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第49話 戦火の風をビジネスに変えて差し上げますわ

戦の噂というものは、数字より先に風で分かりますの。


 数日前から、ご苦楽シティの港には、妙な荷が増え始めていました。


 乾燥肉の樽、硬い黒パンの箱、矢羽根と弓の弦、包帯と薬草の束。どれも日常でも使われる物ではありますけれど、まとめて大量に、それも複数の国の商人が一斉に持ち込むとなれば、話は別ですわ。


 港の見張り台から戻ってきたユリウスが、息を切らしながら報告しました。


「アメリア様。ここ数日の荷の帳簿、やっぱり変です」


「変、というのは、わたくし好みに面白い、という意味かしら」


「だいたい、そうです」


 彼が差し出した帳簿には、矢印と赤丸がいくつも書き込まれておりました。


「保存食と薬の入庫量が、前月比で三割増。しかも、買い手が前王国向け。北の国向け。どちらでもない”に分かれていて……」


「どちらでもない、というのは?」


「荷の行き先はまだ未定という、妙に歯切れの悪い注文です。もし戦が長引いたら、どちらにでも売れるようにって感じで」


 わたくしは、帳簿に指を滑らせながら頷きました。


「つまり、世間の商人たちは、そろそろ戦で儲けられそうだと踏み始めているわけですわね」


「そんな言い方、あまりにもあけすけ過ぎませんか」


「戦場で儲ける商人は、昔からおりますもの。違うのは、どこまでやるかだけですわ」


 ◇


 その日の午後。港の一角に、見慣れた顔が現れました。


「よう、お嬢さん。なんだかきな臭え匂いがしてきやがったな」


 大きな腹を揺らしながら笑うのは、穀物商の親方、バルドでございます。


「ようこそ、バルド殿。戦火の香りを嗅ぎつけて、さっそくいらしたのかしら」


「穀物の値が動きそうなら、鼻が勝手に港へ向くんでね」


 彼は肩越しに、積み荷の山を振り返りました。普段より堅牢な木箱と樽。刻印には、自国向けとも他国向けとも取れる印が雑多に並んでいます。


「前王国の連中から、兵糧を回してくれって話が来てる。北の国からも、似た話がな」


「両方から、ですの」


「ああ。どっちも、ご苦楽シティ経由なら迂回路もあるし、足もつきにくいって腹なんだろうよ」


 まあ、褒め言葉として受け取っておきましょうかしら。


「で、お嬢さんはどうする気だ。戦の飯をどこまで出す?」


 バルドの問いに、わたくしは少しだけ考えました。


「バルド殿。あなたは、どちら側に勝ってほしいのかしら」


「そりゃあ、どっちが勝っても商売になるのが一番ありがてえな」


「よろしい。わたくしも、まったく同意見ですわ」


 そう言って、近くの木箱に腰を下ろしました。


「ですから、ご苦楽シティとしては、どちらにも最低限の物資は売る。ただし、決定的な差がつくほどの量は出しません」


「最低限、ねえ」


「具体的には、兵が飢えて暴動を起こさない程度ですわ。戦場がこちらに溢れてこられては迷惑ですもの」


 バルドが豪快に笑いました。


「相変わらず、はっきり言うねえ、お嬢さん」


「それから、武器そのものは扱いません。剣や槍は修理まで、攻城兵器や軍船は、完全に門外」


「その線は、王都と話をつけたのか?」


「もちろん。ライシア王都は、ご苦楽シティを中立の補給市場として使う腹ですから」


 わたくしの言葉に、バルドは少し真面目な顔になりました。


「中立ってのは、楽じゃねえぞ。両方から恨まれることもある」


「ですから、両方に同じ条件を提示するのですわ。保存食と簡単な薬、野営道具。それ以上は、隣の国境近くの別の港へどうぞと、お断りいたします」


「断れるかねえ。前王国の連中、今さらって顔で頭を下げに来たりしねえか」


 それはまあ、いずれあるでしょうね。


「そのときのために、見物席を用意しているのですもの」


「見物席?」


「ええ。この街が、どれだけ他国の兵糧と難民を捌いているか”を、お見せする席ですわ。数字と現場を合わせて」


 バルドは肩をすくめました。


「本当に、人を数字で眺めるのが好きなお嬢さんだ」


「人を数字でしか見ていない方々よりは、ずっとましだと自負しておりますわ」


 ◇


 夕方には、レオンと共に執務室に戻り、簡易黒板に今日の数字を書き出しておりました。


「保存食の出入り、薬の在庫、野営地の利用予定……。うっかりすると、戦争景気で街がぱんぱんになりますわね」


「だからこそ、上限を決めておく」


 レオンが、冷静な声で言います。


「野営地の最大収容人数、ご苦楽シティ内の宿屋の空き、給水設備の限界。それぞれを超えない範囲でしか、兵や従軍商人を受け入れない」


「つまり、この街で寝て食べられる人数を越えたぶんは、最初から断る、と」


「ああ。その代わり、断る理由をきちんと数字で示しておく」


 レオンは新しい紙に、見出しを書きました。


「ご苦楽シティ戦時受け入れ基準」


「また物騒な見出しを」


「僕も君にだいぶ染められてきたからね」


 その紙には、こう記されていきます。


 一、野営地と宿屋の合計収容人数の八割を上限とする。


 二、門の外で武器を構えた軍勢は、受け入れ対象外。


 三、野営地使用料と物資購入は、すべて前払い。


「八割、ですの?」


「ぎりぎりまで詰めると、何かあったときに逃げ場がない。常に二割の余白を残す」


 レオンは窓の外に視線をやりました。


「人も街も、帳簿も。余白なしで回そうとすると、壊れやすくなる」


「それは、あなたの持論かしら」


「君の机を見れば分かる」


 彼の視線が、書類とお菓子の包みで賑やかな机の隅をかすめました。


「数字の周りには、いつもやたらと余白がある」


「その余白こそが、大事なのでしてよ。お菓子の置き場にもなりますし」


「そこまでは言っていない」


 不毛な応酬をひとしきり楽しんだあと、わたくしは真顔に戻りました。


「レオン。軍需バブルというものは、数字の上では魅力的でございますけれど」


「終わった瞬間に、確実に弾ける」


「ええ。だからこそ、常設の産業まで軍需色に染めないようにしませんと」


 黒板の片隅に、二つの円を描きました。


「一つは、平時のご苦楽シティの経済。港、工房、宿屋、預かり所。もう一つは、戦時の臨時市場。保存食、薬、野営地、修理屋」


 それぞれに矢印を引いて、少しだけ重ねます。


「この二つを、完全に重ねてしまったら、戦が終わるたびに街がガタつきますわ。ですから、“重なる部分”を意識して、小さく保つ」


「具体的には?」


「たとえば、保存食工房を作るにしても、平時は旅人向けの携行食として売れる配合にしておく。包帯や薬も、日常の診療所で使えるものを中心に」


「戦のためだけの物を増やさない、か」


「そうですわ。戦が終わっても売れる物だけを増やす」


 レオンはしばらく黙って数字を見ていましたが、やがて小さく笑いました。


「本当に、君は退屈から最も遠い場所に街を建てたね」


「退屈は人生最大の損失ですもの」


「その言葉、何度聞いても慣れないな」


「慣れていただかなくて結構ですわ。飽きるのは損ですもの」


 ◇


 夜更け、執務室の明かりを落とす前に、わたくしは窓を開けました。


 遠く、海風の向こうに、まだ届かないはずの戦火の匂いが、かすかに混じっている気がいたします。


「前王国。あなた方が遊び半分で始めた戦火は、そのうち本当に身を焦がすでしょうけれど」


 小さく呟きました。


「こちらとしては、その風で風車を回させていただきますわ。燃えかすまでは拾いに行きませんけれど、風くらいは利用いたしませんと」


 戦火の風は、いずれこちらにも届く。


 ならば、その前に、風車を増やし、帆を張っておく。


 ご苦楽シティは、戦場の真ん中には立ちません。けれど、その少し外側で、確かにこの地域の経済を回す歯車になりつつある。


「さあ、戦火の風で、どこまで回して差し上げられるかしら」


 わたくしは帳簿を閉じ、明かりを落としました。


 波の音と、遠くの喧噪と、風の匂い。


 その全部を、明日の数字に変える仕事が、また一日分、積み上がっていくのでございますわ。

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