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隣のダンジョン  作者: 軌条
第三部 超深層攻略
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夢魂戦・反転

95、夢魂戦・反転





 きっと、黒柳が今の綾の姿を見たら激怒するだろう。黒柳は綾のことを高く買っていた。この少女の安全にかなりの関心があり、彼女を守れなかったとなれば楓が相手であっても容赦しない。


 とはいえ、綾以外の要素に目を向けるだけの余裕が黒柳にあったなら、そうそう怒っているわけにはいかないことも理解するだろう。楓と神が率いる部隊は敗走中であり、後には無数の夢魂――無敵の抗体が迫っている。たった一体倒すのに多大な犠牲を払ったというのに、いまや数百体が獲物を狙って光線を吐き出している。


「瀬山さん、しっかり! わたしがついてるからね!」


 綾を運んでいるのは赤地嵐子だったが、傍にいてふとすると綾の盾になろうとするのは相沢琴歌だった。琴歌がどうしてそこまで綾にこだわるのか、楓には分からなかったが、絆というやつだろうか。その心意気に感心するわけではないが、綾の世話を素直に彼女に任せることにした。自らも生命の危機に瀕しているというのに、他人の安否に心を砕くというのは、誰にでもできることではない。琴歌にとってその献身が仇とならなければいいが。


「早く上層に逃げ込め。ここは私が牽制する」


 楓が立ち止まり、隊員たちを先に行かせた。せっかく潜ってきたダンジョンを、今は駆け上っている。超深層の最奥からは遠ざかるばかりである。しかし現状、あの抗体の大群を突破する方法がまるで思いつかなかった。楓の扱うカラーズを全ての戦士が使いこなせたなら、互角の撃ち合いに持ち込めたかもしれない。しかし仮にそんな巨大な戦力があったとしても、相手はやられるたびに増殖する。まともな対抗手段などなかった。


「次は220階……。このまま逃げ続けたらどうなる」


 神が他の者を先に行かせながら言う。楓はかぶりを振った。


「あの夢魂とかいう抗体が諦めるまでは逃げ続けることになる」

「地上まで追ってきたら? あんな化け物を地上に解き放つのか」

「その前に連中の霊力が尽きるのではないか? さすがに無尽蔵ではないだろう」


 楓はこれが希望的観測に過ぎないことを知っていた。神の懸念が的中する可能性は十二分にある。だが今はそんな先のことを考えていられなかった。


 やはり頼みの綱は異邦人。これしかなかった。楓は待っていた。綾が目覚めるのを。


「まさかこのままくたばることはないな、瀬山綾……。怖気付いて逃げ出すなんてことにならなければ、きっとこの状況を打開する鍵となるだろう」


 それを聞いた琴歌が睨みつけてきた。


「こんな重傷を負った瀬山さんに、まだ戦わせるつもり!?」

「いや。強制するわけではない。しかしこれは私の勘だが、目覚めた彼女はきっと自らを犠牲にしてでも戦うことを選択するだろう」

「そんなこと……!」

「ないと言い切れるか? そして私は寛大な人間だ、そんな瀬山綾の選択を最大限尊重する用意がある」

「詭弁はそれくらいにして! これまで瀬山さんのことを世話してくれたことに感謝してるけど、もしそれが瀬山さんの命を利用する為だったとしたら、わたしはあなたを……!」


 琴歌はまだ何か言いたげだったが、敵が迫っていた。飛び交う光線に琴歌は慌てて退散した。


「さっさと行け。ここは私が時間を稼ぐ」


 琴歌と嵐子は頷いてそのまま上階へ行こうとしたが、そのとき綾が目を覚ました。そして呻き声を漏らす。


「瀬山さん!」


 琴歌が綾の頬に触れた。綾は脂汗をかき、疲弊しているようだったが、吹き飛んだ左腕のほうを反射的に見た。


 そして驚きの表情に変わる。


「……あれ、私、確か左腕を……」

「そうだよ。あの光線に吹き飛ばされちゃった。でも、一時凌ぎで傷口を埋めてるの」

「傷口を埋めている……? でも、これ」


 綾は物言いたげな顔で楓を見た。楓は苛立っていた。


「さっさと行けと言っているだろう。それとも巻き添えを喰らいたいか」


 楓は言いながら霓を変形、抗体の群れに銃弾の雨を注ぎ込んだ。黒柳がいれば迅速な霊力充填によって火力が倍加し体勢も安定するのだが。そんなことを思いながら攻勢に出たがほとんど抗体の進軍を止めることができなかった。間もなく反撃に遭い、楓は他の三名を連れて上階に退散した。


「楓さん、私の左腕……」


 綾がか細い声で訴える。楓は頷いた。


「ああ、即席の義手だ。霓の予備があったので、それを使った。何か文句はあるか?」


 綾の左腕は七色に輝いている。どのような形態にも変化できる万能兵器霓を、綾の体格に合うような腕に成型し、傷口を塞ぐついでに装着させた。これにより夥しい出血から免れ、死の危険は去った。


 止血するだけなら方法は幾つかあった。ギフトの中には傷口を覆い、血を固めるものがある。だが肩から先を失うような致命的な傷を瞬間的に対処するものはこの世に存在しなかった。それほどの大怪我なら帰還石を使って肉体を復元するのが手っ取り早い。あるいは代替心臓の活用を。そんな認識の世界において、傷を回復させるギフトの威力が限定的なのは仕方のないことだった。


 超深層での活動を前提に動いていた加貫総合研究所内部においては、こうした大怪我に対応したギフトの開発も進められていたが、実用化には至っていなかった。武器の開発と違って、ギフトには汎用性が求められる。尖った性能の武器を次々試験製作していけばいい兵器開発とは違い、新たなギフトがダンジョンで使用されるようになるには、まだまだ時間がかかった。


 だから楓が綾を救うのに取れる方法は、現時点で一つしかなかった。万能兵器であるカラーズで、綾の傷口を塞ぐ。これしかない。


 霓を変形させて義手を現場製作し、綾の傷口に適合するようにくっつける。これは至難の業だった。しかも後ろからは無数の夢魂が追いかけてくる。逃げながら綾の左腕に霓を装着する必要がある。また、霓は極めて扱いの難しい武器であり、綾が製作された霓の義手を使いこなすことができなければ、傷口が開いて再び死の淵に立たされることになるだろう。


「霓の予備を持ってきていて良かった。元々これは私一人の専用武器ではない。元々汎用武器として開発されたものだが、使いこなすのに高いスペックを要求するので、私以外に使おうと思う人間がいなかっただけのこと」


 楓は不安そうにしている綾の表情を窺い、諭すように、


「貴様にくれてやったのは予備のほうだ。私は私の霓を使っている。戦闘に支障はないから安心しろ」


 綾は頷いた。そして嵐子の腕から逃れて自力で立ち上がる。


「大丈夫なの、綾」


 嵐子の問いに、綾は頷いた。


「撤退しているんですね」

「何が言いたい。不甲斐ないリーダーだと揶揄するつもりか」

「いえ。私ならあの群れを突破できるかもしれないと思って」


 綾の言葉は、楓にとっては意外でも何でもなかった。この少女はこういうところがある。相沢琴歌が隔離ダンジョンに取り残されたときも、利他的精神という言葉では説明できないほどその救出にこだわった。


 綾は自らが最初に潜ったダンジョンで、大勢の冒険者が死んだことにショックを受けているという話だった。ダンジョンの異変は自分が異邦人であることに起因していると知ってしまい、責任を感じているのだ。償いをするのに超深層での活躍はうってつけだと考えているのだろう。


「馬鹿言わないで、瀬山さん!」


 琴歌が必死に諭そうとしている。だが楓は綾の気持ちを利用するつもりだった。それしか状況を打開する方法がないことを知っていた。


「相沢、瀬山の気持ちを理解したらどうだ。行かせてやれ」

「あなた、止血するだけじゃなくて、わざわざこの霓とかいう義手を装着させたのも、瀬山さんに単独で行かせる為だったの?」


 琴歌の鋭い指摘に楓は肩を竦めるしかない。


「いや。そんなわけがない。そもそも霓を瀬山が扱えるかどうかも未知数なのに、そんな賭けをするはずがない」

「嘘が下手ね、あなた」


 琴歌の言葉に楓は沈黙する。綾はまだ体調が回復していないようで、苦しげに言葉を発した。


「琴歌さん、ありがとうございます。でも、あの抗体の群れを討伐することができないなら、彼らにとって不可視の存在である私が、奥に進むしかないと思うんです」

「瀬山さん……。あれだけ出血して、まだ足もふらついているのに……。顔色も悪いし、呂律も回ってないし……、まともに戦えるわけないじゃない!」

「戦わなくても、先には行けるはずです」


 綾は力説した。


「だからこそ、異邦人には利用価値がある。そうでしょう? 私は別に死にに行くわけじゃないんです。できることがあるのにやらない。しかもやらない理由が『危ないから』。こんなの、地上まで避難してから後悔するに決まってるじゃないですか」


 楓は思わず笑んでしまった。後悔するくらいならやってしまおう、というのは単純だが強力な動機だ。幼稚だと思う一方、この少女の行動には信頼が持てる、と感じた。


「瀬山綾、我々が近づけば連中は一斉に攻撃してくるだろう。したがって直接的なサポートはできない。それでも抗体の群れを突っ切り、超深層の最奥を目指してくれるか?」

「はい」


 琴歌はまだ何か言っていた。だが嵐子がそんな彼女を制した。


「琴歌とやら。あんた綾の保護者を気取ってるみたいだけどね、もう超深層に降り立った時点で、貴重な一戦力として勘定されてるわけ。過保護は良くないわよ」


 嵐子はそう言って琴歌を無理矢理引き摺っていってしまった。楓は綾に向き直った。


「ありったけのギフトを受け取ったら、早速単独であの群れに突っ込んでもらう。覚悟はできているんだな?」

「はい。やってみせます」


 綾は頷いたが、少し驚いた顔になった。間もなく彼女が驚いた理由が分かった。如月が夏八木を連れて近くまできていた。


「瀬山さん、あの群れに突っ込むつもりなのかい」


 如月が言う。楓は嫌な予感がした。綾も同様のようで、訝しげに頷く。


「はい。あの、如月さん……?」

「こんな可愛い少女が行くのなら、大人の私が行かないわけにはいかないな」


 如月の申し出に、楓は目を剥いた。


「冗談のおつもりですか、如月さん」

「佐久間さんは私がこんな冗談を言うと思うのかい? どうせここまで来たんだ、もうちょっと奥まで行ったところで、大した違いはないよ」

「大した違いがあります」


 楓はにべもなく言った。如月はハハハと笑った。


「専門家のきみからすれば違いがあるのかもしれないが、私のような研究職にとっては、ダンジョンに潜った時点で最大の山は越えたようなものなんだ。せめて快く送ってくれないものかな」


 楓は苦々しく思った。綾の蛮勇が如月に伝染してしまったのか。日本に存在する二人の異邦人を危険なダンジョンの奥地に送り込む。恐らく地上の上司たちにお伺いを立てれば、そんなことを許可するはずがない。そもそも如月がダンジョンに潜ったこと自体、彼らにとってはとんでもない事態だろう。


 ただ、もちろん、楓は上からの命令をそのまま実行するだけの戦闘機械というわけではなかった。現場の判断が常に正しいという信条がある。その考えは自分が最も状況を的確に判断できるという自負が支えている。


「……いいでしょう、如月さん。ただ、言っておきます。あなたが死ぬ確率は、瀬山が死ぬ確率の、数十倍はあります」

「承知の上だ。許可してくれてありがとう。きみはつくづく、責任を背負ってくれる強い女性だ。頭が上がらないよ」


 楓はそれに対して返事をしなかった。強い女性だって? 非情なだけだ。少なくとも自分ではそう思っている。余計な感情をかなぐり捨てて、すべきことをしている。


 その結果が、二人の異邦人に超深層の攻略を託すという決定を下すこと。そう考えると皮肉に感じるが、所詮、役者が違ったということ。


 楓は自分がやれることのほとんどをやり尽くしたと悟った。あとはこの二人に託すしかない。使う機会がないと思われた霓の予備をわざわざ携帯して持っていたのも、あるいは、こうなることを予期していたからなのかもしれない。自分の分身である霓に仮託して超深層攻略の悲願を成就させようとしているのか。


「……健闘を祈る」


 楓は綾と如月に声をかけた。二人は決然と頷いた。








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