第44話 難民第二波、ご苦楽シティを揺らしますわ
──朝から、港がうるさすぎませんこと?
まだ紅茶一杯目だというのに、窓の外から、いつもより一段階うるさい喧噪が聞こえてまいります。怒鳴り声、泣き声、子どもの甲高い叫び声。
「セバスチャン、あれは何事ですの?」
「お客様がまとめてご来港のようでございますな」
老執事は、相変わらず落ち着き払って紅茶を注ぎながら、ちらりと港のほうへ目をやりました。
「お客様という響きが、やけに胃に悪いのですけれど」
「おや。アメリアお嬢様は、お客様が増える街を目指しておられたのでは?」
「数と質は別問題ですわ」
ぼやいていても仕方ありませんので、さっさと外へ出ることにいたしました。
◇
港の桟橋近くに出てみると、事情はすぐに理解できました。
船が一隻。大きくはありませんが、船腹まで人でぎゅうぎゅうに膨らんだ、小型輸送船。甲板の上にも、岸にも、人、人、人。
男、女、年寄り、子ども。粗末な荷物を抱え、ぼろぼろの外套をまとっている一団。
一言で申し上げて、「難民」でございますわね。
そして、その波の手前で、必死に押しとどめられているのが、我がご苦楽シティ自警団。
「押すな押すな! 一列で! ここを通るなって言ってるだろうが!」
「子どもと年寄りを先にだ! 荷物はあとで運ばせろ!」
先頭で怒鳴っているのは、団長ジルク。額には汗、腕にはまだ新品同然だったはずの腕章が、泥にまみれております。
自警団の頭数は増えましたけれど、さすがに百人規模の人間の波を相手にするのは初めて。押し寄せる群衆に、じりじりと押し負けているのが遠目にも分かりました。
「これは──」
思わず隣を見ると、同じく駆けつけてきたレオンが、小さく息を吐いていました。
「第二波ですね」
「せいぜい三十人か四十人と踏んでおりましたけれど……百人単位でいらしてくださるとは、サービス精神が旺盛ですこと」
「君の比喩は、いちいち物騒だ」
とりあえず、成り行き任せにしておくわけにも参りません。わたくしはスカートの裾をつまんで、ざくざくと人の波のほうへ踏み込みました。
「ちょっとそこ、道を開けなさいませ!」
声を張ると、前列の何人かがこちらを振り返りました。やつれた顔、こわばった目。こちらを「新しい支配者」か「役人」か判別しかねている視線。
構わず、ジルクの背中をどん、と指で突きます。
「ジルク。押され負けていらしてよ。せめて、見栄くらいは張りなさいな」
「見栄張って踏み潰されちゃかなわねえですよ、アメリア様!」
「踏み潰される前に、列を割るのですわ。ここを境に、街に入る権利がある人とまだ準備ができていない人とを、きちんと分けますの」
わたくしは足元の泥を気にするのを諦めて、桟橋ぎわの石畳をつま先でこつこつと叩きました。
「ここからこっち側に線を引きますわ。自警団、ロープはございます?」
「ある! おい、ロープ持ってこい!」
数人が駆け、長い麻縄が運ばれてきました。わたくしはそれをひったくると、ざっくりと地面に円を描くように敷きます。
「いいこと? この内側に入ってもよろしいのは、まず子どもと年寄り、それから女の”、最後に男手のある者。順番を守れない方から順に、受け入れを後回しにいたしますわ」
ざわ、と波が揺れました。
「そんな順番、待てるか!」 「子どもよりも先に、仕事を探さなきゃ──」
いくつもの声が飛びますが、わたくしは口角を上げて、冷ややかに笑ってみせます。
「順番も守れない方に、この街のルールは守れませんわ。ルールを守れない方を入れる余裕は、この街にはございませんの」
ジルクが、ほっとしたように肩を落としました。
「アメリア様、少しは……」
「ええ、少しは脅して差し上げましたわ。あなたたち自警団の威光を借りるために」
「俺たちの威光なんざ、まだペンキも乾いてねえ腕章くらいしかねえですけどね!」
「だからこそ、最初の印象が大事なのでしてよ。今ここで、この街は叫んだもの勝ちではないと刻み込んでおきませんと」
前線に並ぶ自警団員たちが、わずかに姿勢を正しました。新しい腕章が、一斉にこちらを向きます。
よろしい。まずは見栄から、でございますわ。
「ジルク、号令なさい。子どもと年寄りからだと」
「……了解だ。おい! 子どもと年寄りを前に出せ! 男は一歩下がれ! 守りてえなら、まず家族を先に通せ!」
押し殺した怒号が、波の中を走りました。男たちがぶつぶつと言いながらも、一歩、二歩と後退し、その隙間から、小さな影や白髪頭が押し出されます。
ご苦楽シティの港に、第二波が、ゆっくりと流れ込み始めました。
◇
ひとまず、仮の受け入れ場は港の倉庫隣の空き地でございます。
すでに、第一波のときに作っておいた簡易テントと、炊き出し場が用意されておりますが──ええ、見事に定員オーバーですわね。
「アメリア様、これじゃあ、寝る場所が……」
教室兼受付テントのところで、ヘルマン──前王国出身の中年官吏にして、今はご苦楽シティの統計担当──が眉間を押さえておりました。
「仮設テントを倍に増やしたとしても、今の設備では七十人が限界ですな。残りは、どこかに分散せねば」
「倉庫の一角を寝床にするのは?」
わたくしが提案すると、ヘルマンは顔をしかめます。
「治安と衛生が悪くなります。倉庫に人を住まわせると、荷も人も、両方傷みますぞ」
「つまり、短期の楽はダメ、ということですわね」
「ええ。ご自分で仰っていたではありませんか、短期の損と長期の得を見極めると」
元部下に諭されるとは、人生わからないものでございますわ。
「では、空き家のリストは?」
「こちらに。前王国からの移住者第一波を仮住まいさせたぶんと、新しく工房や店に回す予定だった建物の一覧です」
ヘルマンが差し出した紙には、ざっと三十軒ほどの候補が並んでいました。
「全部を難民宿に回すわけにはいきませんな。商人や職人の移住枠も確保しておかねばならん」
「ええ、そこは線引きが必要ですわ」
わたくしは紙をひったくると、さらさらと欄外に書き込みを始めました。
「ひとまず、今日中に受け入れ可能な上限は、子どもと年寄りを含めた七十人。残り三十〜四十人については、順番待ちの札を渡して、次の船での再来訪、あるいは近隣の村への一時滞在を勧めます」
「そんな……追い返すのですか?」
ヘルマンの顔に、痛ましい色が浮かびました。彼の故郷が、まさにその崩れつつある国であることを考えれば、無理もございません。
「追い返すではなく、受け入れを分割するのでしてよ」
わたくしは、わざときっぱりと言い切りました。
「ここで全員を受け入れて、寝場所も飯も足りなくなれば、この街の人も、今日来た人たちも、まとめて路頭に迷いますわ。結果として、誰も助からない。それは良いことをした気分だけを満たす遊びですの」
ヘルマンの喉が、ごくりと鳴りました。
「……遊び、ではない、ですな」
「ええ。これは投資ですわ。投資には、今は見送る案件もございます」
数字で説明されると、彼はしばし黙り込み、やがて小さく頷きました。
「分かりました。順番待ちの札の書式を、すぐに作りましょう」
「頼みましたわ、ヘルマン」
◇
受け入れ場では、ユリウスがすでに、青い顔で走り回っておりました。
「お名前と前の住まい、職業、家族構成を書いてください! 読み書きができない方は、こちらに!」
移住者台帳を前に、彼は汗だくでペンを走らせています。簡易教室で使っている机を引っ張り出し、即席の受付カウンターにしているようでした。
「ユリウス。楽しそうに地獄を味わっていらっしゃるようで何よりですわ」
「楽しそうに見えますか!? アメリア様の受け入れ規約(案)のおかげで、確認事項が三倍に増えたんですけど!」
「必要な項目ですもの。家族構成と職業と、借金の有無くらいは確認しておきませんと」
「最後の一つが、一番書きたがらないところですよ!」
そんなこと、分かっておりますわ。分かっていて、あえて訊いているのですもの。
「ところで、今のところ受け入れ不可になりそうな方は?」
「ええと……前王国伯爵家の分家を名乗る人が、三人ほど……」
あら、とても分かりやすい地雷。
「彼らには、丁重に順番待ち札をお渡しなさい。この街では身分よりも職業が先ですと説明を添えて」
「はい……。アメリア様のせいと心の中で三回くらい唱えながら、お渡しします」
「よろしい心がけですわ」
ユリウスの背中を軽く叩いてから、わたくしは列のほうへと目を移しました。
そこで、一人の男と目が合います。
三十代半ばほど。痩せてはおりますが、背筋が妙に真っ直ぐな男。身なりは他とさほど変わらないものの、手に抱えているのは、布袋ではなく、革で綴じられた厚い帳簿。
──あら、見覚えがございますわね。
「あなた。前王国財務局・予算課の、フリードリヒ殿、でいらっしゃいまして?」
呼びかけると、男は目を見開き、次いで、信じられないものでも見たかのような顔になりました。
「あ、アメリア……様?」
「お懐かしゅうございますわ。あら、わたくしのことなど、とっくに忘れられたと思っておりましたのに」
「い、いえ、その……お噂は、たびたび……」
動揺しているフリードリヒをしばし眺めてから、わたくしはユリウスを手招きしました。
「ユリウス、この方は前王国財務局の中級官吏。予算書を締切前に出せるというだけで、すでに貴重な人材ですわ」
「そんな基準で大丈夫なんですか」
「大丈夫に決まってますでしょう。あちらでは、それすら満たせない人が山ほどいたのですから」
フリードリヒが、苦い笑みを漏らしました。
「否定、できませんな……」
「職歴と技能については、のちほど詳しく書いていただくとして。ひとまずあなたと、ご家族は優先受け入れに回しますわ。ヘルマンのところへ行って、部屋割りの相談をなさい」
「か、家族は……妻と、子どもが二人おります」
「では四人分。ヘルマンには即戦力候補として伝えておきますわ」
フリードリヒは、何度も頭を下げてから、人波の中へと戻っていきました。
背中を見送りながら、ユリウスが小声で囁きます。
「即戦力候補って、そんなに簡単に決めていいんですか?」
「ええ、候補ですもの。本当に使えるかどうかは、うちの帳簿に触らせてみてから決めますわ」
「なんか急にブラックな会社の面接みたいなこと言い出しましたね、アメリア様」
「この街は、ご苦楽シティですわよ? ご苦労と娯楽と愉快なブラックの街なのですもの」
「最後の一つ、初耳なんですけど」
◇
日が少し傾き始める頃には、ざっくりとした振り分けが完了しておりました。
七十人──主に子どもと年寄り、女たち、そして“即戦力候補”数名──は、ご苦楽シティ内の仮住まいとテントに。
残り三十人ほどには、「順番待ち札」と、近隣村への紹介状。いくつかの村には、すでにご苦楽シティが小さな貸しを作ってありますので、「数日なら寝床を貸してやる」との取り付けも済ませております。
「ひどい」と罵る者もいれば、「助かった」と泣き崩れる者もいる。感情の振れ幅ごと、こちらに押し寄せてまいります。
そのすべてを、真正面から受け止める余裕は、この街にはまだございません。
ですから、わたくしは真正面からではなく、数字と規約で受け止めることにしておりますの。
「アメリア」
帰り道、港から少し離れた坂道で、レオンが呼び止めました。夕陽が彼の横顔を染め、いつもより少しだけ年上に見えます。
「君は、さっき遊びじゃないと言った」
「ええ。遊びにしてしまった瞬間に、この街は終わりますもの」
「でも、遊びにしてしまえるほうが、心は楽だとも、わかっている顔だった」
……そういうところだけ、妙に勘が鋭いのですから、この男は。
「楽なほうがよろしければ、わたくしはとっくにあちらの学園で、清純ヒロインを名乗っておりましたわ」
「想像しただけで胃が痛くなりますね」
「でしょう?」
ふっと笑い合い、それから、少しだけ真面目な沈黙が落ちました。
わたくしは、空を仰ぎます。ご苦楽シティの上には、相変わらず青い空。そして、その向こう側には、今まさに崩れつつある国の空も、続いているはず。
「レオン。わたくし、別に前王国を助けたいわけではございませんのよ」
「知っている」
「でも、前王国から流れてくる人たち”の中には、ここでならちゃんと生きられる人がいる。それを数字で見てしまった以上、拾わないのも、やっぱりつまらない」
レオンはうなずきました。
「君らしい。君は、残酷なようでいて、面白いほうにだけは誠実だ」
「誉めていますの、それ」
「僕にしては、精一杯の誉め言葉ですよ」
彼の口元が、わずかに緩みました。
「それに──」
「それに?」
「面白いほうに誠実な君と一緒にいると、退屈しない」
不意打ちのように、そんなことを言うのですから。
「退屈は人生最大の損失ですもの。それを避けたいなら、わたくしのそばにいるのは、悪くない投資ですわよ?」
「投資の回収が楽しみだ」
「回収を急ぐ投資家は嫌いですわ。利息はゆっくり、長くお支払いしますの」
わざと軽口でかわしながらも、胸の奥に、小さな熱が灯るのを感じました。
◇
その夜、ご苦楽シティの仮設教室では、いつもよりも賑やかな授業が行われておりました。
読み書きのできない子どもたちと、大人たち。黒板の前には、慣れないながらも チョークを握るヘルマンと、横で補助するユリウス。
「あめりあ──はい、ここにわたくしと書きます」
「先生、そのわたくしって?」
「この街の、えーと……財布みたいな人ですな」
「財布って何だよ」
「そのうち嫌でも分かりますわよ」
廊下の陰から覗き見ながら、わたくしは小さく笑いました。
堤防は、まだところどころ、穴だらけ。水車も、回り始めたばかり。
それでも──
「第二波、上出来ですわね」
誰にともなく呟き、わたくしは踵を返しました。
さあ、波はこれから、もっと高くなりますわよ。
堤防も、水車も、見物席も。すべてを、もっと高く、広くしておかなくては。




