第45話 前王国からの非公式な来訪者たち
──夕方の港は、だいたいろくでもない知らせを連れてきますの。
第二波の難民受け入れから数日。ようやく仮テントと台帳が落ち着いてきたところで、港の見張り台から使いが走ってまいりました。
「アメリア様、荷を積んでいない船が一隻。船長が役人を乗せてきたと言っております!」
「役人? どこのお役人かしら。税を取りに来るなら、門前払いでしてよ」
「前王国の、だそうです!」
……胃が、少しきゅっといたしましたわ。
◇
桟橋に降りると、小ぶりな船のそばに、三人の男が立っておりました。
身なりは地味な上等。剣も紋章もなく、代わりに革鞄と巻物。いかにも「官僚です」といった中年たち。
その真ん中にいた男の顔を見て、わたくしは片眉を上げました。
「……これはまた。ご無沙汰しておりますわね、ラウエンシュタイン殿」
痩せ型で鷹のような目をした男。前王国財務省で、老財務卿の腹心だった補佐官。会議でいつも、わたくしの案に難癖をつけては、裏でこっそり同意していた、あの皮肉屋ですわ。
「覚えておられましたか、アメリア嬢」
「わたくし、人の顔と数字はよく覚えておりますの」
ラウエンシュタインは一礼し、周囲に一瞬だけ視線を走らせてから、小声で続けました。
「ここは……自由都市ご苦楽シティで、お間違いないですかな?」
「ええ、断罪された悪役令嬢の遊び場でもありますけれど」
後ろでユリウスが「そんなサブタイトルでしたっけ」と小さく呻きましたが、無視いたします。
彼らの服の裾には、薄い砂埃。長旅の疲れが、肩にべったり貼りついておりました。船長がこちらに近づいてきて、ぼそりと報告します。
「お嬢さん方、こいつら貨物代を前払いするってんで席を買ってきやした。よっぽど急いでる様子でしたぜ」
「そう……」
わたくしはレオンに目配せしました。彼はわずかに頷き、半歩前へ出ます。
「ライシア王国宰相補佐、レオン・ハルトマンだ。君たちの身分と、来訪の目的を聞こう」
ラウエンシュタインは軽く礼をし、きっちりとした口調で名乗りました。
「前王国財務省・特別監査室、ラウエンシュタインと申します。こちらは同室のカーミット、それから統計局のラインベルク。──名目上は、“経済視察団”です」
名目上は。という言葉に、わずかな自嘲が混じりました。
「名目をうかがいましたので、本音をどうぞ」
わたくしがにっこりと促すと、ラウエンシュタインは肩をすくめました。
「本音は……亡命希望の下見といったところでしょうか」
あら、最初から話が早い。
◇
ひとまず、港の詰所を片づけて、簡単な応接にいたしました。机の上には水差しとパン。贅沢な茶など、亡命予備軍に差し上げる義理はございませんもの。
「王命ではない、と解釈してよろしいのかしら?」
レオンが念のため確認すると、ラウエンシュタインはあっさり頷きました。
「非公式です。王太子殿下も存じません。老財務卿閣下だけが、国の数字はもはや手遅れだ。せめて、人材だけでも逃がせと」
その名前に、胸の奥がちくりといたしましたわ。
「閣下は、ご健在?」
「お元気です。数字のこと以外はですが」
ラウエンシュタインは、鞄から封筒を取り出しました。封蝋には、あの老財務卿の紋章。
「アメリア嬢宛ての、私信です」
封を切るのは、あとにいたしましょう。今は、目の前の生身の問題です。
「あなた方は、この街に“移りたい”のかしら。それとも、“連絡窓口になりたい”のかしら?」
「どちらも、ですな」
ラウエンシュタインは指を二本立てました。
「我々三人は、条件が合えば移住したい。それとは別に、まだ踏ん切りのつかない者たちに、ご苦楽シティの実情を伝える役を命じられております」
「なるほど。逃げる覚悟があるかどうかを選別するわけですわね」
悪くない手筋ですわ。老財務卿も、最後の最後でなかなか粋なことをなさる。
「では、この街からの答えを申し上げますわ、ラウエンシュタイン殿」
わたくしは指を組み、彼ら三人を順に見渡しました。
「前王国の肩書きは、ここでは無効です。その代わり、できる仕事と守れるルールがあれば、市民候補として受け入れます」
「具体的には?」
「税務・統計・工廠管理・港湾管理・医療・教育……そういった街を回す系統の技能。あなた方の履歴書と、前王国での実務内容を、こちらの台帳に照らして評価いたしますわ」
ユリウスが、受け入れ規約の控えをそっと机に出しました。ラウエンシュタインが目を走らせ、口笛を吹きます。
「……ずいぶんと細かい。借金の有無まで訊くとは」
「当然でしょう? 借金から逃げるために亡命する方は、この街には入れませんもの」
カーミットと呼ばれた男が、びくりと肩を揺らしました。わたくしは見なかったことにいたします。
「代わりに、借金をきちんと整理してから来る覚悟のある方は、歓迎しますわ。前王国の通貨が紙切れになる前に、返せるぶんだけ返しておく。それが、逃げる人と逃げるだけの人の違いですもの」
ラウエンシュタインは、しばし沈黙したあと、ふっと笑いました。
「老財務卿閣下が、あなたを本物の悪魔だが、一番まともだと評しておられましたが……そのとおりですな」
「誉め言葉として受け取っておきますわ」
◇
条件の説明と、こちらの質問が一段落したところで、わたくしはあえて話題を変えました。
「それで──肝心の、あちらの数字は、どこまで崩れておりますの?」
ラウエンシュタインは、深く長い息を吐きました。
「内債の利払い繰り延べは、ご存じですな?」
「ええ、もちろん。踏み倒しを繰り延べと呼ぶ遊びですわね」
「その遊びのせいで、商人たちが内債の新規購入をほぼ止めました。利率を吊り上げても、買い手は増えない」
「預かり所と同じですわ。一度怪しいことをした財布に、誰が金を預けますの」
「軍の給金遅配は、今のところ地方が二ヶ月、中央が一ヶ月半。徴税官への暴力事件は、報告されているだけで二十件を超えました」
ユリウスが、横で小さく息を呑みました。彼にとっては、まだ祖国なのですものね。
「物価は?」
「穀物は、王都で一・五倍。地方によっては二倍。代わりに、王宮主導で貧民への無料配給を始めましたが、当然、財源はありません」
「ありませんわね」
わたくしは、椅子の背にもたれ、天井を見上げました。
「その“無料配給”は、どこから出ておりますの?」
「軍の備蓄と、王宮の宝物庫です。民のためという名目で」
「つまり、民を守るはずの剣と、国の信用の最後の担保を削って、人気取りをしているわけですわね。素敵ですこと」
ラウエンシュタインたちの顔に、苦笑とも諦めともつかない影が差しました。
「老財務卿閣下は、必死に止めておられますが、今や書類にサインする権限すら削られつつあります。反対ばかりする老人として」
「だからこそ、人だけでも逃がせと?」
「ええ。あの方は、数字と人のどちらを救うかと問われれば、迷わず後者を選ぶ方ですので」
……最後の最後で、やはり、あの人はまともですわね。
「しかし、こちらとしても、無制限に受け入れるわけにはまいりません」
隣でレオンが、淡々と口を開きました。
「ご苦楽シティは、まだ育ち盛りの街だ。治安と生活基盤を崩さずに受け入れられる上限を、アメリアたちと試算しているところです」
「だからこそ、実務家を優先、と」
「ええ。数字と現場の両方を見られる人間は、どこでも不足気味ですもの」
わたくしは、ラウエンシュタインをまっすぐ見ました。
「あなた方三人を、試験的に受け入れますわ。一定期間の試用を経て、こちらのルールに馴染めると判断したら、本採用。その結果を、老財務卿閣下に届けて差し上げて」
ラウエンシュタインの目が、ほんのわずかに揺れました。
「……それが、逃げる覚悟をした者への条件、ですな?」
「ええ。前王国を恨む人ではなく、自分の仕事を続けたい人を、こちらは求めておりますの」
ユリウスが、横でこくこくと頷いておりました。おそらく、彼の中でも、何かが少しずつ書き換わっているのでしょう。
◇
面談が終わり、三人を仮宿へ案内したあと。詰所に、ようやく静けさが戻ってきました。
レオンが、机の上の封筒を指でつつきます。
「開けないのか?」
「見なくても、中身はだいたい想像がつきますもの」
「それでも、想像と違う何かがあるかもしれない」
少しだけ迷ってから、わたくしは封を切りました。
そこには、短い一文だけが、老財務卿の筆で記されておりました。
『君の作った数字の塔は、壊れてしまった。だが、君の育てた人材は、まだ残っている。どうか、拾ってやってほしい』
──本当に、最後まで、ずるい人でございますわ。
わたくしはそっと手紙をたたみ、ポケットにしまいました。
「レオン。わたくし、前王国そのものを助ける気は、これっぽっちもございませんのよ」
「知っている」
「でも、あの人の顔を立てるくらいは、して差し上げてもよくてよ」
レオンは小さく笑い、肩をすくめました。
「君がそう言うなら、ライシアも少しだけ協力しよう」
「少しずつ、少しずつ、ですわ。助けすぎると、また甘えますもの」
窓の外では、港の明かりがひとつ、またひとつと灯っていきます。
前王国からの“非公式来訪者たち”は、これからも増えるでしょう。
堤防の石を積みながら、その隙間に、水車の歯車も差し込んでおく。──それが、わたくしの仕事ですわ。
「さあ、ユリウス。受け入れ規約の元官僚用の追記事項を作りますわよ」
「また増やすんですか……」
「ええ。逃げ道の作り方も、きちんと設計して差し上げませんとね」
わたくしは、黒板に新しい項目を書き足しました。
『前王国実務家・受け入れ条件:逃げる覚悟と、数字の読める頭』
崩れていく国と、こちらへ流れ込む人の波。
その真ん中で、わたくしは今日も、ペンと数字で線を引き続けるのでございますわ。




