04 少年と少女
少年は、深夜に複数の足音を聞いて目が覚めた。
(――何だ?)
日の出には、まだ遠い時刻だ。慎重に部屋の扉を開け廊下に出る。
いつも廊下の端に立つ見張りは、どこかへ駆り出されているのか見当たらない。
廊下を進むと、明かりが漏れている場所があった。祭壇を見下ろせる通路。慎重に身をかがめて近づくと、階下では慌ただしく儀式の準備が行われていた。
(これは『移しの儀』――まさか!)
目を凝らすと、中央奥に備え付けられた祭壇で眠る『聖唱の器』、その体から金色の輝きがわずかに漏れ出して見えた。
(器が崩壊しはじめている。さっきまで安定していたのに、なぜ急に――?)
少年は、なぜと考えながらも、推測を導き出していた。
ほんの数時間前の『移しの器』たちの様子、それに呼応するようなタイミング。
(『器』は五感を閉ざして眠りにつくはずでは? しかし、このタイミングは……外部の影響を受けているとしか思えない!)
『移しの儀』が始まる。
色の白い、線の細い少女が、仮組みされた祭壇に横たわっている。
その目は、わずかに開いたまま動かない。
(薬で意識を低下させてある)
金の光が『聖唱の器』から、ぶわりとあふれ出した。
祭壇まで距離はあるが、びりびりと通路の窓が震えている。
広い祭壇の間に広がった金色の靄は、ゆっくりと収縮し少女の身体に収まっていく。
しばらくの間、少女の身体は痙攣し手足を突っ張る様子だったが、やがて弛緩し静かな眠りが訪れる。
(面白い……!)
少年は儀式の一部始終を、まばたきを惜しむほど必死で目に焼きつけた。
(……『遍在の檻』か)
圧倒的な、それこそ神の力としか言いようのない魔力の塊が、人間の極めて脆弱な身体に収まる。
(人間の意思で……それを動かすことが出来るとしたら)
ひとつの仮説にたどり着き、少年は歓喜の震えを止められなかった。
(私自身で、確かめなくては!)
少年の目はぎらぎらと輝き、唇の両端が吊り上がった。彼の心は、『遍在の檻』に捕らわれてしまったかのようだった。
♢
『移しの儀』が終わり夜が明けた。
日の差さない、地下の祭壇の間には煌々と明かりが焚かれていた。
午後には、「役目を終えた『器』」を悼み、「『器』に成った」者に祝福を与える儀式が行われるのだろう。
『聖唱の器』の後片付けに手を挙げた少年、エーレンフリートは、祭壇裏の部屋で大人に混ざり処理を手伝っていた。
『器』だった者の身体には皮膚が深く裂けたような傷跡が複数あったが、昨晩感じた途方もない魔力は、気配の欠片も残っていなかった。
(出口が開いたから出て行った……のか?)
素早くメモを取りながら、また身体を清めていく。大きな傷は、大人の手で縫い閉じられていく。
『聖唱の器』は、希少な男性の『器』だった。
(在任期間は……十年か。歴代『器』とあまり変わらない……と、言いたいところだが――)
昨夜、祭壇前での『移しの器』たちの、激しく動揺した様子を思い出す。
(影響は、間違いなくあった)
「アイオラっ!!」
エーレンフリートの思考を遮るように、扉の向こうから少女の悲痛な声が聞こえた。もうひとりの『移しの器』――
(名前は確か……)
「オリヴィエ様、お下がりください! アイオラ様は、すでに『繊麗の器』にお成りです。『移しの器』の貴方様でも、お手を触れてはなりません!」
「――っ! アイオラ。嘘だ、アイオラ!」
オリヴィエ。たまに目にする彼女は、賑やかではあるが理性的で、こんな場面でも冷静に振る舞う人間だと思っていたが、わからないものだ。
エーレンフリートは、すぐに外の様子には興味を失い、黙々と作業を続けた。
すべての作業が終わる。汚れた作業着を脱いで身だしなみを整え、エーレンフリートは祭壇の間へと続く扉をくぐった。
出入口は祭壇の陰になっているが、それでも眩しさに一瞬目を細める。新しい器を祝うための準備が着々と進んでいた。
ふと見ると、『器』が安置された祭壇のすぐそばに、蒼鉛色の長い髪を下ろしたままの少女が立っていた。髪も結わずに駆けつけたのだろう。
その目は、じっと祭壇の上を見つめている――真新しい法衣に包まれて横たわる、仲間の目覚めを待つかのように。
濡れた目が、室内の明かりを反射してきらりと光った。
「……」
エーレンフリートは、彼女の横を無言で通り過ぎようとした。
「アイオラは、どこへ行ったの?」
その声は意外にも、絶望や悲哀を含まず、はっきりとしていた。彼女の目線は、祭壇の上に向いたままだった。
エーレンフリートは足を止めると、気紛れに答えることにした。
「どこにも行ってない。おそらくその身体の中にいる」
「……」
彼女は、何かを探すように、じっと『器』を見つめた。
「……これは、何年後かのあなただろう。知らなくていいのか」
少女は、ハッとした様子で顔をこちらに向けた。
一瞬だけ、蒼鉛の目と見つめ合う。
エーレンフリートは黙ってその場を離れた。少女は、それ以上尋ねてこなかった。
続きは、また明日。10:30頃に。




