら、
「地獄からの使者、八雲さん!」
と、そのヒーローのする名乗りをあげた。
ただしそれはアメコミではなく、和製の方なのだが。
というか、ポーズまで取って名乗りをするとか、八雲さん、そのヒーローのことがよほど気に入っているのだろうか?
いや、単に酔っているから妙なテンションになっているだけか。
……気にしないことにしよう。
「だから、まあ別に蜘蛛だからって嫌うとかそういうのは、少なくとも僕にはないね」
僕はそう言って八雲さんの方を見る。すると八雲さんは、
「でも、じゃあ今の私はどうなの?」
と訊ねてきた。どうと言われると困るのだが、とりあえず僕は、
「可愛いんじゃないかな?」
と答える。この回答は以前、河勝さんに正体を明かしてしまったソキウスのことを訪ねられた際と同じで、ちょっとドジなところが可愛いという意味である。
ただ、前回と違うのは今回は、相手が普通の意味で可愛い女子と言われていると誤解することまで想定して言っているところだ。
今までの僕なら女子に対して可愛いとか言うのは抵抗があったのだが、明石さんの影響か、ずいぶん慣れてしまったため普通に言っているのだが。まあ、それはともかく。
可愛いと言われて八雲さんは、
「あ、ありがとうございます」
と言って頭を下げてきた。が、すぐにちょっと困った顔をして、
「でも。あんまり他の女子に可愛いとか言わない方が良いと思います」
と付け加えた。
「他の女子?」
「だって、隣ちゃんの他に明石さんとも仲良くしているって聞いてますし。それに加えて第三の女子が入ってきたら困るというか……」
ああなるほどね。そういうことか。しかし。
「第三の女子が入ってきたらやっぱり困るの? 八雲さんも」
確かに河勝さんと八雲さんは友人だから、その友人の関係でややこしい話になったらあまりいい気分ではないかもしれないので困るというのは分かるのだが、一応気になったので僕は聞いてみる。
すると八雲さんは、
「隣ちゃん、最初はあなたに自分の正体を知られているんじゃないかって思って、探るためにあれこれやっていたんですけど……お茶をした後から普通に藤若君のこと気にし始めたみたいで……あの、デートとかかなり気合いを入れて計画していたし……」
と事情を説明し始めた。
酔っているせいか、八雲さんは河勝さんの秘密を僕が知っている前提の話をしているのだが、まあ、指摘はしまい。
しかし、あのデートはかなり気合いを入れて計画していたのか。
確かに、動物園や美術館に行ったり、弁当は手作りだったりするっていうのは今考えると。
高校生のする初めてのデートとしてはなんかベタというかあまりにも〈デートらしいデート〉という気もするが、それはそういう事情があったからだと考えると納得がいく。
「そういうわけで、隣ちゃんのこと、よろしくお願いします」
僕が河勝さんとのデートについて思い出していると、八雲さんはそう言ってまた頭を下げてきた。
「よろしくって言われてもねえ……」
「あの……明石さんには明石さんで、何かの事情があるのは分かるんです。でも、隣ちゃん、今まで正体を隠していたこともあって、その、恋愛とかしたことが無くて」
「なるほどね」
そうか。河勝さんにとって今回のがもしかしたら初恋かもしれないのか。そうなるとまた、話は複雑になってくるな。
八雲さんの言うとおり、明石さんの方にも事情があるわけで、さて、それらの事情を考慮した上でどちらと付き合えばいいのか……。
「分かった。そのこともちゃんと考慮した上で選ぶことにするよ」
僕はとりあえず八雲さんにそう言う。そしてそれから生物室の香の使っている棚を開けて、そこからハイビスカスティーを取り出し、ポットを使ってそれを淹れる。
本来、香のティーセットを僕は勝手に使ったりはしないのだが、今回は事情が事情なので香も許してくれるだろう。
「はい、これ」
「なんですか?」
「ハイビスカスティー、酔い覚ましになるから。カフェインも入ってしないし」
まあ、ハイビスカスティーが珈琲酔いに効果があるのか知らないが。
気持ちの問題であると思いながら、僕は八雲さんにハイビスカスティーの入ったカップを渡す。八雲さんは一口飲んで、
「これ……なんか酸っぱいです」
と感想を述べた。
「まあ、クエン酸が豊富だからね。ビタミンCも入っていて美容にもいいし」
僕がそう説明すると、八雲さんは、
「美容にいいんだ……」
と呟き、僕が蜂蜜もあるから、それを入れたらどうかと説明する前に、カップの中身を一気に飲んだ。
「ふう、ごちそうさまでした」
カップを渡しながらそう口にする八雲さん。
「あ、どうも」
僕はそれを受け取り、流しでポットなどと一緒に洗う。そして食器を布巾で拭いて棚にしまい終え、ふと時計を見るともう下校時刻になりかけていた。
「八雲さん。そろそろ時間なんだけど、大丈夫? 帰れる?」
「ええと……はい、お茶のおかげで大丈夫だと思います」
そう言いながら、八雲さんはヒトの姿に擬態し直し、そして帰宅の準備をしている僕の方に歩いてきた。
僕はそんな八雲さんの足取りがややふらついていることに気がついたので、
「心配だから送っていこうか?」
と訊ねる。
「大丈夫です。私の家、ここから歩いて十分もかからないし」
そう説明する八雲さん。
どうやら八雲さんの自宅はこの学校からかなり近いところにあるらしい。ならば安心だと思った僕だが、それでも多少心配なので、
「じゃあ、校門までは一緒に行こう」
と告げる。すると、八雲さんは、
「うん。そうさせてもらいます」
と返事をした。
こうして僕たちは生物室を後にし、今日は帰宅することにしたのだった。
☆ ☆ ☆
校門を出て八雲さんと別れた後、僕はこれからどうするべきか考えた。
今日の部室でのやりとりで、うっかり八雲さんが河勝さんの正体について喋ってしまい、僕の方もそれに驚いたりせず対応してしまった以上。
河勝さんは近いうちに自分の正体が僕に知られていたということを確信するだろう。
そうなると、僕の方も河勝さんにいつまでも彼女の正体を知っていることを黙ったままでいるわけにもいかなくなる。
これはまた、ややこしい問題が増えてしまったが……まあ、あれこれ策を練っても仕方がない。
河勝さんが何か言ってきたら、そのとき考えてなんとかしよう。
僕はそう決めて、家へと向かって歩き始めたのだった。
こうして、彩が河勝さんの正体を知っている事は近々、河勝さん本人に知られるのでは?
となったのですが……さて、どうなるのでしょうか?




