南條を守る会
44、南條を守る会
綾は霊力が完全に回復すると、リラクゼーション室を出て、談話室に向かった。今の時間なら、南條はそこにいる確率が高いという。無畏が教えてくれた。
果たして、談話室に数名の男女がコーヒーか何かを飲みながら寛いでいた。綾は南條の身体的特徴を聞き忘れていたので、誰が目的の人物が咄嗟に分からなかった。
「あの、突然失礼します。南條将基さんはどこにいらっしゃいますか」
綾はそう言ってから、慌てて、
「あ、私は最近ここに入ってきた瀬山綾といいます。南條さんと模擬戦を行いたいのですが、よろしいでしょうか」
談話室の和やかな空気が一変した。全員の綾を見る目が険しくなる。まさか自分は何かミスを犯したのだろうか。ちょっと不躾だったのかな……。
「あんたが佐久間部長が通告を出してまで優遇した、噂の新人か」
男が長椅子から立ち上がり、綾を威圧するように顎を持ち上げながら近づいてきた。
「模擬戦なら俺がやってやるよ。準備はいいか?」
「南條さんですか?」
「俺? 俺はちげえよ。鹿取だ」
尊大そうな態度。綾は怯んだし、ちょっとこの男とやってみたい気持ちも少しあったが、確実に負ける。今は時間と体力が限られている。無駄な戦いはしたくない。
「私は南條さんとやりたいんです。どいてくれますか」
「てめえ……」
一触即発の空気になった。綾は内心申し訳なく思いつつも、引き下がるわけにはいかなかった。
近くにいた女性が、鹿取と名乗った男を押し退けて唾を飛ばしてくる。
「あなた、恥ずかしくないの? 南條くんは支援型よ? 模擬戦なんてしなくていいのよ。必要ないわ」
「私はしたいんです」
「あなたも支援型なの? それで適当な相手が見つからないとか」
綾は一瞬返答に困った。支援型ではない。では近距離で戦うタイプか。たぶんそうだが、別にそれにこだわるわけでもない。銃だって使いこなせるものなら使ってみたいし、防御に徹する戦い方のほうが、もしかしたら向いているかもしれない。
「……支援型ではないです。ただ、力量に自信がないので、あまり強い方とは戦えないんです」
「あなた、ここのルールを知らないようだから教えてあげる。皆、支援型のメンバーとはできるだけ模擬戦を行わないようにしているの。模擬戦の勝敗はきちんと記録され、佐久間部長の目に留まるようになってる。あまりに成績が悪いと内勤に飛ばされることだってある。支援型だって例外ではないわ。もちろん、探索に不可欠の人員だと認められれば、多少は大目に見てもらえるかもしれないけどね」
綾は頷いた。
「その辺は何となく承知してします」
「それでも、模擬戦がしたいって?」
「はい。一度だけでいいんです。……それに、楓さんから、私の模擬戦の申し出は断るなって話がきてるはずですよね。南條さんは断れないはずです」
綾の言葉に、女は顔をひくつかせた。そんな女をそっと脇にどかしたのは、綾と同じくらいの年頃の少年だった。綾は大人ばかりと思っていたこの施設に少年がいたことに驚いた。
「南條は僕です。模擬戦、お受けします」
南條は綾と背丈がほとんど同じで、体つきも逞しいとは言えなかった。黒髪、茶色の瞳、一般的な日本人の特徴を有していた。
ただ、目鼻立ちが無比に整い、まるで人形を前にしているかのような美貌だった。周囲に立つ男と女が気遣わしげに南條に群がる。
「無理はしなくていいのよ、南條くん? こんな下品な女の相手することないの。佐久間部長だって分かってくれるはずよ?」
女の猫撫で声。男たちも南條には甘ったるい声で、
「お前は俺たちの希望なんだ。お前が矢面に立つことはねえ。支援特化タイプなんだからよ」
でも。南條は上目遣いで大人たちを見る。その仕草が、綾から見ても何とも蠱惑的だった。大人たちの心臓が射抜かれる音が聞こえた気がした。
「黒柳さんは、普通に戦っても強いです。無畏さんだってかなりの実力者だって聞いています。僕だけ特別扱いはおかしいです。瀬山綾さん、模擬戦を僕からもお願いします」
その健気な瞳。綾もどぎまぎした。別に惚れたとかそういう話ではない。無垢な瞳を向けられると、自分の穢れに自覚ある人間は急に前後不覚になり戸惑うものなのだ。
「待てよ、南條!」
鹿取が声を上げる。
「南條が模擬戦をするのは分かった。だが、その前に、一戦やらせろ」
鹿取は綾を見据えた。その瞳は南條のそれと比べるとあまりに粗暴で残虐に過ぎた。
「まさか断らねえよな。一戦くらい、いいだろ?」
綾は断るべきだと知っていた。だが、周囲の人間全てが綾を敵視している。ここで断り、南條を痛めつけたら、本格的に嫌われる。たとえ南條が綾を擁護したとしてもだ。
気にしている場合ではない。しかし人情というものはそう割り切れるものではなく、綾は鹿取のその苛烈な視線から逃れたかった。
「……分かりました。一戦だけですよ」
練習にもなる。そう自分を納得させようとした。
周囲の人間が急ににやにやし出す。綾はそれを疑問に思った。さっきまで不機嫌だったのに。鹿取と戦うということが、そんなに愉快なのだろうか?
「瀬山綾。お前、専用武器を持ってるのか」
「いえ」
「俺は使うぜ。いいよな? その代わり、他に武器は持たねえからよ」
鹿取は懐から短剣を取り出した。何の変哲もない武器にしか見えない。それが鹿取の専用武器か。
「分かりました。お願いします」
綾と鹿取は大演習室に向かった。談話室にいる人間全てがそれについてくる。もちろん南條も。少年は少し気遣わしげだった。
*
「えっ。マッサージしてくれないの。どうして」
黒柳は素っ頓狂な声を出した。施術台の前で本を読んでいた無畏は、にこりと笑んだ。
「ブラックモア。彼女を見捨てたみたいですね? そんな無情な人はわたくしの友人ではありません」
「彼女って、綾ちゃんのこと? 見捨てたわけじゃないわよ。だって、あの子、とんでもない爆弾抱えてるんだもの」
黒柳は言う。
「金の卵、とも言えるかも。だからあんまり彼女は頑張らないほうがいいんじゃないかなって」
「わたくしは模擬戦の相手に南條様を紹介しましたわ」
無畏は何でもないことのように言う。
しかし黒柳にとってはなかなか衝撃的だった。この女、のほほんとしているくせに、やることは過激だ。
「は!? ペインキラー、何を考えてるのよ」
「南條様相手なら、勝てるかもしれません」
「そりゃ、そうだけど」
黒柳は無畏を睨んだ。
「南條ちゃんの取り巻きが厄介じゃない……。特にあのショタコンの鹿取」
「そうですね。しかし、ブラックモア、あなたはもう彼女とは関わらないように決めたのでしょう。彼女はわたくしに助言を求めてきました。ですからわたくしなりの答えを用意したまでですわ」
「この性悪め」
「彼女には戦う理由があります。いったん介入しておいて、途中で投げ出すなんて、淑女のすることではないですの」
黒柳は肩を竦めた。淑女ってガラじゃないし。
「……ま、確かに、一度出しゃばっておきながらいきなり放り投げるのは、無責任ってものかしらね。ちょっとびびっただけよ、やっぱり彼女の面倒は私が見る」
「ブラックモアがびびる案件ですか。ちょっと興味がありますわね」
「駄目よ。こればっかしはペインキラーにも話せない。たぶん綾ちゃんも、他の人には喋らないでしょうね。私、結構なリアクション取ったから、やばいことだって気付いたでしょ」
黒柳は肩を回しながらリラクゼーション室を出た。
「きっちり世話を終えたら、特上コースできっちりマッサージしてもらうからね、準備しておきなさいよ、ペインキラー」
「ブラックモア。わたくしは予約を受け付けない主義ですの」
無畏の笑顔は晴れやかだった。上手く焚きつけられたかな。黒柳は大演習室に向かった。
既にそこにはギャラリーが出来ていた。演習室の外にモニターが設置されているが、そこに人が群がっている。既に綾と誰かが模擬戦を開始したらしい。
人だかりの中に南條の姿を確認して、黒柳は落胆した。やはり直接は戦うことができなかったか。
「こんにちはー、南條きゅん! 綾ちゃんは誰と戦ってるのかな」
「あっ、黒柳さん!」
南條は目をキラキラさせて黒柳を迎えた。取り巻きの連中はそれを苦虫を噛み潰したかのような顔で見ている。南條が同じ支援タイプの先達として黒柳を尊敬しているので、接触を阻むことができないのが悔しいのだろう。本当なら二人を引き離してやりたいはずだ。
「鹿取さんです。たった今、模擬戦が始まったところです」
モニターを指差して、南條が言う。黒柳は頭を抱えた。
「よりにもよってあの性悪のぉ! 綾ちゃん、どうして受けちゃった? どうしてそいつと戦おうと思った? ああ、もう!」
黒柳は演習室に入ろうとした。しかし野次馬どもがそれを阻む。
「既に演習は始まっている。自重しろ、黒柳」
「うるさい」
「戦いの最中に介入するのは規則違反だ。佐久間部長でさえもそんな権限はない」
「ところがどっこい私にはあるんだなあ。そらそら、そこどきなさい雑魚ども」
黒柳は演習室の扉に手をかけた。黒柳の一睨みで大抵の人間は引き下がる。ダンジョン内で黒柳の支援を受けられないことは自分の死にも直結する大事だった。それを知っているだけに、皆、黒柳の一挙手一投足に注意を払い、機嫌を損ねないようにしていた。
しかし黒柳の肩を掴む者がいた。振り払いざま振り返ると、そこに立っていたのは。
「げっ。楓ちゃん」
「騒ぎの中心には常にお前がいるな、黒柳。何があった」
楓はトレーニング室で汗を流していたのか、少しくたびれているようだった。さすがに楓相手では黒柳も分が悪い。
「綾ちゃんが鹿取の野郎と戦ってるんだよ。どういう意味か分かる?」
「ほう。……それは好都合だな、瀬山綾にはここでリタイアしてもらうか」
「あの変態の肩を持つわけ? 下手したら、綾ちゃん再起不能になるわよ」
「そうなったら内勤に飛ばす」
開発組に引き渡してもいい。楓は小声でそう付け加えた。
抗体に認識されない異邦人の価値は計り知れない。だが絶対に必要な存在かと言われれば、微妙な線だ。綾が和を乱す存在であるなら、むしろチーム全体のリスクを増大させる危険がある。
「楓ちゃん、見損なったわ。せっかくの駒を、あんな変態に蹂躙されて良いわけがない」
「一つ言っておく。鹿取に潰されるようでは、隔離ダンジョンはもちろん、超深層でも役には立たない」
鹿取は遊撃手である。一対一の戦いでは、可もなく不可もないといったところ。確かに綾が近接戦闘で貢献するつもりなら、少なくとも互角程度にはなってもらわないと困るか。
しかし鹿取の専用武器は非常に厄介だ。初見で打ち破るのは厳しいものがあるし、負けたときのリスクも大きい。練習相手としては最悪の部類に入る。
「綾ちゃん、勝つ方法はもちろん、負け方も重要よ。頭を使って」
モニターを見ながら、黒柳は呟いた。二人はいよいよ開戦した。洞窟のフィールドが出現し、二人が激しく動き始めた。




