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第45話 前王国からの非公式な来訪者たち

──夕方の港は、だいたいろくでもない知らせを連れてきますの。


 第二波の難民受け入れから数日。ようやく仮テントと台帳が落ち着いてきたところで、港の見張り台から使いが走ってまいりました。


「アメリア様、荷を積んでいない船が一隻。船長が役人を乗せてきたと言っております!」


「役人? どこのお役人かしら。税を取りに来るなら、門前払いでしてよ」


「前王国の、だそうです!」


 ……胃が、少しきゅっといたしましたわ。



 桟橋に降りると、小ぶりな船のそばに、三人の男が立っておりました。


 身なりは地味な上等。剣も紋章もなく、代わりに革鞄と巻物。いかにも「官僚です」といった中年たち。


 その真ん中にいた男の顔を見て、わたくしは片眉を上げました。


「……これはまた。ご無沙汰しておりますわね、ラウエンシュタイン殿」


 痩せ型で鷹のような目をした男。前王国財務省で、老財務卿の腹心だった補佐官。会議でいつも、わたくしの案に難癖をつけては、裏でこっそり同意していた、あの皮肉屋ですわ。


「覚えておられましたか、アメリア嬢」


「わたくし、人の顔と数字はよく覚えておりますの」


 ラウエンシュタインは一礼し、周囲に一瞬だけ視線を走らせてから、小声で続けました。


「ここは……自由都市ご苦楽シティで、お間違いないですかな?」


「ええ、断罪された悪役令嬢の遊び場でもありますけれど」


 後ろでユリウスが「そんなサブタイトルでしたっけ」と小さく呻きましたが、無視いたします。


 彼らの服の裾には、薄い砂埃。長旅の疲れが、肩にべったり貼りついておりました。船長がこちらに近づいてきて、ぼそりと報告します。


「お嬢さん方、こいつら貨物代を前払いするってんで席を買ってきやした。よっぽど急いでる様子でしたぜ」


「そう……」


 わたくしはレオンに目配せしました。彼はわずかに頷き、半歩前へ出ます。


「ライシア王国宰相補佐、レオン・ハルトマンだ。君たちの身分と、来訪の目的を聞こう」


 ラウエンシュタインは軽く礼をし、きっちりとした口調で名乗りました。


「前王国財務省・特別監査室、ラウエンシュタインと申します。こちらは同室のカーミット、それから統計局のラインベルク。──名目上は、“経済視察団”です」


 名目上は。という言葉に、わずかな自嘲が混じりました。


「名目をうかがいましたので、本音をどうぞ」


 わたくしがにっこりと促すと、ラウエンシュタインは肩をすくめました。


「本音は……亡命希望の下見といったところでしょうか」


 あら、最初から話が早い。



 ひとまず、港の詰所を片づけて、簡単な応接にいたしました。机の上には水差しとパン。贅沢な茶など、亡命予備軍に差し上げる義理はございませんもの。


「王命ではない、と解釈してよろしいのかしら?」


 レオンが念のため確認すると、ラウエンシュタインはあっさり頷きました。


「非公式です。王太子殿下も存じません。老財務卿閣下だけが、国の数字はもはや手遅れだ。せめて、人材だけでも逃がせと」


 その名前に、胸の奥がちくりといたしましたわ。


「閣下は、ご健在?」


「お元気です。数字のこと以外はですが」


 ラウエンシュタインは、鞄から封筒を取り出しました。封蝋には、あの老財務卿の紋章。


「アメリア嬢宛ての、私信です」


 封を切るのは、あとにいたしましょう。今は、目の前の生身の問題です。


「あなた方は、この街に“移りたい”のかしら。それとも、“連絡窓口になりたい”のかしら?」


「どちらも、ですな」


 ラウエンシュタインは指を二本立てました。


「我々三人は、条件が合えば移住したい。それとは別に、まだ踏ん切りのつかない者たちに、ご苦楽シティの実情を伝える役を命じられております」


「なるほど。逃げる覚悟があるかどうかを選別するわけですわね」


 悪くない手筋ですわ。老財務卿も、最後の最後でなかなか粋なことをなさる。


「では、この街からの答えを申し上げますわ、ラウエンシュタイン殿」


 わたくしは指を組み、彼ら三人を順に見渡しました。


「前王国の肩書きは、ここでは無効です。その代わり、できる仕事と守れるルールがあれば、市民候補として受け入れます」


「具体的には?」


「税務・統計・工廠管理・港湾管理・医療・教育……そういった街を回す系統の技能。あなた方の履歴書と、前王国での実務内容を、こちらの台帳に照らして評価いたしますわ」


 ユリウスが、受け入れ規約の控えをそっと机に出しました。ラウエンシュタインが目を走らせ、口笛を吹きます。


「……ずいぶんと細かい。借金の有無まで訊くとは」


「当然でしょう? 借金から逃げるために亡命する方は、この街には入れませんもの」


 カーミットと呼ばれた男が、びくりと肩を揺らしました。わたくしは見なかったことにいたします。


「代わりに、借金をきちんと整理してから来る覚悟のある方は、歓迎しますわ。前王国の通貨が紙切れになる前に、返せるぶんだけ返しておく。それが、逃げる人と逃げるだけの人の違いですもの」


 ラウエンシュタインは、しばし沈黙したあと、ふっと笑いました。


「老財務卿閣下が、あなたを本物の悪魔だが、一番まともだと評しておられましたが……そのとおりですな」


「誉め言葉として受け取っておきますわ」



 条件の説明と、こちらの質問が一段落したところで、わたくしはあえて話題を変えました。


「それで──肝心の、あちらの数字は、どこまで崩れておりますの?」


 ラウエンシュタインは、深く長い息を吐きました。


「内債の利払い繰り延べは、ご存じですな?」


「ええ、もちろん。踏み倒しを繰り延べと呼ぶ遊びですわね」


「その遊びのせいで、商人たちが内債の新規購入をほぼ止めました。利率を吊り上げても、買い手は増えない」


「預かり所と同じですわ。一度怪しいことをした財布に、誰が金を預けますの」


「軍の給金遅配は、今のところ地方が二ヶ月、中央が一ヶ月半。徴税官への暴力事件は、報告されているだけで二十件を超えました」


 ユリウスが、横で小さく息を呑みました。彼にとっては、まだ祖国なのですものね。


「物価は?」


「穀物は、王都で一・五倍。地方によっては二倍。代わりに、王宮主導で貧民への無料配給を始めましたが、当然、財源はありません」


「ありませんわね」


 わたくしは、椅子の背にもたれ、天井を見上げました。


「その“無料配給”は、どこから出ておりますの?」


「軍の備蓄と、王宮の宝物庫です。民のためという名目で」


「つまり、民を守るはずの剣と、国の信用の最後の担保を削って、人気取りをしているわけですわね。素敵ですこと」


 ラウエンシュタインたちの顔に、苦笑とも諦めともつかない影が差しました。


「老財務卿閣下は、必死に止めておられますが、今や書類にサインする権限すら削られつつあります。反対ばかりする老人として」


「だからこそ、人だけでも逃がせと?」


「ええ。あの方は、数字と人のどちらを救うかと問われれば、迷わず後者を選ぶ方ですので」


 ……最後の最後で、やはり、あの人はまともですわね。


「しかし、こちらとしても、無制限に受け入れるわけにはまいりません」


 隣でレオンが、淡々と口を開きました。


「ご苦楽シティは、まだ育ち盛りの街だ。治安と生活基盤を崩さずに受け入れられる上限を、アメリアたちと試算しているところです」


「だからこそ、実務家を優先、と」


「ええ。数字と現場の両方を見られる人間は、どこでも不足気味ですもの」


 わたくしは、ラウエンシュタインをまっすぐ見ました。


「あなた方三人を、試験的に受け入れますわ。一定期間の試用を経て、こちらのルールに馴染めると判断したら、本採用。その結果を、老財務卿閣下に届けて差し上げて」


 ラウエンシュタインの目が、ほんのわずかに揺れました。


「……それが、逃げる覚悟をした者への条件、ですな?」


「ええ。前王国を恨む人ではなく、自分の仕事を続けたい人を、こちらは求めておりますの」


 ユリウスが、横でこくこくと頷いておりました。おそらく、彼の中でも、何かが少しずつ書き換わっているのでしょう。



 面談が終わり、三人を仮宿へ案内したあと。詰所に、ようやく静けさが戻ってきました。


 レオンが、机の上の封筒を指でつつきます。


「開けないのか?」


「見なくても、中身はだいたい想像がつきますもの」


「それでも、想像と違う何かがあるかもしれない」


 少しだけ迷ってから、わたくしは封を切りました。


 そこには、短い一文だけが、老財務卿の筆で記されておりました。


『君の作った数字の塔は、壊れてしまった。だが、君の育てた人材は、まだ残っている。どうか、拾ってやってほしい』


 ──本当に、最後まで、ずるい人でございますわ。


 わたくしはそっと手紙をたたみ、ポケットにしまいました。


「レオン。わたくし、前王国そのものを助ける気は、これっぽっちもございませんのよ」


「知っている」


「でも、あの人の顔を立てるくらいは、して差し上げてもよくてよ」


 レオンは小さく笑い、肩をすくめました。


「君がそう言うなら、ライシアも少しだけ協力しよう」


「少しずつ、少しずつ、ですわ。助けすぎると、また甘えますもの」


 窓の外では、港の明かりがひとつ、またひとつと灯っていきます。


 前王国からの“非公式来訪者たち”は、これからも増えるでしょう。


 堤防の石を積みながら、その隙間に、水車の歯車も差し込んでおく。──それが、わたくしの仕事ですわ。


「さあ、ユリウス。受け入れ規約の元官僚用の追記事項を作りますわよ」


「また増やすんですか……」


「ええ。逃げ道の作り方も、きちんと設計して差し上げませんとね」


 わたくしは、黒板に新しい項目を書き足しました。


『前王国実務家・受け入れ条件:逃げる覚悟と、数字の読める頭』


 崩れていく国と、こちらへ流れ込む人の波。


 その真ん中で、わたくしは今日も、ペンと数字で線を引き続けるのでございますわ。







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