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隣のダンジョン  作者: 軌条
第三部 超深層攻略
98/111

夢魂戦・海嘯

96、夢魂戦・海嘯




 楓率いる部隊は210階付近まで後退しつつあった。撤退の最中にも何人かの部下がやられた。抗体は無軌道に迫ってくるわけではなく、味方同士の死角をカバーするように隊列を組んで追ってきた。それに従い、個体としての機動性はある程度損なわれていたが、連中の射程に入ったが最後、圧倒的な火力の前に為す術もなく蹴散らされた。


 楓は己の無力が腹立たしかった。綾と如月は既に抗体の群れに突っ込み、無事その死の隊列を潜り抜けている。密集する抗体の隙間を縫うように進む二人を見ていると、自分もそれを追っていけるのではないかという錯覚に陥るが、楓がいざ抗体に近付くと怒涛の攻撃が迫ってきた。


 しばらくすると綾から通信が入った。楓が出ようとしたが、通信機をひったくって応答したのは相沢琴歌だった。


「もしもし、瀬山さん、無事なの!?」

『あ、琴歌さん……。はい、無事です。これから如月さんと一緒に行けるところまで行ってみます』

「無茶しないでね。危なくなったらちゃんと逃げるのよ?」

『心配してくださってありがとうございます。如月さんも一緒なので、無茶はしませんよ』


 綾一人なら無謀な真似に出ても不思議ではないが、如月が一緒なら自重するかもしれない。あるいは如月がいるからこそ持ち前の利他的精神を発揮して自分を犠牲にするかもしれない。できれば前者であって欲しいが。


 通信はすぐに切れた。どうも抗体が含有する巨大な霊力の塊に通信状況が不安定になっているようだった。それならそれで構わない。どうせこちらから指示できることは少ない。


「無事に瀬山と如月さんは抗体の群れを突破した。……となれば、後はこちらの問題か」


 このまま撤退を続けて、抗体が追撃を諦めてくれれば話は簡単である。しかし地上まで追い続けてきたら? 地上戦など開始したらどれだけの被害が出るか分かったものではない。どこかで食い止める必要がある。


 夢魂はまさに最強の抗体と言って差し支えなかった。攻撃、防御、機動、全てにおいて人類の戦士を凌駕している。弱点らしい弱点が見当たらない。おまけに倒しても分裂増殖を繰り返し、かなりしぶとい。


 だが、突破口がないわけではなかった。倒した後の肉片を目に見えないほど粉々に破壊すれば、さすがに再生することはないようだった。それは楓が既に試している。


 となれば、あの抗体の軍勢に対抗する手段は一つしかない。単純に火力で圧倒する。それができなければ地上まで押し切られてしまうだろう。


 部下の中で何人かが逃げ遅れ始めた。楓がしんがりを務めていたが、楓が気に掛けてやらないと最後尾まで脱落しそうになる。抗体からの攻撃から逃げ回るだけでも疲弊してしまうほど厳しい状況だった。楓は牽制の為にその場に立ち止まったが、遅れ始めていた部下たちもその場に踏みとどまった。


「何をしている。さっさと逃げろ」

「佐久間部長……。こんな形で足手纏いになるなんて御免です。ここらで華々しく散らせてください」


 馬鹿なことを。楓は心底苛立った。


「貴様らの育成、及び装備品の支給にどれだけのカネが投入されているのか、理解しているのか。貴様らは貴重な戦力だ。組織に忠誠を誓うというのなら何が何でも逃げ延びてみせろ」


 楓の言葉に部下たちは薄く笑みを浮かべた。


「組織に忠誠ですって? とんでもない。俺たちはプライドが傷つくのが嫌なだけですよ」


 本当に馬鹿な奴らだ。楓は舌打ちした。しかしこういう輩を好んで集めてきたのは、他ならない、楓だった。


「仕方ない。好きなように生き、好きなように死ね。貴様らの最期を見届けてやる」


 楓は霓を発動して迫り来る抗体に備えた。部下たちは黙って頭を下げて謝意を示した。


 間もなく抗体の群れから無数の光線が飛んできた。楓はかろうじてその攻撃を弾き飛ばしたが、部下たちにとっては死の宣告に近しいものだった。攻勢が数十秒も続くと、その部下たちは既に躰の全てが吹き飛び蒸発していた。


「どうせ死ぬなら敵を数秒でも足止めして死ね。本当に好き勝手に逝くとは」


 楓は呟いた。楓にも余裕は全くなかった。仲間が死ぬのをただ見ていることしかできないというのは精神的にかなり負担になった。いつもなら楓は自分の安全を確保した上で仲間の動向を探るだけの余裕があった。しかし今は楓自身が必死に戦わなければ死の危険がある。


「貴様らは気ままに生きることができて良いな。羨むわけではないが、私もたまには気ままに生きてみたくなることがある」


 たとえば今。逃げながら戦うなんて性に合わない。こんなことは演習でもやったことがない。正面から戦ってぎりぎりまで粘り自分の限界を見極めたい。自分とこの霓の力がどれだけ通用するのか。


「死にたがりの顔してる」


 声が降ってきた。


 楓ははっとした。そして振り返る。黒柳が上階から下りてきたところだった。よっ、と手を上げる。


「楓ちゃん、部下はさっさと退却させて、自分はまだこんなところにいるわけ? いったいどういうつもり」

「そういう貴様こそ、どうしてここにいる。仲間はどうした」

「上で待たせてる」


 黒柳は暢気に言う。


「待たせている? どういうつもりだ」

「どういうつもりかって? それはこっちの台詞かなーって」


 黒柳は楓に厳しい眼差しを浴びせた。


「仮にも精鋭部隊を率いる大将なんでしょ。大学時代とは違う。自分の勝手で行動できるような立場じゃなくなったんだからさ」


 大学時代。楓は黒柳と共にダンジョン探索を続けていた。楓は攻略組での活動もあったが、それとは別に黒柳と共に研鑽を積んでいた時期があった。


 けして輝かしい期間ではなかった。思うようにならないことが多く、悔しい経験も無数にあった。それでも、あのときはやりたいことに挑んでいるという感覚があった。あの充実した感覚を忘れて久しい。楓は黒柳と話をしていて、その喪失感をまざまざと思い出した。


「……分かった。私もすぐに行く。だが、その前に一発やらせてくれ」

「あははは、一発だけでいいわけ?」


 黒柳は楓の言葉を半ば予期していたようだった。楓は思わず苦笑する。


「なるほど、その為に貴様一人で降りてきたわけか、ブラックモア」

「あはは、昔の綽名で呼んでくれてありがと」


 楓は霓を構えた。抗体の群れが迫ってくる。楓は恐れることなく前進した。抗体たちが一斉に光線を放射してくる。それまで苦労して弾き飛ばしていたその攻撃を軽くいなす。抗体たちはその変化に驚いたようだった。


「ちょっと楓ちゃん! 無茶はしないでよ! こちとらサポートしようにも限界ってもんがあるのよ!」

「泣き言はよせ。私が今ここでやられたら貴様も死ぬぞ。死ぬ気でやれ」

「あああー、もうっ!」


 黒柳の霊力充填によって楓の霓の出力が倍加する。攻撃、防御、機動、あらゆる霊力コントロールが円滑に進み、変幻自在の霓の性能がますます凶悪となる。


「昔からそうだった。貴様のサポートに優るものはない。だからこそ貴様の人間性に目を瞑ってでも重用してきた」

「人間性に問題があるのはお互いさまでしょうに!」


 楓は光線の渦の中に突っ込み、霓を銃に変化、先頭に立っていた抗体にありったけの弾を撃ち込んだ。これまでは抗体に弾が有効打を与えることはなかったが、威力が倍増した霓の一撃は抗体の躰をいとも容易く貫いた。致命傷とはならなかったが明らかなダメージだった。


「楓ちゃん、もう気が済んだでしょ。撤退しない?」

「もう少しやれるはずだ」


 光線が飛び交う戦場で楓は喜色を隠し切れない声で応じた。一方の黒柳はさすがに萎縮しているようだった。


「いや、楓ちゃんは良くても私は結構危ない感じだし……。我が儘はそれくらいにしてさ」

「黙って私のサポートをしていればいい」


 楓はなおも抗体の群れに立ち向かった。勝てるとは思わなかった。しかしこの数を相手にしても互角に立ち回れている。それが彼女の自尊心の回復に必要なことだった。


「楓ちゃん、突っ込み過ぎ!」


 黒柳が叫んでいる。いまや楓は抗体の群れの中に飛び込み、霓を全方位に展開、無数の光線を浴びながらも怒涛の攻撃を続けていた。しかし多勢に無勢、黒柳の霊力充填があっても徐々に押され始めていた。


「あなたらしくないわよ! どうしてそんな無茶するの!」

「私らしくない? ならば貴様の認識を改めろ。これが私だ」


 楓は霓を大剣に変化させ振り回した。抗体を何体か薙ぎ倒し、その巨大な刀身で磨り潰す。しかしその戦果は敵の戦力から考えれば微々たるもので、それで敵の攻勢が弱まるということはなかった。


「楓ちゃん!」

「妙な声を出すな。黒柳、貴様らしくない声だ」

「私らしくない声ですって? ええ、そうよ、楓ちゃんが心配なのよっ!」


 黒柳の霊力充填が途切れた。それを楓は躰の感覚で察知した。抗体の攻撃を捌き切れない。楓は咄嗟に回避行動に移った。すれすれのところで躱し、抗体の包囲から逃れた。黒柳を睨みつける。


「どうした、霊力充填をなぜやめる」

「楓ちゃんをこっちの世界に呼び戻す為よ。一発敵に撃ち込んだら、撤退するって約束でしょ」

「約束はしていない」

「私だって、サポートし続ける約束なんてしてないもの」


 楓は舌打ちした。


「私とお前。二人でならこの厄介な抗体も駆逐できる。他の仲間などいても、死人が増えるだけだ」

「私のことを高く買ってくれてることは光栄だけどね。私はまるっきり違う意見を持ってるのよね」


 黒柳がそう言った直後、上層のフロアから轟音が鳴り響いた。楓は霓を展開して抗体の攻撃をいなしながら後退を始めた。そして上層を睨みつける。


「なんだ。何が起こっている?」

「痺れを切らしたみたいね……。楓ちゃんの部下と、私が連れて来た野心家さんたちが」


 上層から何十人という人間が下りてきた。楓はかぶりを振った。駄目だ、半端な実力者が立ち向かっても抗体に殺されるだけだ。新参たちは楓の部下や制圧部隊の人間ではなかった。マスクやスーツで人相を隠している。


 群れから発射された光線が、向こう見ずな戦士たち目がけて飛来する。やられる。楓は覚悟したが、そうはならなかった。戦士たちの正面に突如出現した巨大な盾が、全ての光線を受け止め、弾き飛ばした。


 楓はさすがに驚いた。あの火力の光線をまともに受け止めるとは。黒柳がヒューと口笛を鳴らす。


「時間さえあれば超深層の壁の突破も可能――負け惜しみかと思ってたけど、ただの虚勢ってわけでもなかったのね」


 楓は戦士たちの雄叫びを聞いた。続々と上層から下りてくる。最初は民間の有志たちだけかと思ったが――そういう連中も混じっているとは思うが――それだけではなかった。身のこなしが攻略組の連中と比較してもけして劣らない洗練されらものだったし、装備品も見たことのないものが混じっていた。


 戦士たちが100人、200人と増え、抗体の群れに砲撃やら突撃やらを敢行する。多くの戦士が光線に薙ぎ倒されたが、それ以上の戦果を挙げた。あれほど苦戦した抗体たちが押され、粉々になって散っていく。


 戦士たちの隊列は途切れることがない。200人から300人、更にもっと増えていく。いったいどれだけの戦士を黒柳は連れてきたのか。


「……まさかこれほど連れてくるとは思わなかった。黒柳、貴様、事前に根回しをしていたな?」

「精霊の技術を転用して、日本の拠点と世界各地の要所を転移装置で繋いでおいたのよ。日本方面の超深層の壁が世界に先駆けて突破されたよってお知らせしたら、世界各地の酔狂どもが来るわ来るわで大漁よ。一応、各国の正規部隊もいるよ。挨拶してく?」

「いや」


 楓は霓に霊力を注ぎ込む。


「手柄を横取りされるわけにはいかない。このまま抗体の群れを押し返す」


 これまで逃げ惑うだけだった楓の部隊も、ここぞとばかりに押し返す。神と志村の姿もあった。彼らにも援軍があったようだ。制圧部隊の徽章をつけた戦士たちが何十人と増えている。


「一気に騒がしくなったな。流れはこちらにあるのか、それとも依然向こうが有利なのか、どう思う、黒柳?」

「さあ。これだけの戦力が揃っても、夢魂とかいう抗体って相当強いんでしょ? 楓ちゃんの言う通り、無駄に死人を増やすだけかもしれないけどさ。でも私は、絶対やれるって信じてる」


 楓はふっと笑んだ。そして駆け出す。霓を発動する。


 抗体と戦士がぶつかる、その最前線に楓が躍り出た。霓の斧で一体を両断する。最前線の楓に敵の攻撃が集中しそうになるが、横に並び立つ戦士がいた。


「楓さん、なんだか嬉しそうですね」


 池添弌朗。


「今から綾に追いつこうって魂胆ですね、そうなんでしょう!」


 赤地嵐子。


 まるで外国の部隊には手柄は渡さないとばかりに、三人の日本の戦士が先頭に立つ。その背後を攻略組の他の面々が我先にと固めた。


「超深層の主役は、我々攻略組だ!」


 誰かが叫んだ。その意気だ。楓は笑み、次の瞬間死ぬかもしれない死闘へと身を投じた。







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