夢魂戦・増殖
94、夢魂戦・増殖
「異邦人は二人いるのさ」
声がした。綾が目を見開くと、抗体が放った光線が自分の脇に逸れていくのが見えた。
抗体に突進して狙いを外させたのは、如月だった。あのダンジョンに潜ることに躊躇していた如月が、よりにもよってこの強敵と対峙している。
綾は驚きのあまりすぐに動けなかった。どうして彼がこんなところにいるのか理解できなかったし、自分が死んだと思っていたので次取るべき行動が分からなかった。
抗体は如月の体当たりがまさに不意打ちとなったようで、楓たちの攻撃でびくともしなかったのに、体勢を整えるのに時間を要した。抗体のほうも自分に何が起きたのか理解できないようだった。
「異邦人がもう一人現れたんだ、夢魂さん! こっち!」
少年が叫ぶ。綾は何とか立ち上がった。抗体は少年の声がするほうへ腕を向ける。レーザーが如月の方向へ発射された。如月はすぐさまその場から移動すれば回避できただろうに、咄嗟に機動靴を発動できなかったようだ。
レーザーが如月の近くを掠めた。如月は腰が抜けたようで、その場で尻餅をついた。
そんな彼の隣に降り立ったのは夏八木だった。彼女にしては珍しく狼狽している。
「如月さん、勝手に飛び出して――死にたいんですか!」
如月は苦々しく笑った。
「瀬山さんがピンチになっているのが見えたから――役に立てたと思うけどね」
「さっさと避難しますよ。……あとは、赤地さん、よろしくお願いします」
夏八木は如月を担いでその場から退散した。代わりに登場したのは赤地嵐子だった。綾の隣に立ち、その肩をぽんと叩く。
「嵐子……?」
「綾、無事みたいね。さあ、この抗体を仕留めるわよ!」
綾は頷いた。嵐子以外にも、囮役を買って出た精鋭たちが抗体に狙いを定めていた。いざとなれば綾たちの代わりに攻撃を引き受ける用意があることを示していた。
それを見た綾は再び勇気が湧き出てくるのを感じた。少し離れた場所では、抗体の仲間と思われる少年が歯噛みしている。
「仕留めたと思ったのに! 夢魂さん、もう一人の異邦人は大した脅威ではない! 今度はこっちに攻撃して!」
少年の声に抗体は素直に従う。それを見ていた嵐子はふっと笑った。
「なるほど、理解したわ。要するにあのガキを倒せば、抗体は綾を捕捉することができなくなるってわけね」
「そうみたいだけど……、無理はしないで」
「心配は要らないわ、あのガキは私に任せて。綾は抗体を仕留めなさい」
嵐子は少年に向かって突進した。少年は空中を漂い、嵐子から離れようとしたが、嵐子の巧みな機動靴の扱いの前にあっという間に距離を詰められた。
「来るな!」
少年は熱風を巻き起こし嵐子を寄せ付けまいとしたが、嵐子がその双刀を軽く振ると、風が凪いだ。少年は驚愕して棒立ちになった。間もなく嵐子の専用武器・影嚮刃によって致命傷を負った。少年の危機を悟った抗体がレーザーを撃ちまくったが、嵐子はそれを軽々と躱していく。攻略組随一の前衛という評判は正しいものだったらしい。
腹から夥しい出血をしつつも、颶風は嵐子の暴風のような斬撃から逃れた。血を吐き、もはや声を発せないようだった。すっと闇の中へと消えゆく。嵐子は追撃しようと前のめりになっていたが、綾のほうに振り向いた。
「綾、今よ!」
綾はもう一度、抗体に突撃した。恐怖がないと言えば嘘になる、だが多くの人にお膳立てしてもらって、こんなところで躊躇していたら、この作戦に参加した意味がないというもの。三本目の竜剣を引き出し、気合いを入れた。
抗体は綾の接近に警戒して動き回ったが、綾とて短期ながら集中的な訓練を受けている、間もなく抗体の躰に竜剣の刃を食い込ませた。
相当に弱っていたのか、今度は素直に刃が通った。竜剣の炎が抗体を燃え上がらせ、躰が上半身と下半身に分離した。
抗体ならコアがあるはずだが、そのまま二つの躰は無数に砕け散った。綾はまだ警戒を怠らなかったが、散らばった破片はもうぴくりとも動かなくなった。
「やった……、倒した!」
誰かの声。と同時に綾に飛び付く人間がいた。綾は危うく転びかけながらも、踏みとどまり、間近で満面の笑みを浮かべる琴歌の顔を見た。
「こ、琴歌さん、苦しいです!」
「やったぁ、瀬山さん! 本当に倒しちゃうなんて!」
琴歌が飛び跳ねながら綾を抱き締めているので、綾も爪先立ちになって一緒にジャンプする格好になった。殺伐としていた空気が緩み、身を隠していた戦士たちがあちこちから顔を出す。
「倒したのか?」
「久々に肝を冷やしたぜ」
「誰か手を貸してくれ、足をやられた……」
口々に疲れた声を出す。それからはこの場全体が慌ただしくなった。負傷者が大勢おり、その治療や搬送で忙しくなった。綾はそれを手伝おうと思ったが、いつの間にか近くに立っていた楓がそれを制した。
「貴様は何もしなくていい。それより、怪我はないのか」
楓はギフトの回復薬をがぶ飲みしていた。相当に霊力を消費したらしく、二本目に手を出した。
「はい。怪我は特にしていません。楓さんは?」
「……貴様に心配されるとはな。私は無傷だ。牽制し合っていただけだからな。もし貴様がいなければ、どこかのタイミングで間合いを詰めなければならなかっただろう。となると、腕の一本くらいはもっていかれていたかもしれん」
楓なりの労いの言葉だろう。綾は笑顔でそれを受け取った。
80名以上いた戦士の内、15名が戦死していた。制圧部隊の木伏が自らの武器庫に遺体を収容した。負傷者を収容し一旦帰還することも提案されたが、負傷者たちは足手纏いは御免だと言って、自力で帰還することを希望した。
神と志村は無事だった。神は志村に立腹していて、いつになく志村が意気消沈した様子だった。
「お前があんな無謀な真似をするとは思わなかった」
神がそう言っても、志村は返す言葉が見つからないようだった。
戦闘継続が不可能と見做された負傷者は、20名にも及んだ。こうして超深層に挑む戦士たちは40人余りにまで減り、これからの道程に立ち向かうこととなった。
負傷者たちが互いに支え合いながら上層へと向かった直後、楓の通信機が鳴った。楓はすぐには取らず、周囲を見渡してから出た。
「……黒柳か? 今、どこにいる」
『楓ちゃーん、こっちは大変よ。後で労ってね?』
「質問に答えろ、今どこにいる」
『超深層に入ってしばらく進んで――えっと、弌朗ちゃん、今何階くらいだっけ?』
楓は嘆息した。
「池添が一緒なのか?」
『そーそー、ちゃちな装置を配り終えて、もうすることがなくなったから私たちの部隊に合流したの。制圧部隊の千石ちゃんも一緒でね。もう大所帯なんだから』
楓はもう一度大きく溜め息をついた。
『ところで楓ちゃんこそ無事なの? 仲間は誰も死んでない?』
「死んだよ。栃谷に漆崎、大辻兄弟に……」
楓は名前を列挙した。綾はそのいずれとも深い関わりを持たなかったが、攻略組の戦士の名前であることはすぐに分かった。通信機越しの黒柳の声が明らかにトーンダウンした。
『……そう、激しい戦闘になってるみたいね。負傷者も結構いるんでしょ。受け入れる準備をしたほうがいいかな』
「放っておいてやれ。助けが必要なら連中のほうから言ってくるだろう」
『厳しいんだか優しいんだか、楓ちゃんったら』
そのとき通信機がガガガと音を立てた。それきり沈黙する。楓は通信機に批判的な眼差しを向けた。
「……なんだこれは。急にダウンしたぞ。壊れたのか?」
綾は思い出した。深層で通信機を破壊した存在を。さっきの少年の仕業だ。
綾は周囲を見渡して不穏な影がないか探した。しかし何か異変は見られなかった。
あの死にかけの少年が、最期の足掻きと言わんばかりに、楓の持っていた通信機を破壊したのだろうか。そんな無意味なことをするだろうか、夢魂と呼んでいたあの抗体に自分もろとも殺せと命じた、あの固い信念を持った人物がこんあ安い自己満足に興ずるだろうか。
「な、なによこれ……」
嵐子の声。嵐子だけではない、その場にいた全員が全く同時に異変に気付いた。
それも当然だった。なにせその異変はフロア全体で同時に起こったものだったのだから。
砕け散った夢魂の肉片が光り輝き、胎動を始めた。さながら朽ちた大樹の樹皮から新たな命が芽吹くように、ある種神秘的な美しさを伴うものだった。しかし命というものは別の命を食い物にして自らを繁栄させるものだ。
夢魂の無数の肉片が形を変えた。体積を増し、ぐねぐねと蠢き始める。危険を察知した楓が近くで動き始めたその肉片に攻撃を仕掛け、完全な消し炭にしたが、なにせ肉片は無数にあった。まるできりがなかった。
何が起ころうとしているのか。綾には分からなかった。いや、わざと分かろうとしなかったのかもしれない。寒気がした。
40名の戦士は茫然と肉片が形を成すのを見守っていることしかできなかった。肉片は先ほど苦労してやっと倒した夢魂の姿と全く同じに変化した。先ほどと違うのは、一人だった夢魂がいまや数百を超える個体になっていることである。
数百の夢魂が一斉に手を掲げた。全ての戦士がまさかと思ったに違いない。綾もそうだった。一体だけでも破滅的な威力を誇ったあの攻撃を、この大群が一斉に行うものか。そんなことが許されるはずがない。
綾は立ち尽くしていた。もし嵐子が思い切り体当たりをしなかったら、そのまま棒立ちになっていたに違いない。
無数の光線がフロアに入り乱れる。直撃すれば一瞬で全身が蒸発するような死を招くレーザーが戦士たちを襲った。
この理不尽とさえ言える圧倒的な攻撃で、40余名の戦士の内、十数名が死んだ。ここまでの戦いを無事潜り抜けてきた精鋭中の精鋭たちが、為す術もなく果てたのである。綾は嵐子に引き摺られ、岩の陰に隠れている間も、震えていた。
「撤退だ」
楓の声がする。さしもの女傑も声が震えていた。
「全員撤退だ! 行け! 誰にも構うな! 自分の命を優先して行動しろ! 一人でも多く生き延びろ!」
もはや他人に手を差し伸べられることは至難の業だった。綾を引き摺っていた嵐子も、やがて無数の光線に追われている内に綾から離れてしまった。あるいは、異邦人たる綾にはあまり近づかないほうが、むしろ綾の安全を確保できると考えたのかもしれない。
結果から言えば、それは間違いだった。
フロア内を毎秒何千発と飛び交う光線は、異邦人たる綾を逃してはくれなかった。別の戦士を狙った光線がその射線上にいる綾を襲うことは度々あったし、光線同士がぶつかり合うとその光は拡散され攻撃範囲を広げて襲いかかってきた。
まるで画面上を弾が埋め尽くすクリア不能のシューティングゲームのようだった。理不尽で攻略不能。そんな現実が綾たちを襲っている。
「上階だ、上階に行け! ひたすら逃げろ!」
誰かの声。綾は必死にそれに従おうとした。誰も助けてくれない。綾を助けようとすれば、たちまち綾もろとも光線に当たって死ぬ。それが分かっているだけに綾は絶望的な思いだった。
そしてそのときは来た。
最初、綾は奇妙な浮揚感に襲われただけだった。機動靴に振り分ける霊力の量を間違えたのかなと思った。しかしそうではなかった。綾は衝撃で吹き飛ばされているのだった。光線が自分に当たったのだとはどうしても信じられなかった。なにせ吹き飛んだと言っても、気流か何かに乗ってふわふわと揺蕩っているかのような感覚だった。
綾は自分の躰を見下ろした。左腕の肩から先がなくなっていた。脇腹も少し抉られて大量の血が噴き出していた。痛みが遅れてやってくる。それは少しずつ増していき、しかもその上限がないようだった。
恐らく、絶叫したのだろう。恐らく、周りの状況も分からないまま転げまわったのだろう。綾はそれからの記憶が判然としない。
「瀬山綾! おい、返事をしろ!」
誰かの声を聞いた。救出されたのだろうか。だがまともな返答などできない。それほどの痛みが襲いかかってきた。
綾は訓練された軍人ではない。痛みに慣れた武道家でもない。腕を一本失ってなお周囲に注意を向けられるほど強い意志を持つわけでもなかった。よくいる女の子に過ぎなかった。そして自分に突きつけられた現実に愕然とし、こんなことが自分に起こるなんて、と悲鳴を上げることしかできなかった。死を覚悟して超深層に挑み、その覚悟が本物だったとしても、想像を超える痛みに、もはや理性や信念などどこかに吹っ飛んでいた。
「血が止まらない……」
誰かの声。
「異邦人がやられたのか?」
誰かの声。
「すぐに連中が追いついてくるぞ。ここも危ない」
誰かの声。
「瀬山さん! 瀬山さーん!」
誰かの声。
「無畏さんはどこにいる、治療だ、治療をしろ!」
誰かの声。
「異邦人を死なせるわけにはいかない」
誰かの声――いや、楓の声。混濁する意識の中で、綾にはそれだけは分かった。
「助かるかどうかは五分五分だが、こいつのセンスに賭けよう」
綾はこのまま眠っていたかった。しかしそれをするとこのまま死んでしまうということが直感的に分かった。
綾はこの筆舌に尽くし難い痛みに正面から向き合った。相変わらず悲鳴を上げ続けていたのかもしれない。だがこのまま死んでたまるかという気持ちが強かった。
「瀬山さん、あなたはわたしが守るよ」
右手を誰かの手が握る。きっと琴歌さんだな。綾にはそれが分かった。強く握り返した。まだ終わらない。という何より強い意志表示だった。




