第47話 ライシア王都、ご苦楽シティを正式に抱えますの
呼び出し状というものは、どうしてこうも胃に悪い紙質なのでしょう。
朝の執務室。机の上に、やけに上等な羊皮紙がどんと置かれておりました。表には金色の縁取り、封蝋にはライシア王家の紋章。
「セバスチャン。この国の王家は、招待状の紙を柔らかい羊の皮でお作りになればよろしいのに。少しは胃に優しくなりますわ」
「紙質に文句をおっしゃる招待客など、王宮も想定しておられますまい」
老執事は、いつものように静かに紅茶を置きました。
封を切ると、端正な字が並んでおります。
『自由都市ご苦楽シティ財政担当 アメリア・フォン・ラグランジュ殿 王都において、自由都市の今後の地位と役割について諮問会議を開く。 宰相補佐レオン・ハルトマンと共に、出席されたい』
要するに、王都に来い、でございますわね。
「レオン、あなた。王都の空気はお好き?」
「好きか嫌いかで聞かれたら、答えは仕事だと割り切るだね」
背後から現れたレオンが、苦笑混じりに肩をすくめました。
「ご苦楽シティがこの一年でどれだけ税を納め、どんな人と荷を集めているか。そろそろ王都の連中も数字で知りたくなったらしい」
「放っておいてもお金が入ってくる財布を、王都が放置するはずがございませんもの」
「財布とは随分な言い方だ」
「だって事実ですもの。──問題は、その財布を、王都がどういう名目で自分の懐に結びつけようとするか、ですわ」
レオンの目が、少しだけ鋭くなりました。
「だからこそ、事前にこっちの条件を数字にしておきたい。そこを手伝ってほしい」
「もちろん。王都にただ褒められに行くなんて、そんな退屈な予定はご遠慮したいところですわ」
◇
その日の午後、わたくしとレオンは、執務室の机に大きな羊皮紙を広げておりました。
片方には、ご苦楽シティの現在の税収、港使用料、預かり所の手数料の推移。もう片方には、ライシア王国全体の歳入歳出の概算。
「まず、今のままを続けた場合の三年後、五年後の数字を出しましょう」
わたくしは簡易黒板に数字を書きつけながら、独り言のように続けました。
「港の荷量は、去年から今までで一・五倍。工房の数は倍。宿と酒場は三割増し。──このまま伸びた場合、三年で税収は今の二倍弱になりますわ」
「ただし、難民受け入れと公共設備の拡張に、同じくらいのコストがかかる」
レオンが指で線を引きました。
「だから、ご苦楽シティ単体で見れば、大黒字ではなく、ほどよい黒字。それを聞いて、王都はどう動くだろう?」
「“ほどよい黒字”を、王都の赤字の穴埋めに流し込みたくなるでしょうね」
「そう。だから、先に名目を決めてしまう必要がある」
レオンは、別の紙に見出しを書きました。
「自由都市ご苦楽シティ 王国公認経済特区」
「……長いですわね」
「長くしておいたほうが、それらしく見える」
「その理屈、嫌いではございません」
わたくしは頷き、続けて線を引きました。
「名目上は、王国直轄ではないが、王国公認の特別区。税収の一部を王都に納める代わりに、法的な保護と外交面での後ろ盾を得る」
「問題は、一部の割合だ」
レオンが目だけこちらに投げてきます。
「王都の財務官は、可能な限り太いパイプを求めてくる。僕らとしては、こちらの自由度を損なわない細さにしたい」
「では、こういたしましょう」
わたくしは黒板に二つの数字を書きました。
「ご苦楽シティの税収のうち、王都への上納分”は二割。ただし、その二割を全額、前王国関連の共同プロジェクトに使うという条件を付けますわ」
「前王国関連?」
「ええ。どうせ近いうちに、前王国から支援要請が来ますもの。そのときの交渉材料に、ご苦楽シティの名前で出すお金を用意しておくのですわ」
レオンが、面白そうに口元をゆがめました。
「つまり、王都への上納というより、将来の買収資金の積み立てにする、と?」
「さすが、話が早くていらっしゃる」
わたくしは続けます。
「この案の良いところは、王都の面子”も立つところですわ。自由都市もちゃんと王国に協力しているという看板を掲げつつ、その実、こちらの裁量で“どの前王国の港や税を買うか”を決められる」
「王都財政の穴埋めにはあまりならないが、隣国への影響力という意味では、大きな一手になる」
レオンは少し考え込み、それから頷きました。
「悪くない。王国にとっても得があり、ご苦楽シティにとってはもっと得がある形だ」
「どちらも得をする契約を提案して、実際にはこちらが多めに得をする。経済交渉の基本ですもの」
「胸を張って言うことじゃない」
呆れ顔をしながらも、レオンの目は楽しげです。
◇
数日後。わたくしたちは王都の会議室におりました。
長い机、重たい椅子。壁際には、王家の紋章と地図。ええ、どこの王都も、会議室の趣味はよく似ておりますわね。
参加者は、宰相、財務卿、数人の高官。それから、ライシア王家の代理としての王弟殿下。
レオンがごく簡潔に、ご苦楽シティの現状を説明し終えると、財務卿が身を乗り出しました。
「つまり、その自由都市とやらは、今後も成長が見込める、ということですな」
「はい。税収は右肩上がり。ただし、同時に難民受け入れや港湾整備に投資が必要です」
「であれば、王国としても、もっと明確に保護と監督を行うべきではないかね」
来ましたわ。
わたくしは表情だけ微笑みを保ったまま、心の中で線を引きました。
「保護と監督の定義を、まずは確認させていただいてもよろしいかしら」
財務卿が、わずかに眉をひそめます。
「税制や移民政策に、王国としての意向を反映させる、ということだ」
「なるほど。現場を知らない方々が、紙の上で口を出す権利ですわね」
「アメリア」
レオンが小声でたしなめましたが、聞こえないふりをいたします。
「王都の机上で作られた税制が、どれほどの頻度で実務を混乱させてきたか。わたくし、前の国で嫌というほど拝見いたしましたもの」
室内の空気が一瞬ぴりりとしましたが、宰相が口を挟んで場を和らげました。
「ラグランジュ嬢。君の言い分も分かる。だからこそ、特区という形を提案したいのだ」
宰相は穏やかな声で続けます。
「ご苦楽シティを、半自治の経済特区として正式に位置付ける。基本の税制や移民ルールは、君たちに任せる。その代わり、税収の一定割合を王国に納め、外交問題については王都の判断に従ってもらう」
わたくしは、用意してきた紙を静かに前へ滑らせました。
「その一定割合について、こちらからも案がございますの」
財務卿が紙を覗き込み、目を細めました。
「税収の二割を、王国に上納……? ずいぶん気前がいいな」
「ただし、その全額を前王国関連の共同事業に充てる、という条件付きで」
会議室の空気が、一瞬止まりました。
最初に口を開いたのは、王弟殿下でした。
「前王国との関係に、そのような大きな枠を設けるつもりか」
レオンが頷きます。
「いずれ、前王国は本格的に支援を求めてくるでしょう。そのとき、王国の財布だけで対応するのは危うい。ご苦楽シティを含めた別枠を用意しておけば、王都財政への直撃を和らげられる」
「つまり、ご苦楽シティとライシア王国の共同基金という形にするわけだな」
宰相が言葉を引き取りました。
「そう理解していただいて結構です」
わたくしは口を添えます。
「ご苦楽シティから見れば、将来、前王国の港や関税権を買うための積み立て。王国から見れば、隣国の混乱に飲み込まれないための保険金。どちらにとっても、悪くない取引でしてよ」
財務卿が、じっとわたくしたちを見つめました。
「君たちの言うとおりにすれば、ご苦楽シティはほぼ自由に伸びる。王国は、伸びた果実の二割しか取れない。その代わり、その二割を外への影響力に変えられる……」
王弟殿下が、静かに頷きました。
「悪くない。前王国の状況を思えば、今から手を打っておくに越したことはない」
宰相が、こちらを見ました。
「ラグランジュ嬢。君は、ご苦楽シティの“自由”を手放すつもりはないだろう」
「もちろんですわ」
「ならば、この案でいこう。自由の代わりに、二割を出せ。それを、王国と君たちの契約とする」
レオンと目が合いました。
彼の瞳には、わずかな安堵と、高揚と、責任の影が混じっております。
「承知いたしましたわ、宰相閣下」
わたくしは、ゆっくりと頭を下げました。
「ご苦楽シティは、王国公認経済特区として、自分の足で立ちながら、隣の国まで手を伸ばす街として、ここに存在させていただきます」
◇
会議が終わり、王宮を出たあと。石畳の中庭で、レオンがようやく肩の力を抜きました。
「ひとまず、抱え込まれずに抱えられる形に持ち込めた、かな」
「抱きしめられて窒息しないように、ほどよく距離のある抱擁にしておきましたもの」
「表現がものすごく物騒だ」
彼はそう言いつつも、どこか楽しげです。
「君が数字で枠を作ってくれたおかげで、政治のほうも動きやすい。ありがとう」
「礼は、二割の利息をきちんと回してくださることで返していただきますわ」
「利息、ね」
レオンは少しだけ歩調を落とし、こちらを見ました。
「君と一緒に、この街と王国の次の形を考えるのは、思っていた以上に楽しい」
「退屈は嫌いですもの。あなたが付き合ってくださるなら、まだまだ面白い遊びをお見せできますわよ」
「それは心強い。財布役としても、相棒としても」
相棒、という言葉に、ほんの少しだけ心臓が跳ねました。
……ええ。財布役と相棒。その二つが両立するなら、悪くない肩書きでございますわね。
「さあ、王都に二割の枠を刻み込んだのですもの。次は、前王国に残り八割の可能性を見せて差し上げませんと」
「楽しそうに言うなあ、君は」
「退屈するよりは、ずっと健康的ですわ」
王都の空は、ご苦楽シティの空より少し白っぽくて、少しだけ重たい。
けれど、その向こうにある波の匂いは、ここにも確かに届いておりました。
──二割を保険に。八割を攻めに。
ご苦楽シティは、まだまだ大きくなりますわよ。




