第4話:執務室
案内された建物は、城塞の中央に建っていた。
華美な装飾はないが、積み上げられた石壁は分厚く、魔獣の襲撃にも耐えられそうな重厚さを漂わせている。
「ここだ」
ウルヤナが扉を押し開けた。
中へ足を踏み入れた瞬間、ミリヤムの鼻をくすぐったのは紙と薬草の匂いだった。
壁一面には本棚が並び、机の上には山のような書類が積み重なっている。
その書類の向こうでは、一人の男が額を押さえながら何かを書き続けていた。
傍らでは金色の髪をした青年が机に腰掛け、足をぶらぶらさせている。
部屋の隅では、一人の女性が薬瓶の並ぶ机に向かい、黙々と書類を書いていた。
書類の向こうの男が、ゆっくり顔を上げる。
「……今度は何を拾ってきたんだ」
第一声が、それだった。
「米俵拾ってきたって聞いたけど」
金髪の青年が笑う。
「耳が早いな」
ウルヤナが平然と答えた。
ミリヤムは思わず声を上げる。
「魔裔ってどういう伝達経路なんですか!?」
「言霊飛ばし」
青年が即答する。
「離れた相手に声だけ飛ばせる」
「便利ですね!?」
「便利だよ。城塞中の噂話があっという間に広がる」
「そんな用途なんですか!?」
「主に」
「もっと大事なことに使ってください!」
金髪の青年は楽しそうに笑った。
薬瓶の前にいた女性が、書類から目も上げずに口を開く。
「それにしても、デリカシーに欠けているわね」
「何がだ」
「お姫様抱っこしてくれば良かったのに」
ミリヤムは勢いよく頷いた。
「やっぱりそう思いますよね!?」
「そうね」
「思わない」
ウルヤナは即答だった。
「米俵は担ぐものだ」
「私は人間です!」
「そうか」
「そうです!」
金髪の青年が何かを思い出したように手を叩く。
「そういえば、エーリカの時はお姫様抱っこだったよね」
部屋が静まった。
「……え?」
ミリヤムが固まる。
書類の男も小さく頷く。
「そうだったな」
「え?」
ミリヤムは部屋中を見回した。
「え?」
誰も否定しない。
ウルヤナだけが黙っている。
「ちょっと待ってください」
「待たない」
「なんで私は担がれたんですか!」
「だって米俵」
「違います!」
「確かに」
「違います!」
なぜか書類の男まで視線を逸らした。
「何でですか!」
ようやくウルヤナが口を開く。
「緊急事態だったからだ」
「そんな理由あります!?」
「ある」
「ありません!」
「殺されそうだっただろうが」
その一言で、ミリヤムはぴたりと黙った。
確かに。
あの場で抱え方など気にしている余裕はなかった。
「……そうですけど」
「だろう」
それだけ言って、ウルヤナは黙る。
女性がさらさらと書類を書きながらため息をついた。
「そんなんだから結婚相手も見つからないのよ」
部屋が静まり返る。
ウルヤナは少し間を置いて答えた。
「黙れ、バツイチ」
「……」
女性の手が止まる。
金髪の青年が目を輝かせた。
「おおー」
書類の男が額を押さえる。
「お前らやめろ」
女性は無言でペンを置いた。
「薬を盛るわよ」
「脅迫か」
「事実よ」
怖い。
書類の男が深く息を吐く。
「お前ら、少し黙ってろ」
今度は全員、本当に静かになった。
……たぶん、この人が一番偉い。
男は疲れたようにウルヤナを見る。
「まず説明しろ。それは何だ」
「人間だ」
「それは見れば分かる」
短いやり取りのあと、ウルヤナが続けた。
「不死者討伐団に追われていた」
「だから拾ったのか」
「ああ」
男は長いため息をついた。
そのため息に、ミリヤムは何だか申し訳なくなる。
「教会の人間か」
「はい」
慌てて姿勢を正した。
「ミリヤムと申します。聖女見習いです」
「元、じゃないの?」
金髪の青年が口を挟む。
書類の男が鋭い視線を向けた。
青年は肩をすくめる。
「だってさ、魔域で普通に息できるなら『穢れ者』でしょ」
ミリヤムは言葉を失う。
「そんなのが教会で聖女教育を受けていたなんてねぇ」
女性も興味深そうにミリヤムを眺めている。
「珍しいわね。魔素適性が高い聖職者なんて」
「邪術士でもないのに」
「……?」
ミリヤムは首を傾げた。
三人とも、微妙な顔をしている。
「何ですか?」
沈黙。
「何ですか?」
また沈黙。
「何ですか!?」
ウルヤナがため息を吐く。
「世間知らずの米俵だ」
「だから米俵じゃありません」
「いきなり情報を流し込むと破裂する」
「人間です」
「米が漏れる」
「米は詰まってません!」
金髪の青年が吹き出した。
女性も肩を震わせている。
当のウルヤナだけが真顔だった。
一番ひどい。
「おいおい話せばいい」
「だから何の話ですか」
「後で分かる」
「気になります」
「黙れ」
「気になります」
「黙れ、米俵」
「ひどい」
書類の男が、もう一度額を押さえた。
「……お前ら、本当にちょっと黙ってて」
今度は誰も逆らわなかった。
「名乗ってもらったんだから、こちらも名乗らないとね」
女性は優しく微笑んだ。
「私はチェルナー。薬師よ」
少しだけ考えてから付け足す。
「それと、この人の仕事を手伝ってる」
顎で示された先には、書類の山。
机。
書類。
書類。
書類。
そして、その向こうに男。
「……」
ミリヤムは思わず絶句した。
「大変そうでしょ」
「他人事みたいに言うな」
「他人事じゃないわ」
チェルナーはさらさらと書類を書き続ける。
男は諦めたように息を吐いた。
チェルナーが続ける。
「この人は、この魔域の魔裔を束ねる王」
「王様!?」
思わず背筋が伸びる。
「いわゆる魔王ね」
「魔王!?」
さらに背筋が伸びた。
魔域。
魔王。
……確かに言われてみれば、その通りである。
ミリヤムは慌てて頭を下げた。
「し、失礼しました!」
男は片手を軽く上げる。
「気にするな」
書類を一枚めくりながら、ぼそりと言う。
「ただの、こいつらにこき使われる尻拭い担当だ」
「主にウルヤナのせい」
「そうだな」
「ルテオもね」
「そうだな」
「あと、たまに私」
「そうだな」
全肯定だった。
王様とは。
男はようやく顔を上げた。
「アスワドだ」
疲れた顔をしている。
だが、その瞳だけは鋭かった。
「できれば、あまり面倒事を起こさないでくれると助かる」
ミリヤムは思わず頭を下げる。
「何だかよく分からないですけど……」
「うん」
「お疲れ様です」
部屋が静まり返る。
次の瞬間。
「ぶはっ!」
金髪の青年が吹き出した。
「魔王に向かって『お疲れ様です』は初めて聞いた!」
「だって、疲れてそうですし……」
「疲れてるわよ」
チェルナーが頷く。
「毎日」
「おい」
アスワドが小さく返す。
ミリヤムは少し考えたあと、真顔で言った。
「眼精疲労が取れる治癒、しましょうか」
再び静寂。
「……」
「……」
「……」
「ぶはははは!」
今度は青年が腹を抱えて笑い出した。
「あとで頼む……」
アスワドの声だけは、妙に本気だった。
「それは私もお願いしたいわ」
「お前もか」
「書類が多いもの」
「増やしているのは誰だ」
ミリヤムは思った。
(魔域って……思っていたより平和ですね)
もちろん。
まだ何も分かっていなかった。
青年が勢いよく手を挙げる。
「俺はルテオ!」
胸を張る。
「魔王様の長男!」
一瞬の静寂。
チェルナーが吹き出した。
「ぷっ」
「やめろ」
アスワドが眉をひそめる。
「王子様ですか!」
ミリヤムが目を輝かせる。
今度は――。
「ぷっ」
ウルヤナが初めて吹き出した。
「たしかに!俺、王子様だった!」
「仕事手伝え、王子」
「嫌だ」
即答だった。
アスワドは頭を抱える。
「魔王様と似てないですね」
「その呼び方やめろ」
「おふくろ似!」
ルテオは髪をかき上げ、得意げに笑った。
「イケメンに生まれてよかった」
ミリヤムは真面目な顔になる。
「結婚相手は顔で選んではいけないと、ルツィエ様の遺言で言われました」
「ルツィエ?」
ルテオは少し考える。
「ああ。先々代の聖女か」
「はい」
「可愛かったのにな」
ミリヤムは首を傾げた。
「肖像画でご覧になったんですか?」
「いや」
ルテオはあっさり答える。
「六十年くらい前に会った」
沈黙。
ミリヤムは指を折り始めた。
六十年前。
先々代の聖女。
目の前の青年。
……どう考えても、計算が合わない。
「?????」
頭の中が真っ白になる。
チェルナーが苦笑した。
「理解が追いついていないわね」
ウルヤナが頷く。
「米が漏れてる」
「だから米は詰まってません!」




