第50話 祖国からの正式な使節団ですわ
朝から港に軍艦が見える日など、ろくなことがございませんわね。
執務室の窓から外を見下ろしたわたくしは、深くため息をつきました。ご苦楽シティの波止場、その少し沖合に、見慣れた旗がはためいております。
前王国王家の紋章。
「レオン。あれはまさか、偶然立ち寄っただけの親善訪問”なんて可愛い話ではございませんわよね」
「親善で軍艦は送らない。残念ながら」
レオンは、窓の外を一瞥し、手元の書状を机へ置きました。
「さっき届いた。ライシア王都経由の正式通達だ」
羊皮紙には、丁寧すぎて胃に悪い言葉が並んでおります。
『前王国王太子アルノルト殿下を首席とする使節団が、ライシア王国および自由都市ご苦楽シティとの友好と経済協議のために来訪する』
要するに、泣きつきに来ましたわね、という文でございます。
「殿下御自ら、でして?」
「ああ。“友好と協力の証として”と書いてあるが、実際は最後のカードを切ってきたと見るべきだろう」
「最後のカードが前にわたくしを断罪した殿下というのは、なかなか趣がありますわね」
嫌な笑いが込み上げるのを、わたくしは紅茶で無理やり流し込みました。
「他の顔ぶれは?」
「王太子の他に、宮廷の高官数名と、財務関係の官僚が二、三人。それから……」
レオンが紙の端を軽く叩きます。
「民代表として随行するリリアーナ・ベルローズ嬢」
「まあ。清純ヒロイン様もセットでございますの」
わたくしは、言葉どおり肩をすくめました。
「王太子殿下と民の味方の令嬢。あちらの宮廷は、外向けの見栄だけは最後まで手放さないおつもりのようですわね」
「問題は、中身だ」
レオンの声が低くなりました。
「情報局の報告では、前王国の内債はほぼ売れず、軍の給金遅配は三ヶ月に達した部隊も出てきている。穀物価格は二倍。徴税官への暴力事件はさらに増加」
「それでいて、外への小競り合いはやめない」
「勝っている間は自分が正しいと思い込めるからね」
窓の外では、軍艦から小船が下ろされ、甲板の上に人影が並び始めていました。
遠目にも、見覚えのある金髪と、わざとらしいまでに白いドレスが目を引きます。
「ご苦楽シティとしては、どう迎える?」
レオンがこちらを見る。
わたくしは、にっこりと笑いました。
「表向きは、もちろん大歓迎ですわ。前祖国からのお客様ですもの」
「裏向きは?」
「数字と契約で、きっちり現実をお見せして差し上げますの。あちらが情で来るなら、こちらは条文でお出迎えいたしましょう」
◇
港の桟橋。ご苦楽シティ側の出迎えは、ライシアの紋章旗を掲げた小隊と、自警団、それからわたくしとレオン。
対する小舟から降り立った使節団の先頭には、かつてわたくしの婚約者だった男が立っておりました。
アルノルト・フォン・エーデルシュタイン殿下。
相変わらず整った顔立ちでございますけれど、その目の下には薄い影。衣の金糸は減り、背後に並ぶ従者の数も、わずかに寂しい。
その横には、ふわりとした淡い色のドレスに身を包んだリリアーナ・ベルローズ嬢。こちらは、昔と変わらぬ微笑みを浮かべております。
変わっていないのは、そこだけでしょうけれど。
殿下が一歩前へ出て、儀礼的な笑みを貼りつけました。
「久しいな、アメリア」
「お久しゅうございますわ、殿下」
わたくしは、完璧な淑女の礼をもって応じました。
「ようこそ、ご苦楽シティへ。ライシア王国の宰相補佐レオン・ハルトマン殿、および、この自由都市を代表して、お迎え申し上げます」
レオンも一礼し、事務的な口調で名乗りました。
「殿下のご来訪、ライシア王都より文書にて承っております。本日は、まずは宿の手配と、簡単な歓迎の席を用意しております」
「うむ。手厚いもてなしに、礼を言おう」
アルノルト殿下の視線が、一瞬わたくしの足元をなめ、そのまま背後の港を見渡しました。
「ここが、そなたの作り上げた街か」
「まだ作りかけでございますわ。面白くなるのは、これからでございますので」
殿下の眉がわずかに動きました。かつて学園で、同じ言葉をわたくしが口にしたときのことを思い出したのかもしれません。
その隣で、リリアーナが一歩前へ出ました。
「アメリア様。お元気そうで、何よりです」
「ええ、おかげさまで。リリアーナ様も、民の味方としてお忙しい毎日をお過ごしのようで」
「はい。前王国の民の苦しみを、少しでも和らげたくて」
その言葉に、背後でユリウスがわずかに肩を震わせたのが見えました。彼にとっては、まだ“祖国”の顔でございますもの。
わたくしは、あくまで笑みを崩さず、手を広げてみせました。
「でしたら、本日はぜひ、別の国の民の暮らしもご覧になっていかれるとよろしいですわ」
◇
使節団一行は、まず王都からの指示どおり、ご苦楽シティ内の客館へ案内されました。
その後、夕刻には、港を見下ろす公会堂での小さな晩餐会。
と申しましても、派手な舞踏ではなく、各国の料理と酒を並べ、短い挨拶と意見交換をする程度の、実務寄りな集まりです。
殿下の挨拶が一通り終わり、ライシア側の王弟殿下が穏やかな言葉で返礼を述べたあと、場は徐々に小さな輪に分かれていきました。
わたくしは、少し離れたテーブルで、前王国の財務官らしき男と向き合っておりました。ラウエンシュタインが、彼の背後で控えめに立っています。
「こちらが、ご苦楽シティの歳入歳出の概要でございます」
わたくしは、用意してきた薄い冊子を差し出しました。
港の使用料、市場税、預かり所の手数料、工房からの税。難民受け入れにかかる費用、港湾整備費、教育と治安維持の支出。それらが、簡潔な表とグラフで示されています。
財務官は、食い入るようにそれを眺めました。
「……本当に、ここまで黒字を維持しているのか」
「ええ、軍を持たない都市としては、十分健全でしてよ」
それを聞きつけたのか、別の輪から声が飛びました。
「軍を持たない都市、か。羨ましいものだな」
アルノルト殿下です。
彼は酒杯を片手に、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきました。
「我が国は、軍を縮小する余裕すらない。外の敵に備えるためにも、内の秩序を守るためにも、な」
「内の秩序、ですの」
わたくしは、さりげなく言葉を拾いました。
「給金を三ヶ月遅らせても、兵士たちは秩序を守ってくださっているようで。たいへんご立派な忠誠心でございますわね」
アルノルト殿下の目が、一瞬だけ鋭くなりました。
「情報が早いな」
「市場の噂は、風よりも早く伝わりますもの。それに、内債の利払い繰り延べの布告文くらい、隣国にも届いておりますわ」
場の空気が、わずかに重くなりました。沈黙を破ったのは、レオンです。
「殿下。ご苦楽シティとしても、ライシアとしても、前王国と敵対するつもりはありません」
レオンは淡々と続けました。
「ですが、どこまで助けられるかを決めるのは、こちらの権利でもあります。今日の場は、その話を始めるための場だと理解しておりますが、いかがでしょう」
アルノルト殿下は、しばしレオンとわたくしの顔を見比べ──そして、柔らかい笑みを浮かべました。
「もちろんだ。私は、王国とライシア、そしてそなたの街との新たな協力関係を結びに来た」
リリアーナが、その言葉に合わせるように一歩前へ出ます。
「戦や飢えで苦しむ民を、一緒に救っていただきたいのです」
その綺麗な台詞を聞いた瞬間、わたくしの口が、勝手に動きました。
「その戦と飢えをここまで悪化させた政策の、多くはどなたの発案でしたかしら」
リリアーナの瞳が、大きく揺れました。
わたくしは、あくまでも柔らかな声で続けます。
「無料配給。免税の乱発。金持ちからもっと税を取れ。とても耳障りの良い言葉たちでしたわね。結果として、穀物価格二倍。内債暴落。徴税官への暴行増加という数字を連れてきた」
ラウエンシュタインが、背後で目を伏せました。財務官も、何も言い返せずにおります。
アルノルト殿下が、眉をひそめました。
「アメリア。君は、民の苦しみを数字でしか見ないのか」
「違いますわ」
わたくしは、ぴしゃりと言い返しました。
「数字も見ているのです。数字は、民の暮らしの“結果”ですもの。見たくないからと目をそらしても、腹は膨れませんわ」
しばしの沈黙。
最初に口を開いたのは、レオンでした。
「殿下。今日のところは、互いの現状を知るだけにとどめませんか。本格的な条件の話は、明日以降の会議で」
アルノルト殿下は、深く息を吐きました。
「ああ……そうだな。私も、長旅で少し疲れている」
そう言って踵を返そうとした、そのとき。
彼は、ふと振り向き、わたくしにだけ聞こえるくらいの声で呟きました。
「だが、アメリア。君も、自分が追い出された国”が完全に沈むのを、望んではいないだろう」
わたくしは、わずかに首をかしげました。
「沈む船から抜け出したあとに、どこの港に乗り換えるかを考えるのが、わたくしの仕事ですわ」
殿下の目が、わずかに揺れました。
その意味を、彼が本当に理解するのは、まだ少し先のことでしょう。
◇
晩餐会が終わり、客館へ戻る途中。レオンと二人きりになった廊下で、彼がぼそりと言いました。
「だいぶ、言葉の刃を見せつけたね」
「まだ軽く撫でただけですわ。本番はこれからですもの」
「本番は、数字と契約で殴るつもりだろう」
「もちろん」
わたくしは、歩きながら指折り数えました。
「緊急食糧援助、軍への貸し付け、一部内債の買い取り。欲しがっているものは、だいたい見えましたわ」
「それに対して、こちらが提示する条件も」
「ええ。援助条件ではなく、有担保融資と権利譲渡として」
レオンが、薄く笑いました。
「君のそういうところ、本当に容赦がない」
「容赦をして差し上げて、この街が一緒に沈むのはごめんこうむりますもの」
窓の外には、港の灯りと、遠くに停泊する前王国の軍艦の影。
わたくしは、その影を眺めながら、小さく呟きました。
「ようこそ、ご苦楽シティへ。殿下たち」
そして、心の中で続けます。
──今度は、わたくしの庭で、現実をご覧になってちょうだいませ。




